”無関係”と思うその部分
11/17メモ
(続き)
とすると、大分つなげられるものが出てくる。
何度かこの感触を味わったけども。「何で分からなかったんだろう??」と。
結べない時は、どう頑張って意図・意識しても結べない。だけどそこへ行くまでに、その途中では何も分かっていないただのミチを進んでいるだけで、きっといろいろな点を拾い続け、点在させる。
ある程度の”ボリューム”、点が集まる事で何か、一気にババッと繋がってみえて”結ばれる”。
じゃあ、どうしたらその「点」は集められるんだろう…。?
ソレにまつわるものばかりを意識している訳じゃないし、だけど全く無関係の事からソコへは急には飛んでこないだろうし。
この”無関係”と感じる部分が重要で、こちらで思う(考える)関係の有無ではないから。
”結ぶ場所”というのは寧ろ、向こう側、私たちが通常意識しているコト(モノ)以外のところでなされているのだから。「抽象的な思考」をよく動かしておく事が近くなるのか(?)と考えてみる。
・・・
点在しているだけでは、繋がらなくて。
「何か」に焦点を当てている状態があるから、ソレというものへ向かって集められていく”要素”たち。
その「ヒューッと」していく状態が”括れた”という事でもあって、それはこちらの通常の認識できていることを、自分の意志を以て共通を探す・括るということと同じ様に観ている。
「場所」が違うだけ。向こうが勝手にやる。
それが行われている”場所”が、異なるだけだと私は思っている。
11/18メモ
恐らく”その時”は語られない。
身体と一体化した、溶け込んだその時というそこでは、語られない。
【”入り口”で言葉になり(やすく)、”出口”で消える】
意味を無視しただ、「初めに言葉ありき」とつなげてみる。
この時、この場所においては、”初め”の場所で言葉は使われている。だけど私は過去に、「言葉は”最後”」と言った。
私の感覚では今でもそう思っている、言葉は最後だと。
何が移動しているのか。
”自分の場所・居場所・その空間”
が違うので、「言葉」というものを表す位置が変わっている。それにより「初めか終わりか」ということの解釈が変わってしまう。念を押すと「初めに…」の、本来言われている意味を考えていない、ただの言葉から思うこととして書いたもの。
・・・
写し終えて補足で書こうとしたものを脳内に浮かべて気づく。「仕組みが同じだな…」と。これは後にするとして(忘れない様にここで引っ掛けておいた(笑))
私が以前は、”言葉は最後”としていたのは、確実に「自分の居場所」から観たものでしかなく、それは意識的にその様にしようとして行われている訳でもなく、「その様にしか捉えられない感覚がある」という表現をしたい。
言葉が”最後”とみえる場所に居た、言葉を最初とする所にいる。
自分の、自分というものの動きが今ある場所を基準にしてその様なハツゲンを変えてしまう。(ここで書いた「”出口”で消える」は、言葉自体になっているので、動作になるに従い身体に吸収され言葉としては消える、という意味で書いた)
意図していない、意識してやっていない、となればそれは「人の機能」としってその様に捉えてしまう”自然”があって、ではそれはそうであるならもう変えられない仕方のないものなのか、となればそう言う訳でもなく。
だから「自分の居場所」によってしまうとしているのだけども。
そして狭い(?)範囲で言うならば、脳内の”ピント”の調整(働き方)を替えることによってはそれは可能だろう、というもの。
その”フォーカス”によって見せられているのならば、”ぼかし”もあってよくて。またその双方があって凝り固まった見え方にいずれは緩みの変化が現れ、顕れる。
そんなイメージ的な話だけども、意外とデタラメでもない。
脳内のコトは、この世に大きく映し出されているから。
11/18メモ
フラクタル。しがらみは脳の結びつきそのもの。(Yの勤務時間帯変更から視えたもの)
ココを変えるという事は、それに紐づく周りのものも”替える”ことになり、ココだけで決定することが非常に難しいことがある。いや、かなり、殆ど?
時間帯変更になるのは、センターの都合の話であって、それによってドライバーの運搬時間、勤務時間が替わる。
「脳内と一緒だなぁ…」と。
”外の世界”に現れると、いじるのは難しくて、いや、内側・脳の中だって十分に難しいけども。
そしてそこから、この内側=脳内にあるものは必ず、外側=現実世界で作られるよな…と。
投影の見方もできるけど、リアルな形として顕す(露わにする)ことで世界が存在している。
ちょっと間を割愛するけども。
であれば、脳内は”明るい”方がいい。それが外側という現実の世界に顕れるのだから。今の状況??私たちの頭の中は一体、どうだったのかねぇ?
・・・
昨日も主人と話していたけども。
物流センター側は、来年に備えて効率をよくする事を目的として「変えてみる」という事が発端。それに対し、ドライバー達は、「結局元に戻るんじゃないか?」という予測。そんなにうまく行くとは思えないらしい。
それのどちらが当たるかという話ではなく、モノゴトは”単体”では動いていないからその周りと共に動く、動かさざるを得ない。だから様々なしがらみという繋がりなどがあれば「はいやります・変えます」という事がどれだけ難しいかは勿論想像がつくわけで。
だけど、それを言っていたらいつまでも何も変わらないから結局行く所まで行き、つまり尻に火が点くのだけども。
そしてこの会話の中でも結局は”そういう事だよね”、という一つの結びが出てくるのだけども。
「センターは、”(店舗に)物が届けばそれで終わり”と思ってて、運送会社は、”会社に戻るまでが業務”と思っている。自分たちのことが済めばいいって思ってるんだよね、センターは」
そう主人が言っているのを聞いて、自分の身を置く”立場”、位置なんだよな…と思っていた。
自社で運搬業務を抱えないやり方だから、運送会社を使うことになる。そしてコストは削るためルール(取り決め)の提示があるものの、それは社会の事情を見ることのない机上の計算。
「契約」という事において、対等であることは合意のはずでも、それは紙面上の話で、人はそこに目線の違いを自然と現してくる。”自分側の”立場・主張をいくらかでも”優位に”するのはどちらでも当然で、逆の側から見れば「そうじゃないよ」となる。
「向き」というのは、難しい話なんだよね。同じものをみていても見ている向きが違うだけで、時に「反対」になってしまうんだから…。
または、目的という”塊”の違いがあるので、何を主として集められた要素なのか、という事でも十分に違ってしまう。どこがポイント・重要なこととしているか、というのは、立場が違えば異なることも普通。それだけ「個々」はバラバラであるという事。
・
”脳と一緒”としたのは、固定化されたパターンとなっている自分固有の”結び付け(結ばれ方)”は、その様に紐づいてしまって、その場で簡単に壊すことはできない事だから。
それはその様に結ぶ事で「塊」として自分の中で成り立っていたわけで、それがバラバラになれば、違うカタチで結んで行くことで、新しいパターン、新しい思考ができるようになる。
新しい思考(結びつき)ができれば、今までにない選択を当然の様にしていき、その先の動作が変わってくるという流れになっていく。
いや。
新しいパターンを作ってクセ付けしてしまい、古いクセを壊してしまう。という方で良いわけだ。
私たちは、理屈・納得を得て動作に出ようとする。何だか分からないものにムダな事をしたくないから。だけどこれが脳の「古いままでいいんじゃね?」という怠けのスタイルでもあるので、やはり気をつけたい所。
脳は、”私達のため”に動いているんじゃなくて、”自分達の効率”の都合で動いている(笑)もっと言ったら、脳のその働き方は「腸内の生き物」によって決まっているかもしれないのだから。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!