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無意識は主張する(前)

火曜日は主人が休みで買い物などが入り、いつもの様な調子で”自分”が自由に使える時間は少なくなる。

これは単なる事実で、一人では得られない主人との会話による気づきなど、話して初めて手に出来るものが入って来るからおもしろい。。。

と言っても、ここで今書いている内容は、「主人本人の母親との関係」に絡む”心理”の話で、私の直接の事ではなく、「私」に於いて言うならば、脳内の整理ができるという所、「なるほど」と頷く瞬間。


これに触れたく、簡単にメモをしているのだけども、記事は”前日書き”のスタイルを取るので、その文章へ構成する時間が今日は(29日)多く取れず明日にでも(1日)。

加えて、一昨日の夜PCのアップグレードをしておいて、夜になって初めて開くと、少し仕様が変わっていたりして、いつもの”慣れ”よりはあちこちを確かめてから…という確認と、今までにないものがチラホラ表示されているのをチェックだけして、また自分スタイルに整理するのは後ほどに回し…。

という口実(笑)を並べた上で、主人の話を書く前の「周辺話」に簡単に触れて今日は終わります。


「子ネコだと思う、うずくまってて・・・」

みんなで一緒にワン散歩に出かけ、帰宅してからのワン達のお手入れをしていた時。主人は何やら話し出した。

こんなタイミングで”ふむふむ”と聞き入る事が多いような気もした。


子ネコの話をただしているの。

主人は本当に普通に、ただただ子ネコの話をして、自分が「こう思っていた」、「それまで気持ちがモヤモヤした」、という様に心情を話してくれただけ、だったのだけども。

こう言うのはもう普通に、”その世界”に引き込まれるというのか、その世界が普通にメインになってしまって、主人が現実で出会った”出来事”というストーリーが、その世界の陰に隠れる瞬間になる。


聞いている私がその様になる、という意味で当の本人は「そういう自覚は一切ない」という状態。だから意識(無意識)って凄いな、としみじみ感じた所。

例えば知識で、例えば”こういう事だから”、という様に、「そうなる」という事は情報としては知ってはいる。だけどそれが自然な日常の流れの中で、普段の何気ない会話の中にスーッと現れ、本人の無意識が当人にバレないようにその口から飛び出してくる、というのを見せられる。


その時初めて私は、”知識を信じられる”という確信が掴める。「○○と言われている」という事は世の中に沢山あって、それの殆どを疑う事なく生きてきていたから。

ふわスピ(系)に転がり、クソッと思って本気で様々な探求が始まり心や脳の事への関心は強まった。その結果に少しずつ、1つずつ肚にモノコトが落とされて正しく疑う事を知った。


これは「全体という柄」の括りでまた別に書きたいと思うけども、頭の中はある意味カオス状態。その中から”分別”したものが自覚する意識側へ上がる、送り込むという様なイメージ。

ただ色々を雑多にザックリと大きく捉えられて保存されているモノコトを、きちんと整理・選り分ける事で具体的に見易くなる、という事がなされるように思う。


・・・とな(笑)

「当人にバレない様にその口から飛び出してくる」のか、私の思う所と全く違う着地に流されてきてしまった(*^。^*)

私の使った「言葉」が違う方向の扉へ繋げて行ってしまったね。

明日、まとめながら書き上げていくので、”人の抱える心理の話”として楽しみにしてください(*^^*)


幼い頃の経験、心(ここでは深く眠る意識)というのは、黙って消化(昇華)されるものじゃないんだよ、っていう観方もしてもらえれば、と思います。

(また明日ね!)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!