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読書会あれこれ

メタバースとリアルの読書会の違い、あとは互いを理解し合えないと現実的に思っているけれど、本を手に取る人には「それでも」希望を持っているという与太話。

メタバースと別に並行してリアルでも読書会を開催し続けているのですが。比較して感じるのは、匿名「ゆるい繋がり」が担保される一方で、互いの反応をアバターのリアクションを通して「ある程度」デジタル上で感情を推測しないといけないメタバースで主宰する読書会と違って、リアルでの読書会は当たり前だけれどよりダイレクトに喜怒哀楽が言葉のみならず「向き合った肉体からノンバーバルでかえってくる」のが、これはこれで楽しく。

また、特にこれはメタバースだからとか関係なく、うちのリアル読書会は良い意味で少数精鋭というか。多くの本好きとの交流が目的というより「少人数の固定メンバーで」何年も開催していることもあって、主催の私がいうのも何だけれど、気を使わずに純粋に本だけのことを、また「失言や間違っているかもしれないかもしれない事も含めて」本を起点に映画や漫画、時事ネタや歴史、美術話とか横断して越境して自由自在に繋げて話せるのが(あくまで個人的だが)すごく楽しい。

うん。「分断」が広がり、決定的になっている現在、ひたすらにたくさんの人と繋がって、猿山のボス猿よろしくSNSで影響力を日々誇示したり、その延長できらきらと表面上「互いを理解し合うふりをすること」を「私は」とっくの昔に自分から辞めているわけですが。(なのでリアルな交流イベントは既に引退しました。老害も自覚して)

その一方でメタバースでもリアルでも「本屋」「本」という意図的に設定しているフィルタリング、文化的バリア、ATフィールドを超えて出会っている人たちには「それでも」もしかしたら。と読書会をしていると希望はまだ持てている。

まあ、自分は根本的にはぶっちゃけ本なんて「別に読まなくてもどうでもいいとも思っているし」ポーズ的に「読書家ぶってインテリ気取りする人もそれはそれで鼻につきますが」それでも。と。

本という(これもフリペでも電子書籍でも何でもいい)【未知への扉を自分から、自分の意志で開けて入ってきた人】とは。だからこそ文化的で建設的、平和的な「対話」ができる可能性が高い。と思っている。しらんけど。

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