見出し画像

折り合いをつける

京都とメタバースの2つの世界で同時並行で過ごしながら思うこと。考える事。つまりは雑文。

”人生とは何かに認められることではなく、他者との交わりを通じて自らに納得できる妥協点「折り合いをつける」ことではないか”

そんな言葉が"また"自らに降りてきたので広げてみる。

すっかり秋、そして年末が近づく中。京都では年末年始を避けて「海外から帰国、数日後に集まりやすい東京で日本の親族たちと合流する。その前にせっかくだから久しぶりの日本観光に異国人のパートナーと」そんな方々や、京都の大学で学ぶ子どもが「正月に帰ってこないので、ちゃんと学んでいる(はずの)キャンパスを見た後、京都で食事でも」そんな感じで全国各地から訪れる方々と。おそらく世代が近くて話しやすいのであろうか。暫しの会話をする時間が増えていて。

その微笑ましい様子、すれ違う他者の人生に一瞬参加して(なぜか写真を一緒に撮られたり)いろいろな感情を呼び覚まされている。

世界的にも知名度が高い観光地【京都ならではの「来てもらえる」からのありがたさ】というか。(オーバーツーリズムとかの混雑さにばかりイライラしてしまう部分も反面あるとはいえ)その正の部分への感謝は忘れず。そして「来てもらえることが当然」と考えるような【驕り、勘違いは気をつけないといけないな】と自戒したり。

と、同時並行で。メタバースでは、週末は制作した「バー型店舗」その”2階に”【ミニギャラリー的な機能を追加】こちらはこちらで。リアルのことは全く知らないメタバースで交流する表現者たち。彼ら彼女らの作品を「自分の運営するリアル空間(はっち)の2階で展示紹介しつつ」でもやっぱり「(来場者の属性を考えると"メタバース内でも”鑑賞できる」ことが可能であった方がいいだろうと。拙い技術力は諦めつつ、なんとかのアイデア上の工夫で頑張っていた。(結果「展示予定の作家」が喜んでくれていて安堵している)
→はっちは「リアル」「メタバース」どちらも同時に展示可能に(祝)

プログラムスキルはもちろん、設計的な知識もないわけですが。メタバースに「人が実際に交流できる空間」をゼロから自由に作り出す。オンラインゲーム利用者には当たり前の機能、感覚かもしれませんが。これはやはり「場づくり歴の長い」私にはとても面白く、新鮮です。

”色々あって”昨夜も、横浜読書会さんとの月1コラボ読書会も、これまた別に【自ら制作、リニューアル、手を入れたばかり】の一つ「図書館型店舗」で開催していたのですが。自分の空間の出来栄えに自己満足しつつ(笑)その中【限定であっても】アバターを介して本好きたちと暫しの知的、平和的な時間を持てる事を「分断の時代」において、本当に貴重でありがたいと思った。

・・やはり、まとまりませんが。

まあ、つまり。

人生の午後の私ですが。いつか「長年の友人たちと再会。昔話や近況報告をしながら時間を過ごす」そんな機会への憧れもないわけではありませんが。

ただ「今は」毎日、リアル、メタバースの2つの世界で、同時進行的に「一期一会的にすれ違う人たち」「初めましての人たち」と会話をしながら。自分の半生、これまでを確認するかのように【丁寧に踏み締める日々】を過ごしたく思うのです。

過去と現在を振り返るより、先へ先へ。まだ見ぬ未来へ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?