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どの「私」の行いか

いやいやこの時期ね。
その予報は見ていたけど、この11月初旬のポカポカ暖かすぎる陽気。
暑いくらいだけども(*_*;

ワン散歩時は、まだ八分丈?のものも履いているので、靴下は既に「冬物」に替えているその季節のゴチャ感、ま~色の組み合わせが気持ち悪いこと悪いこと(笑)

散歩準備で履き替えるたびに内心で「ひどいなぁ…」と思っている。でもそのまま行くけど(*^^)v

そして家の中は、日中は暑くなる事への対応で扇風機はまだ回しているし、先日用意したファンヒーターは置いてあるしで、これまた気持ち悪いこと悪いこと(笑)

色々が、ごちゃまぜにそれぞれがそこに「ある」のよね、この時期。


ちょっとこれは突発的に。

ある言葉を目にして、それについて少し考えた。メモを元に書いてみようと思う。(この文言の前に簡単な文章はある。前提は、その人の思いがどうこうでなく(どうこう以前に分からない)、”その言葉から私が感じた”こととして書いています)

・・・
人は負けたい
そんな気がした
・・・

何かに、同情したい⇒・同じ経験を持つから・傷の舐めあい・そうしてそこから出ない理由付け・自分の優位性のベースとして…そして、

●「”何か”に引っ付いていたいから」ではないか?と。

ちょうどこの後、まったく上記と関係ない所で、有名な”愛情ホルモン”の動画を目にした。

自分の内部(内面)のことは、意外と本当に「分からない」というのはあって、それを知ることに”他者”を使うという事は、既に多く知られていることだけども、それは幾重にも重なっているものもあり、同じ方向だけで捉える(解釈する)だけでは足りない、という事がある様に思う。


で、ここで感じたのは、何か、誰かが飛び出して行くことに「抵抗」があるのではないかと。今まで自分(達)とともにあった、身近な存在に感じていたような”人”が、どこか遠くへ行ってしまう様な、「自分の中に寂しい気持ち」を感じて、少し不安になるまたは、「その他者を不安にさせる」という様な顕れではないかと。


”仲間意識”というのは、その”仲間内”だからしっかりと働くものなので、その「外」となれば、それは蚊帳の外。”内側”にだけしっかりと濃厚に働く機能。

人というのは、言葉に出来ないだけで非常に敏感な生き物だと私は思っていて、そしてそれは当たり前だと思っているのだけども。

何度か触れていると思うけども、私達の”意識”は、殆どが古い意識に支配されたままで、知識として分かっている事とは全く違うものなので、分かっていながらその動作(発言)は不一致というものは多くある。


そういう捻じれヨジレで回転させて”出力”、ヒョーゲンされてくるので、(そこまでの)表を観たり裏を観たりの観測が必要なように感じる・・・これが、

《それは幾重にも重なっているものもあり、同じ方向だけで捉える(解釈する)だけでは足りない…》

と表現した所なのだけども。


仲間だもの、引き戻したい。それにはフムフム…。

そんな事はこちら側で考えなくとも無意識側で勝手に出来ることなので、だから余計にこちら(意識できる自分側)は、自然な「表現」としてその言葉を使い、その”意図”なんて自分では分からない、という事になる。

―――まったく違う扉から入る。

自分の脳内で考える限り、データ元は自分の体験・経験という素材になる。外の事象・その聴いた事のある言語、シチュエーション、自分の脳内から類似を引き出すのはよく言われていること。

そこには、本来の「事実」なんて関係なく、その様に自分の脳内の情報に合わせてごく自然に曲げられて処理し、表側へ言葉が上がってくる…そしてそれを出力―――発信。

この話はどちらが正しいか、の話ではなく、脳はその様に当たり前に私たちに”理解させ”、仮に多少の違和感があったとしても、それは無視して自分の脳内で片付けてしまう、ということが行われている。


”自分内”で処理は終えているから、それはごく自然に外へ出されてくるのだけども、後に「あれ、違う」という事があったりと、私たちが多く経験することで、それだけ誰でも、通常は「自分の思う範囲」でしか思考する事ができない、という事になる。

例えばもし、「主」というものの意味を”この私”という、自覚上の自分を言うのだとしたら、それは自分の中から「私」というものを作っていかなければその”主”という存在は、それまでは「別のモノ」かもしれない。

機能から働きを活用しつつ、この想える”意志”を上手く乗せる…、働きによって出力されたそれらをこの目で確かめ、それを自らに戻しまた意志を動かしていける。

そんな事が自分のコントロール下に置くことができたら、「主」が創られてきた、と少し思っても良いのかもしれない。機能という”私”から、「この私」というものへ替わっていく。「私」すら、その実態はいつも同じではない。

それを、日々こなし続けているのが、私たちなんだろうと思う。

※(ここでの”主”は、完全に「自分という一人の存在」においての話。全体という”世界と個”という意味を加味していない)


冒頭を書き始め、すぐに思い出す。

11月入ると、水が冷たく感じていたよなぁ…と。

まだそんな事を感じることなく普通に水を触っている。”スーパーエルニーニョ”って言ったよね。

暖かい冬になる事は有り難い。

燃料、高いもんね。

早く「代替品」が普及していくと良いね。(大きな力になっていくと良いね!)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!