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今の自分を使う

今日の音声note「おしゃべりみかちゃん」、おもろいですよ(*^^*)
例のごとくまた、本を開いてビックリしちゃったから(笑)
(音声noteは、木・日にアップしています)



FacebookやTwitter、このnoteでも最近あちこちで書いているのだけども。

「今月は、本当に有り難い月になっている」

と感じている。

何が、どう変わるかその具体的プロセスなんて、自分では分からないもの。その見通しが立つなら、誰もが苦労はしないのだから。

自分の中に感じることは拾う。

自分自身はいつも何かを教え、導き続けてくれている。


7/4メモ

→→→から漠然とした”確信”を掴みながら進み続け「これで良い」、という事からの「情報」の到着。

理屈における確信へ変わった←←←。

OK。

”自分”がしっかり壊れている。
最高にオッケーだ!


矢印、”向きが変わる”という表現を、今までにも何度かしているのだけども、うっすらと頭の中にある画像(イメージ)に言葉をつけると”向き”が浮かぶから私は→や←を、この文字の中に普通に書くのだけど。

今回のメモで使った矢印は以前のような”意味”を持たず、今回の脳内での位置関係におけるもの。

私という「主」によって見ていためせん”→”が、ちょっと動作を挟んでボーッと浮かべた時に現れたモノに”観方”が変わり。その”目線”からなら、理解がスルスルと進んだ。


もう少し書くと、→の向きの時、「それはどういう事だ?」と、”私”と言う存在の中で思考を続ける状態があった。「こういう事かな、フムフム…こうかな」と、”イメージ”はできてはいるものの、強い手応えはあまりなかった。

動作を挟み…。

この時も動作は”トイレ”だったのだけど、その動作によって、”私”の思考は一旦緩み、ポワンと緩く内容を浮かばせるような脳内の”環境”はできた(ように思う)。

それによって←の向きからのアプローチとして視ることができ、更にそこに”具体的な事象”を引き上げてきて、”情報”と合致させることができたことにより「OK」とメモしていた。


”私”というモノ、存在からのアプローチでなく、”逆側から”のそれがまず欲しかった部分で、古い自分が「壊れていること」がとても大切な状況に、今の私は居るからだった。

”私”というカタチのしっかりある状態から、外からのモノによって、行動・思考を変えなければならない状況がくる事によって、結果的に”カタチ”がゆるむ。これは”欲しい”というより、必要な部分だった。

”具体的な事象”とした部分に上げたのは、私にとってのエマージェンシー、「オシリの事件簿」によって、身体を観、内部を感じ、食べ物を適したものに変え、行動・経過に注力していたこと。


これは、普段なら”オート”で済まされている事で、”私”と言う存在の一部、一体化された自らでは気づき難い部分だった。

ただ緊急事態が起きれば、誰でも自分をしっかり見つめて考える訳で、それは、普段の私の「あれが食べたい、こうする」などとは違う優先順位で動くもの。

”私”が「バラバラ」になったりすれば、一つ一つをよく見て選択の結果に動くことにフォーカスがされて、今までの惰性、延長で行い続けるパターンに自分自身が少し疑問を持つようになる、ということだった。


つい気を抜くと「氣」がフ~っと今までの”私”に流れていく現在の動作も、しっかり観続けている。安易にスマホを手にしようとする”私”などは一番判りやすい。(細かい目線が増えた)

これは書きながら思い出したけども、オシリに違和感を感じ、意識をそこに持ってしまい、今までと違う状態にあった緊急事態の時、考えた上での意識の方向転換をしたこと。

それは100%ではなく何度かに一度は困った違和感にも乗って行き、自分に少しの”遊び”も残した。

同じ様に、今の動作の中で、「私が目的に向かう為に必要なこととそれ以外のことと」。それ以外の全てを捨てるのではなく、やっぱり便利なスマホを時に、「思った瞬間、手にとっても良い」も何度かに一度は許す。


なぜ今またここで解消されている”お尻の事件簿”の話をわざわざ書いているかというと、それは頭に浮かんだからという事や話の説明の為、という事だけでなく、この「その時は何も分かっていない動作・行動」が、しっかり今の私の動作に大きな影響を与えている事を示したいから。

私はこれを書く前に、少しの”おやつと飲み物”を用意した。

その用意の段階で、「また前みたいに食べてる」という思いをしっかり拾っていた。

その意味は、あの時あれだけ身体を考えた食べ物にし、間食も避けていたけども、身体が以前同様によく動いてくれれば、また同じように「あれが食べたい・こうする」が自然と出てくると分かってくる。


実際に私は普通におやつと飲み物を口にして書き始めたのだけども、この「食べる」という選択の前に一度アタマに浮かぶようになるには、「その経験」がなければ何も止まることはないものだから。

真っ直ぐに進み続けることはスムーズ。

何某かの経験が挟まる事によって、その近辺で「考える」チャンスは現れるようになる。

それによって、どちらかの選択をするという事は、そこで確実に「自分の意思を通わせた」という事がしっかりと見えてくる。

惰性・流れだけでなく、現在の自分の意思の介入を(*^^*)

追)
以前に唯一受けたオンライン講座での内容が、ここでまた思い出される。一々、「これをするぞ!と、その動作する前に意識してからやってみて下さい」

そんな内容がワークの中にあって少しやった事がある。

疲れるんだ、これ(笑)
休み休みでないと全部なんてできないの。それだけ普段の動作に、私たちは”現在”に、「自分の意思を使わずに”オート”」という事と、私はこの講座内容をわざわざ憶えていたのではなく、自分に起きたことによって、”これがあった”と今引き出されている、ということ。

そんな思いに繋がって行った。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!