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悩みに悩んだその結果

めちゃくちゃ考えている。

めちゃくちゃめちゃくちゃ悩んでいる。

結局、

自立とは何ぞや

自立支援とは何ぞや

という答えが出るわけでもなく

ただただ悩み続けている毎日。

『意識変われば行動変わる』

そんな言葉がある。

けど、変えられないものもある。

障がいを理由に出来ないこと

中でも、

機能的に欠損していることで

意識があろうとも出来ないこともある。

欠損している部分を

代わりの部分で出来るようにすることも出来る。

 ⇒ それは技能訓練。リハビリ。

それ以外の事柄に関しては、

出来るようにする為に『意識』が大事。

意識が出来れば習慣が変わる。

習慣が変われば当たり前が変わる。

僕らがしているのは自立訓練

つまりは、メンタルやマインドのリハビリ

出来ないものを出来るように変えること

それは非常に大変で過酷なこと

だって出来ないんだもの

勝手に出来るようになんてならない

体力労力使うし頭も使う

方法は色々ある

何を持って出来るのかの評価を分析

出来るまでのロジックを組み立てる

スモールステップの積み重ねで

少しずつクリアしていく

ハードルを下げるのも一つ方法だよね

それも出来たと認識できるかもしれない

まったく別の代替案を提案する。

それは出来たと認識できる?

ゴールは一緒の状態で

別の方法を提示する。

それは出来たと思うけど

納得感はあるのかな。

妥協の末に生まれる納得感なのかな。

そもそも

障がいがあるという理由で

出来る出来ないを

強要されるのってどうなのかな?

自立支援だから仕方のないこと

いやいや

自立していない人は

障がいあるなし関係なく

たくさんいるはず

何が重要なのか

成長や変化は生きる糧だと思う

だらだら平穏な日々も安心安全でいいもの

でも

自分は変わっていなくとも

周りや社会が変わることがある

そうなると自分の思考を変えなければ

周りとのズレがどんどん広がる

ズレを個性とし

私は私で生きていく

はぁカッコいい

そんな強さがあれば

それでいいかもしれない

でも、

たいていのヒトは

そんな屈強メンタル

持ち合わせてない

自分に自信満々なヒトも早々いない

当事者が合わせるか

周りや社会が合わせるか

どちらかしかない

ほんとに?

相手に求めるのは簡単

でも相手を動かすのは難しい

相手に自分の求めるレベルを求めるのも

自分勝手すぎる

自分が動く

その方がゴールまでの道のりは早い

でも

自分だけが動くのも違う

相手が動いてくれるように自分も動く

自分のことを知ってもらう

それが

助け合いに繋がるのではないかな

障がいあるなしではない

ヒトとしてのつながり

ヒトとしての自立

僕らが必要としている自立

それはそんなこと

ADLを上げるために

出来ることを増やすために

それだけの話ではない

いかに自分のことを

理解、納得、伝達できるか

いかに周りを

巻き込めるのか利用できるか思いやれるか

それがヒトとしての自立

となれば…

今まで使っている支援計画って…

このままでよい…?

いや、ダメだ!

ん?計画変えるだけで出来ることか?

違うな。

提供側の意識を変えないと何も変わらない。

僕らが支援する側が

その方と社会をいかに知っているか

どのように伝えるのか

支援者としての配慮がそこには必要。

サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!