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どこで落ち合うか

たとえば、例えばね…。

”問い”というのは、具体的であれば「それ」というもの(こと)に対して答えれば良い、という事は明らかなんだけど。

勿論、それに対して知っていなければ答えるという事すら”出来なくなってしまうのだけども。

もう1つ。

それ以外でも答えられない状況というのは、やっぱりあると思うんだね。


逆にかなりの広範囲に於いて、「知ってしまっている」というもの。ここは絶対に間違ってもらっては困るのだけども、私は”知らない側”の人なので、あくまでも他者の話。

そういう人の”答え方”というのは、「具体的」には言っていないね。それだけ広い範囲で視えているモノがあるから、それらからの事を抽象的な「例」で言う形をとる。それが”最適”なスタンスになる。

多角的に観えてしまうので、具体的な事から離れてしまう。様々なパターンの想定、考え方が一度に視えてしまうのだと思う。


私は「知らない人」だけども、”様々”の内の幾らかは観えるので、そこから書いて行くと、色んなものが”視えてしまう”という事は、便利なようで内容によっては全く大変、不便な見方でもある。

例えば、現在noteでは、お題企画「#レベルアップしたいこと」を募集している。~5/28までの企画になっていて、見つけた時には「応募しようかな」と、軽く頭に引っ掛かけておいた。


フックしたものは、意識しなくても常に背後に存在している状態。全く静かに私の一部を占領し、”組み立て”のタイミングをいつもどこかでスタンバイしている。

そんな状態のベースの上に、自らの意識をフッとそちらに向けるとその瞬間に、”具体的”にする事の色濃さに少しの”違い”を感じる―――。

・レベルアップしたい事なんて、関心事はみんなそうだよな…
・レベルアップをしたいって…当たり前だしなぁ…


そんな、自分の中で当たり前の”前提”になっている、身体(無意識)の一部を削って具体化するような動作に対して、エネルギーを使う事に自分の内側が反応する。

身体的”習慣”にされている事を、脳的に考える時には、その前の段階に戻さなければいけないという「逆」の動作をしなければならなくなるものだから。

これはどちらが”普通”とか、”正しい”とかではなく、「行い」の矢印の方向が逆という、性質の”向き”の違いと考えている。この向きが世の中で言う「一般的(多数)」であるから、世にあってそれは自然に行われていく事も多い…。

・・・

日中に上記を下書きしておいて、どの様に繋げて行くかはこの時点では見えていなかった。だけどその後にふと目に止めた過去メモの内容が引っ掛かった。

私は今までに何度も「私の捉え方が”逆”か?」という事を書いていて、それは過去に何度も、どう考えても世の中と”逆”になる理解が度々出てくる事があったからなのだけども。

昨日も過去メモを目にしてそう感じていたのだけども、簡単に書いてしまうと、表現(ヒョーゲンでも可)させるものをどこから引っ張ってくるか、という事。


”情報”は、確かに脳内にもあるのだけども、身体化されたものは、既出の通り身体(無意識)の一部を削って具体化するような動作となって、このタイプの表現は、私にとって決して簡単な事ではない行いになる。

無意識に行うものを自覚する意識に上げる事が難しいのと同じように、そこから引き上げてくる事に労力がかかり内側から”反応”が出る、という事に結びついた。

今年は、関われそうなものは出来るだけ”挑戦”のスタンスを持ちたい、という思いと、いざそれを実行する時に観えてくるものとの引き合い。全く「ムリ」ならそもそも引っ掛かる事なくスルーされたもの(笑)

今決める事でもないので、フックしたまま様子をみようと思う。


脳の使い方が「逆」。

この表現は正しくないと思うのだけども、回路の回り方などはやはり”同じ”とは思えない。その”状態”の場所からどちら方向へ向いて動いて行くか、という事が、同じであるはずがない、と感じる。

そんな脳内ベクトルを何度も感じているうちに以下のシチュエーションを思い出す…、「両方から向かってきて丁度」。

・・・

落ち合う所は「ピッタリ」の場所。
上記の、両方の矢印のイメージが出来た時、先日の知人とのシーンがはっきりと浮かんできた。

⦅そう言う事か…⦆

あの時、知人とのそのシーンに思ったままに言葉を付けているのだけども、どこかあまりにも「ピッタリ」過ぎて、内心で「何にどう繋がるのかな…」と思っていた。

”繋がる”というはっきりとした表現は的確でないのだけども、納得したのはまた別の引き出された”捉え方”の方だった。


目の前の”現実”に起きている事それ自体・その時点では、何も分かっていない。ソレに注目してしまえば、ただタイミングが良いとか、丁度ピッタリ…と言った”印象”だけだった。

それが全く関係ない上記に書いてきた事象を通して、その時の”状態”を分かり易くするようなイメージが、先に現実でなされている。それによって、「行い」の矢印の方向が逆、という事をアタマの中で探しやすくなっていたように感じた。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!