過去への旅路

では、前回記事で前振りの「深堀り」を書いていきますが、始めに少し私の生い立ちに触れます。でないと流れが見えにくいのでね。


私が小1の年に両親は離婚しました。私と3つ上の姉は、父方の祖父母に育てられる事になります。

私は母が大好きで、恐らく母が離婚に絡む話を、父の両親としている場面に私は訳も分からずその場に居ました。

母の側に立っている私に、手を握ってきたあの時の寂しい目、表情はつい2年ほど前まで、私の心に残っていました。


その大好きな母は、姉に厳しかった父から姉を守っていたようで、私からすると「ママはお姉ちゃんが好きなんだ…」と悲しい気持ちがありました。心としてはそれが面白くなかったのです。


劣等感

劣等感の事に触れた記事を書き、そこで済んだとみえたコトが意識に上がった。


お姉ちゃん。

1)折り紙のシーンを思い出した

いつも角がピシッと尖らなかった、何度やっても。こっちを合わせると反対側がずれたりして、きちんとならない。いつも姉のようにキレイにできなかった。

2)私より運動神経も良かった

私は小4からのミニバスに始まり、高校までバスケ少女だった。自分の運動神経をずば抜けていると感じたこともないけど、運動音痴じゃなかったと思う。小さい頃から体の不調を訴える事が多かった姉の方が能力が上、という事を私は知っていた。

3)頭も良かった(そう見えた)

分からない事を聞けば私と全く違う考え方で答えに導いてくれる姉を、口に出さずとも「お姉ちゃん、凄い!」って感じていた。

全て、私は姉に勝てなかった。

【私は母が大好きだった。姉は母に守られていた】

そんな、「点」の事象が、私のアタマの中で結びつけたのは、大好きな母がそのお姉ちゃんが好きなら、私は勝ってやる、という思考。

ケンカもいつも勝てず、泣かされてばかりで悔しくて、一度だけ姉の胸に噛みついて泣かせたことがあった。その時の優越ったら(笑)

歯形がつき、泣く姉。勿論その時私は母に怒られましたけどね。


現在はどうでしょうか?

2年ほど前に姉に対しての自分の気持ちに触れたこともあり、済んだ事と思っていたけども、全てにおいて劣っていたと認知したまま、染みついたまま。もうそんな事から解放されていると思っていても、パターンはヒョコっと顔を出す。

3つ上の姉が私よりできる事が多くても不思議じゃないのに、成長過程で私は周囲から「評価」も「評判」もしっかり得ているのに。

そんな事は関係なく、残ったままになっている思考のクセ。

私の「認知のゆがみ」によるもの。

もの凄くハッキリしていて、白黒キッチリじゃないと嫌だった、。中途、グレー・曖昧…、許容できなかった自分。

それを少しずつ、グレーを増やし、「そうでいい。そうでなくてもいい。」とどっちつかずの状態もありなんだ、と緩く、ユルユルとしてきた。


何度も書いている通り、刻まれている回路は消えない。違う回路「思考」の線を濃くするように、そちらに慣れるまで繰り返す事で、その線が通常パターンとなり、既存回路は実質薄まる。

身に付くまでが少し力のいる所。

沁み付かせる為には反復しないと、脳は利口で手抜きだから、元のパターン回路を走らせる、そう学習したんだからね。


経験が増えるほど、クセになっている事も増えているはず。だから気づかないし、気づけてもエネルギーのいる事で、抜け出すのも億劫になる。

自分を知らないと、理想の自分も見えるはずはないからね。幻想も楽しいけども、それは現実とのバランスがあるから引き立つもの。

どんなによく見えても「偏りは偏り」という事を、今は遠くに見えても気づく時がきます。それは今世じゃないかもしれないけどもね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この、「深堀り」の内容が、それで合ってるか否か、正しいかどうかは、検証の必要はありません。

自分がふと思い当たり、思い出した事から、自分の抱えていた気持ちを見つけて拾い、それによって出来上がっていた思考パターン(認知)を探る。

それが今でも、今の自分の感じ方と合っているのかを、地道にポツポツと見つけていく…。

ノウハウを知るレベルは今や、ほぼ誰でもクリアできるのだから、「一歩前進したい!」という本気があるのなら、実践は避けられないです。


必ずやった者にしか分からない手応えってあるんですよね。人とは違う「オリジナル」しか見つからないんです。だから深くなっていけるのだと思います。

カタチを変えてもやっぱりダメ、ですかね?同じものならそりゃそうだ笑



「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!