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なるほど、たしかに。
普段、そんな事を思った事なかったのに、外の頼れる情報(知識)を取り込むと、アタマの働く状態だった私は「劣等感」を感じる事ができた。
「うわ~、私って本当に何も知らないな…。なんでみんな、こんなに色々知ってんの?私ってアタマ使って生きてなかったの??」
とね。
凄い、スゴイ!心を使って生きる事を良しとしてきたけど、ふと、アタマを使ったら劣等感が湧いてきたという話。
(ここでのアタマはざっくりと、左脳的思考という事で)
なんで、わざわざ同じ土俵に立とうとするのかしら?凄い人なんか世の中た~~くさんいるのに。
隠れた野望・競争心・本能。あわよくば「自分はこんなにスゴイ!」を見つけて喜びたい。
人から思われて、じゃなく「自分が自分に」だよ、ここ。中々気づかないけどね。
自分の事を自分が「まだまだ」って思ってるんだから、そりゃスゴイ所を見つけて「スゴイ!」って喜びたいわけ。
自分発の自己完結、「奇妙なゲーム」。
(早く先に「スゴイ、私!」って喜んで優越に浸ってしまえ笑)
ここ数日、アタマに集中していた氣を下に降ろし、心に戻すとすぐ、穏やかになる。
「おもしろい事してるな♡」
自分の氣の場所によって反応が変わる。「もう少し冷静に観た方がいいよ」。内面に小さく響く声。
「アタマで勝つ?そのアタマで?!全然方向が違うと思うよ…?」
自分を笑ってるアドバイスもあった。なぜそんなに勝ちたいの?優位になりたいの?
劣っていると思っているからだよね。
「自分が認めていない」んだから、他人が認めるワケがない。
この意味(他の解釈もある)は、他人はいつも認めているけど、あなたが自分を認めない“思考”だから、どんなに周りが認めても、その思考がある限り、自分は「認められない」という事。
・自分を認めたら世界が変わった
・自分を認めたら周りが優しくなった
それは、自分からの見え方、脳の回路「思考」が変わったから。
昔と同じ反応?
試しにすっごく感じ悪い、自分が責められたような、不快だった文章を読んでみて下さい。過去に一つや二つそんな経験は誰でもあると思うので。
以前同様の反応ならば、自分の中にまだ同じものが存在しているという事。(それが悪いわけでなく、ただあると確認して、書き留めておいたらいい)
全く異なる反応、何とも思わない、何でこれを責められてると思った?などかつての反応に疑問に思える位なら、使う回路も変わり、見え方が変わった(又は最中)、という事になる。
見え方が変わるというのは「世界が変わった!」と衝撃を受けるほど、クリアな視界になります。
だがしかし?!
それがね。左へ右へ散々行き来して納まる所、“中庸”にいる事が多くなると、分からなくなる時がある。
良く見えたものが、イヤこれはもしかして、○○なんじゃないか…と、逆に信用できなくなったり。
これは「善悪」、「良し悪し」の両極で見ようとしている時に出るね。本来、それをただ見ればいいだけなのに。
これはホントに「世の中必然しかないな」と点が線になりつつあるから思うのだけど、私はもの凄く真っ直ぐだったのね、どちらかに。
若い頃は自分の思い込んだ方向にただまっしぐら…、そして壁にぶつかる。それを何度か繰り返した時に、右に左に振られて、段々と真ん中に納まるんだ…と経験から気づいていった。
長い事やってきた習慣は沁み付いているから無かった事にはならない。何かの拍子にヒョコっと顔を出したりする。
それを見て気づく、古い思考が出ていた、と。
相手(外)を見ている・読んでいるつもりでも、自分がそこに反映されている。自分の思考のパターンがあるから。
目に映っているものは、同じ地点からなら同じものが見えているはずなのに、「アウトプット」されるものはもう、千差万別。
自分以外のもの全てが自分のヒントになっている。
「人は鏡」という事なんですよね。
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「右脳でイメージして覚えたことを左脳で言語化する勉強法」なんてタイトルが目に入ってきた。(記事の内容は以下の内容ではありません)
あー、イタタタ。これよ、これこれ。私のアタマの使い方が。左じゃなくて、右偏りなのね。だから、「なんでみんな出来んの?」って感じる事が多いです。
要は、「勉強が苦手!」と暴露しているようなものだけど、魂はそれを求めてないからOK、きっと。絶対、メイビー…。
「目の前にある事」にどう反応するか、この起点から色んな方向へ様々に展開する。同じ出来事を見ていても、自分にある使い慣れた回路が反応して、いつものような展開まで導かれる、自然と。
見えない一連の流れなんて、わざわざ分解して考えたりしないもんね。もっと言うと、アタマが反応する前の「心の感じ」なんて、殆どすっ飛ばす。ある筈だけど、「ない」と錯覚するほど微細な動きを。
自分と他人、心と頭、魂と肉体…みんな繋がっていて単独では深まらない。見えるモノ見えないモノも一緒。
「繋がっている」って見えてないよね。そう「感じる」のが限界。
実際に繋がっちゃうと、一体として同じだから、「繋がっている」という表現も出来ないですね。
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と、書き上げていた昨日。夕方になりビシバシと、導きにより、知識と「深堀り」を与えられました。
実際の向き合いをメモした事を元に、次回書きたいと思います。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!