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繋がり方・繫げ方。

これは私の「個人的な考え方」の色が濃いので、また”時間があったらシリーズ”(マガジン)に入れます。

いや、いつも発信というのは”個”によるものと言えるのだけど、現段階では、外との温度差を感じる、、というより”信仰”的なものは自分の意識している以上に重く・深く。

それに対しての考え方、なので、マガジンに入れます。

(希望としては、”マガジンのみで公開”というのが出来ればいいのだけど、仕組み的に出来ないので、一般でも公開=通常に読めてしまう、となり、外から見ればマガジンに入れる意味は?となるのだけども、私の中では脳内でその様に整理・区分けしています)

こういう前書き、説明補足の多い書き始めは、「それを了承して読んだのは自らですよ」という事を暗に示しています。

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私はもう、何年も前から「神に手を合わせている」と、書いています。それは子供の頃からの習慣で、教わった事ではなく、自分の環境が、その様に自然とさせた、と今は解釈をします。解釈の全てではないけども。

時に祈る(合掌する)事などから離れた時期も若い頃にはあったりして、また再び自然と合掌する、という習慣に戻っている、という流れがあります。


子供の頃のソレは、毎日その日の行いを振り返り、”神”と言われる存在に正直に告げ、反省を述べました。神というものがどんなモノなのか、知らずにただ行っていたものです。

大人になり、色んな知識が入って来たからと思う。その神はいつしか「直霊(なおひ)」と私は解釈していき、自分自身=自分自神という優先というか、順位(?)という考え方を身に付けた。

自身・自心・自神、私の中ではある意味”同じ”で、一番初めに繋がるべきは、「自分」だろう、という考え・在り方の元、どんどん自分に対しての繋がりを深めていく。

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一方、「外での事」としては、神は神社にいたり、パワースポットと言われる場所が多くあったりと、外へ外へとどんどん繋がりは広まり、意識は外側へ持っていかれる事が多く、それが常なのが「世の中」という外側、という様に私は遠くを見るように感じている。

情報というのはどんどん膨れ上がり、私の様な者でも言葉として記憶していなくても、脳内に留まってくれているモノはボチボチある。

その中に、「神の特徴」というのがあって、昔の神話から語り継がれるソレと、似た性格をしている、又は場面によってその性格が出る、という事を自ら感じるようになると・・・。


「外からエネルギーをもらわなくても、内から繋がり、そしてそれらは自分がしっかりと直霊と繋がる限り、きちんと(色々な神へと)拡大するもの、と考えるようになった。

ここに至るまでの経緯には、やはり「神さま」というものが好きで、憧れていて、色んな神の特徴(個性)を知っていく中で、自分の極浅い所で捉えたソレに、特別感を感じたり、自分を凄い、なんて思い違いをしてみたり、という恥ずかしい経験もしてきた。

それらを過ぎてきて、一般的に言われる「世の”神”」というものへの私の考え方はかなり薄れ、大きく永遠的な視点ではどんどん古いモノへとシフトしていく。


世の中の神の現われは、自分の中にそれが生まれた時に、自然と繋がる”人に近いモノ”と、私の解釈は変わらない。それだからこそ、繋がるという事が可能なのだろう、という様に思っている。色々な名の付く神には、自分がそうである限り自ずと繋がり、拡大していけるものと考えている。

同時に理解の範囲では、外からの信心で、その姿勢を型にハメてやり通す限りにおいては、同様に繋がっていく事は出来るだろう、と考えている。それをやり通すという事は、自分の心をそこへ向け続けるという、中途半端な事では成立しない事だから。


人それぞれの、人に合った進み方というものがある。長く続けるには、まず自分がソレに対して心底抵抗なく、普段として自分の一部に出来るかどうか、という馴染みなのだと思う。

追)内側から繋がっていく、というスタンスが私の常になっていても、時にそこ(外)から氣をもらおう、と無意識に引っ張られる事だってある。それは自分がそう思ったから行ったのか、繋がっているからそう思ったのか、は誰にも確かめようにない、「判らない」、否定も肯定もできない話、なのだ。

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昨晩、主人と話している中で、アファメーションだとか、潜在意識の書き換え、だとかについて聞かれて。私は私に於いての経験から考えを言っているだけなのだけども。

「それは、効果がないってこと?書き換わらないの?」

と、くどく言われて。

「私が話す事の大前提は、私の”実体験”から得た事、だから、他人のソレはどうとか、は深く考えていない。否定が出来るものじゃない。それによって、自分の流れに乗っていけるきっかけを掴む人だっているんでしょ?あなたみたいに…」

それでもきっと少し主人は、自分の中で引っかかっていたと思う。私と主人はやっている事は違うから、私は自分の事として話したのだけども、主人にとってはやっと見つけたソレが、「え?違うの?」と、解釈をしたのだと思う。


世の中に、正しい事・正解なんてない、というのはある一面ではそうなんだけど、でも私たちは無意識にでも、「自分は正しい事をしている」としっかりとそれを踏みしめた上に立っている。

その前提で話す言葉が、世の中に出回る訳だから、「世に正解がある」と考えて当然だよね。(おかしなことを平然と言うのは論外。もうそのレベルはいい加減にしてくれ)

シンからの自信(自芯)が太くなるまでは何回でもブレるし、揺れる。それらを繰り返すから、本当に自身が強くなるのだと思う。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!