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昔話に学ぶ《m》

今日はね

『3匹のくま』を深読みしていくよ。

非常に可愛らしいお話

でも、どこかハテナな部分も多くて

子どもながらに

頭の上には???状態でした。

僕はあまり好きじゃなかったな。

なんで好きじゃないのか

それはきっと読んでみれば

共感してもらえると思う。

3匹のくま

3匹の子ブタ

3枚のおふだ

3匹のヤギがらがらどん

なぜ匹なのか

ここには心理的に

よくよく考えられたギミックが

仕組まれているんだけれど

これも織り交ぜながら考えてみよう。

『3匹のくま』

イギリスに伝わる童話で

もともとは『ゴルディロックスと3匹のくま』

というタイトルだったみたい

ゴルディロックスは女の子の名前

ゴルディは金色の

ロックスは巻き毛

金髪クルクルの女の子のお話なのです

外国って感じよね

森の中ってのもが外国っぽい

あらすじは以下…


昔むかし、

森で迷子になった女の子がいました。

森を歩いていると、

ある家を見かけました。

トントントン。

ドアをノックしても返事がないので、

女の子はそっと中に入りました。

キッチンのテーブルには

ボウルに入ったおかゆが3つ並んでいました。

大きいボウル、中くらいのボウル、小さいボウル

女の子は、端から順番に味見しました。

「これは熱すぎる」

「こっちは冷たすぎる」

「これはちょうどいいわ!」

お腹が空いていた女の子は、

小さいおわんのおかゆを、すっかり食べてしまいました。

おかゆをお腹いっぱい食べた女の子

なんだか疲れてしまったので、

居間にあったイスの上に座ることにしました。

イスは3つあります。

大きいイスは、高すぎます。

「これは大きすぎるわ。」

中くらいのイスは、座り心地がよくありません。

「こっちもまだ大きい。」

3つ目の一番小さいイスに座ると

女の子にピッタリでした。

楽しくなって揺らして遊んでいたら、

そのイスは壊れてしまいました。

しりもちをついてしまいました。

隣の部屋には、ベッドが3つありました。

お腹もいっぱい身体も動かした女の子

眠くなってきたので眠ることにしました。

大きいベッド

「これは硬すぎるわ。」

中くらいのベッド

「こっちは柔らかすぎる。」

小さなベッド

「これはちょうどいいわ」

女の子は3つ目のベッドに横になり眠りました。


しばらくすると、

3匹のくまが帰ってきました。

散歩に出かけていた3匹のくま

この家は

大きなお父さんぐま、お母さんぐま、子ぐまの家だったのです。

キッチンのテーブルをみて驚く3匹

「おや、わしのおかゆを食べたのは、だれだ?」

「まあ、私のおかゆを食べたのは、だあれ?」

お父さんぐまとお母さんぐまが、うなりました。

子ぐまが、泣き声で言いました。

「誰かが僕のおかゆを、食べちゃった!」

居間に行くとまたビックリ

「わしのイスにすわったのは、だれだ?」

「私のイスにすわったのは、だあれ?」

お父さんぐまとお母さんぐまが、うなりました。

そして、子ぐまは、

「誰かが僕のイスを、壊しちゃった!」

と、また泣き出しました。

くま達は

寝室も見てみました。

荒れた寝室にまたまたビックリ。

「わしのベッドに寝たのは、だれだ?」

「私のベッドで寝たのは、だあれ?」

というお父さんぐまとお母さんぐまの声が続き、

最後に、

「誰かが僕のベッドに寝て、まだ寝てるよ!」

と子ぐまが叫びました。

声に驚き、目を覚ました女の子

3匹のくまを見て、叫びました。

「きゃあああーっ!助けて~!」

そう言うと女の子は、

ベッドから飛び降り、

急いで部屋を出て、

慌てて窓から、森に走って逃げていきました。

女の子は、

二度と

3匹のくまのお家には戻ってきませんでした。

おしまい


「他人の家に勝手に入ってはいけません。」

「他人の食事を勝手に食べてはいけません。」

「他人の物を勝手に使ってはいけません。」

いくら可愛い女の子であっても

迷子であっても

してはいけないこと

モラルやマナーってあるよね

自分が悪い事をしたときは素直に謝る

これ大事

そもそもこの話の主人公は女の子?

食べられた壊された寝られた小ぐま?

女の子であれば

素行悪すぎない?

