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思いついたままに

「自分がとても小さく見えた」

という事は、大きなモノを知っている(その一部、その中にある)。

それを分かっている、という事。

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私が思っている「分からない」という事は、”未経験だから”という事と思っている。

(”分からない”の中身はそれだけでなく、自分で考える事もせずに「分からない」としている場合も多くはある、とも思うのだけども)

未経験で分からない、という場合の選択は、何をどれを選んでも、ハズレじゃないのだと思っている。その背景を取るか、表面を取るかという所。もちろん両方とも得られるもの、なんだけど。

未知にいるのだから、どちらの選択でもOKしかないんだよね。それの評価を後に付けるのが、自分の古い所から引っ張る”記憶。

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数日、内容でなく、似たような”夢”の見方をする。状態はトランスと言っていいと思う。アチコチのメモすら、そのまま書けない、言葉に出来なかったので、こちらの意識(表現)で繋ぎながら。


手のカタチをおぼろげに見つめ、激しく聞こえる雨音。左の耳でそれらを捉え、右耳に戻るとあちらなのか…見える景色が少し変わる。

強く激しく流される天の浄化。今この中(アタマ)をこのまま映しだしたいと思った。こうしてアラワレ、流し流されて行く。

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この世界、納得しては消え、納得しては消え・・・を繰り返す。話(法話?)をただ聞き、どんどん落としていく(肚に)。

その世界はあまりにも多く(ボリューム的)、流れが速く。これもあれも、と思ったそれらは何ひとつこうして具体的に書き出せない。たまに入る意思?そんなものさえ、どこに意思を使ったのかも分からないほど早い流れ。

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状況は昨日のソレと似ているけれど、今日のはこちらとの行き来がなく、”その中”が多かった。

”言葉にする”前にどんどん流れて消えた。

言葉にできたものは、引き出せる記憶にはなってくれなかった――この世界へは、その時に、必要なハタラキ方をしっかりしてくれるのが、このカラダ。

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こちら側で、”こちら”の考え方で捉えたら、何の意味もなさないような、この訳の分からん「世界」があるから、少し遊びもできるのだと思っている。

ただ基本的な考え方は、「この世界」が現実という捉え方で、それによって社会との繋がりがある訳で、やっぱりいきなり「あちらの世界」を主としてしまうのは、おかしなことになってしまう。

それが出来る人たちは、しっかりとこちらにも足を置いているから重さがある。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!