見出し画像

行かないと見えない景色

(これも大体一週間ほど前のメモ)

最大の違いは、「自分の中、想定・自覚のものと、自分の外側へ」という外への移動のものとの違い。

これが、ここという所から抜ける(飛び出せる)かどうかという事だったのだと説明ができる。

進んでこないと本当に見えてこない事ばかり。”そこに行かないと見えない景色”は、本当にどこにでもその通り。

だもの…、見えていない景色なんてあちこちだね。

・・・

人は、言葉でなく長いこと観ていることで、その中に感じたモノで判定しているという事になる。使う言葉、その内容で判定する存在と、感じるモノから自然な判定に至る存在と分かれる。

どこを見ているかさえも、そもそも人によって違う。

・・・

人は殆ど機械と変わらないと、つくづく感じた。
データの活用でこの現実に合っているような思考をする。
確かに合っている…だけどまったく実は合っていない

・・・

「私」の純度を上げることで、他者のそれを許すことが可能になって行く。もし”それはムリ~”な出来事を他者に見た時は、「私はそうならない」の反面教師にして良いわけで。

だってそもそも、他者は私ではない。

私の所有(物)でもないし、独立した個の存在だ。

・・・

”他者のため”が同時に自分のためになっている、と認識できていれば利は両方にあるためそれでよく。

”私のため”が誰かのためになっている、と認識できていればまた同じ。

結局また、”意識する事”に繋がる。この両方が自分に上がっているかというだけだった。たったこれだけが、人にはとても難しいのだと分かった。

片方だと自己犠牲をどこかに感じたり、自分だけ良い思いを…とすると罪悪感が生まれたり。本来は関係のない観念を引き出して苦を生んでいる。

・・・ ・・・ ・・・

自分のみえている範囲でしかモノ・コトを考えることができない為、色々なものが意識側に上がっている事は有利だろうと想像はつく。

情報自体は、この「自分」の中に散々あるのだけども、その中で私自身が”私”に見つかっているもの、その存在を使ってあれこれの思案をする。

そして人は個により、様々な結び方を持っていて、それによって純粋にソレを考えることが非常に難しい存在になっている、と思っている。…、いや考えるという行いもまたある意味あいだに挟まれたものなんだよね、、。

・・・ ・・・ ・・・

奥に繋がっている内側、イコール「外」の世界。
こことの結び付きに隙がない鋭さ、ズレなさ。だから強い・キツい。

体験を通して外と一致させたことが、そこにしっかりとあるから”言葉”の世界(空間)とは全く違う印象がある。そしてきっとそこから、そのボリュームが多い(占める割合が多い)人は、”瞬間で見分けがつく”という様な、いわゆる嗅覚とか直観(で良いかな)があるだろうと思う。

内→外の通常(一般的)目線と、外←内への結び目線は明らかに違う。この向きが違うだけで、その人の印象は他の人とまったく異なる質として観えてくる。


↑これは「その朝」のツラツラ出てきたものの一つだけども、「人(人物)」というものがあって、言葉の直接的な鋭さを持った者というのがいるのだけども、その言葉の鋭さより全く違う所に”その鋭さがある”という事を雰囲気で感じていて。

それを”視てみる”と、このメモのようなものと繋がった。

同様のことは以前にも何度か触れているけども、一言で言えば「とにかく”現実(現場)”に目線が近い」ということ。この”現場”というものに直接「目」が置かれているので、余計な思・考がまったく挟まっていない。そこから捕えた事に直接言葉をつけている、という隙のない状態を感じていた。

言葉にする段階は、”私”というものの表現が入るので、また別の鋭さ(意図)を持って表わされているかもしれないけども、それ以前の目と現場の位置との一致、近さは、この様な「”通常”との違い」としてしっかりと現れていると思った。

この時は、”現行の一致”という表現では収まらない、動物的な鋭さという表現が近いと思った。

内から→、外から←のこの向きは、実際にはこの自分の持つ”目”で見るのだから全て「→」で良いわけなのだけど、こちらからの向きは省略され直ちに「←」という反応(反射)だけを受け取っているかの様な、”現場に目がついている”と表現をしたくなる”感じ”を思っていた。

この「目」というものの機能、その処理。

やっぱり無意識では”その状態”にはならないだろうと感じる。意識してその目の使い方をするという事は可能だけども、それより多くの”現場”にその目をくっつけてきたから、その鋭さがしっかりと出ているのだろうと思う。

この時、このパターンならば、”自覚がある”とは限らない。だけどその目線が自分に採用され続けるのは、無意識で自分(自身)が、その精度を認めている所があり、その結果がきちんと自分にフィードバックされる事で、その隙のない目線が維持されているのだろうと思う。

”自覚”することは重要だと思うけども、このパターンで自身の内側はしっかり保つことは可能だ。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!