勝手に他人の家に上がりこんで

何の躊躇もなく他人の食べ物を食べ

勝手にイス壊し、ベッドで寝る

傍若無人も傍若無人

果敢にも程がある

ちょっとやりすぎな気がします

しかもバッドエンド。

森を迷子だったのに、その後が不明。

後味悪し

もし子ぐまだったとしたら

お粥食べられ、イス壊され、

ベッドで寝られ、で叫ばれ

踏んだり蹴ったりすぎるな。

きっとこの話には主人公はいない

俯瞰で起こった事象を伝えた物語なんだと思う

心理学において

選択肢が3つある場合

ヒトは大抵真ん中を選ぶ

これを極端の回避性と呼ぶ

松プラン:10,000円

竹プラン:5,000円

梅プラン:2,000円

大抵のヒトは竹プランを選んでしまう

この心理を使うと

選択肢の設定の使用によって

ヒトは誘導されたり、妨害されたり

することもある。

かといって選択肢が多すぎると、

人は選ぶことを辞めて何も買わなくなる

選択肢の設定の仕方でヒトは左右されてしまう

物語で女の子が

自分にちょうどいいものを選んでいる

ちょうどいい温度のおかゆ

ちょうどいいサイズの椅子

ちょうどいい硬さのベッド

自分にとってちょうどいいものを選ぶことを

『ゴルディロックスの原理』と呼ぶ

高いものでもなく

安すぎるものでもなく

硬いものでもなく

柔らかすぎるものでもなく

大きいものでもなく

小さいすぎるものでもなく

中間のものを選ぶ

『松竹梅の法則』とも言うみたい

選択肢の心理は

他にもあってね

別に二択であっても

操作誘導されちゃうこともある

例えば

お風呂にする?ご飯にする?

様々な選択肢がある中で

限定的に2つに絞られているけど

ヒトはどちらかを選んでしまう

シーンによっても違ってくるけど

宿題する前に ご飯にする?お風呂にする?

簡単なものしかないけど ご飯?お風呂?

前提を伝えることで

いつの間にか前説明部分は了承されてしまう

選ばされているとは思わずに

自分で自分の行動を決めているような感覚で

実は操作誘導されてしまう伝え方を

選択話法というんだとさ。

物語に出てくる心理的なギミックは

もう一つあって

くま家族のものを3回試す女の子

その結果に同じ流れでリアクションするくま家族

同じ展開の繰り返し

繰り返しにも意味がある

大事なことは2回言うじゃないけれど

楽譜のダカーポじゃないんだけれど

繰り返しって記憶に残りやすい

強調っていうのかな

また繰り返されることで

次はどうなのかなと

予測したり想像したりしてしまう

物語の展開を先回りして読もうとすることで

物語の世界に深く入り込んでしまう

物語ってさ

子ども達に伝えたい

子ども達を楽しませたい

その想いが強く現れているのが

素敵だと思うのだけれど

皆さんはどう思う?

「しあわせ」や「ゆたかさ」を探求し、

最低限の幸福と社会的援助を提供する

それぞれの自己肯定感を満たし、

存在や居場所を与え

目的に向かって助け合う。

それが福祉。

「しあわせ」や「ゆたかさ」の基準って

きっと人それぞれ違う

生活している周りの環境や

どんな人たちと関わってきたのか

どんな人生を歩んできたのか

何を教わって

何を見て聞いて

どう思ったか

人によって違ってくる。

みんな同じというわけではない。

自分がこう思っているから

相手もそうであろう

そんなはずがない。

ヒトによって

「しあわせ」や「ゆたかさ」

は違う。

その判断基準は

人生に現れる選択肢の選択によって

培われるんだと思う。

だから、

選択肢の種類や選択が変われば

判断基準も変わってくる。

けれど、

選択肢って

自分で選んでいるようで

周りに影響されちゃって

選ばされていることも

きっとあるんだと思う。

ゴルディロックスの法則とか

松竹梅の法則とか

選択話法みたいにさ。

きっとその時その場所そのシーンで

心理的なものが働いて

他の人はどうなんだろうとか

まぁこの位でいいかなみたいな

そんな選択肢の選び方を

してしまうこともあると思う。

私の「しあわせ」や「ゆたかさ」ってコレ!

明確にそんなものがあったとしてもさ

それは本当に自分の中で作り出したものなのか

たぶんどこかで折り合いをつけなければ

いつまでも悩み続けることになるんだろうな。

これって

自分探しをしているのと一緒なんだろうな。

さぁあなたはどんな

「しあわせ」や「ゆたかさ」を求める?

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サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!