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昔話に学ぶ《み》

僕の大好きな由来話

昔話には

どうしてこうなった

と理由を教えてくれる

不思議なお話がある

ファンタジックで

抽象的

ふわふわとしたお話だけれど

なんだか嫌いになれない

むしろ好き

そんな由来話

探してみると

色々ある

そんな由来話の一つ

『にんじんとごぼうとだいこん』

ってな話があるのだけれど

皆知っているかな。

割と有名なお話なんだけれど

内容は以下…


むかしむかし、

神様が

この世にいろいろな物を

お作りになったばかりの頃でした。

山また山のその奥に、

優しい神様がおられました。

キュウリにナスビにホウレンソウ、

皆みんな

この神様がお作りになったという、

野菜の神様でした。

ある日、

もっと野菜の種類を増やしたい、

そう思った神様は、

絵の具を取り出し、

何やら紙に書き始めました。

「一つは小さくて短いの、

 もう一つは細くて長いの、

 もう一つは丸くて大きいの。

 さて、どんな色にするかな。

 そうだ、模様を入れてみよう。

 ぺたぺたぺた・・・」

こうして、新しい野菜ができあがりました。

「名前はどうしようか。

 そうじゃ、

 おまえはにんじん、おまえはごぼう、

 おまえはだいこん、というのでどうじゃ」

神様が絵を指さすと、

絵の野菜たちが飛び出しました。

「にんじんごぼうだいこん、

 仲良くするんじゃぞ」

「はーい神様、

 綺麗な着物をありがとう」

他の野菜たちは、

この綺麗な模様を羨ましがりました。

にんじんごぼうだいこんは、

大得意になって見せびらかしていました。

それから。

年に一度、

国中の野菜が

神様の家に集まる日がやってきました。

にんじんごぼうだいこんは、

これに備えてお風呂に入りました。

ところが熱いお湯に入った途端、

ごぼうはポーンと飛び出して、

その上泥の中で転んでしまい真っ黒け。

だいこんはゴシゴシ体を洗いすぎて、

着物ごと洗い流して真っ白け。

にんじんはいつまでもお湯に入りすぎて、

真っ赤になってしまいました。

神様に、

前のような綺麗な模様の着物を書いてほしい

とお願いしましたが、

「お前たちは、

 あの着物を他の野菜に自慢しておったから、

 このままでよろしい」

そう言われてしまいました。

それからのことでした。

にんじんは赤、ごぼうは黒、だいこんは白、

になってしまったのは。

おしまい…


ほっほぅ...

野菜にまで物語があるだなんて

しかも野菜の色にまつわる逸話


科学や生物の勉強している人たちは

いやいや

野菜の色は色素の違いだよ

そうやって

簡単に一蹴りしてしまうかもしれないね

そうなんだよ

色素が違う

もっと詳しく言えば

フィトケミカルという

栄養素なんだけれど

これは植物自体が

太陽の紫外線などから身を守るために

身体の中から作り出した栄養素なんだよね

色によって

栄養素の種類は違っていて

赤系の野菜や果物には

→「リコピン」「カプサンチン」

オレンジ系には

→「プロビタミンA」「ゼアキサンチン」

黄色系には

→「ルティン」「フラボノイド」

緑色系には

→「クロロフィル」

紫色系には

→「アントシアニン」

黒色系には

→「クロロゲン酸」

白色系には

→「イソチオシアネート」「硫化アリル」

それぞれの栄養素は

それぞれに良さがあって

色が強い野菜は

それだけ栄養素も強い

とされているから

一人暮らしの時には

色の濃い野菜を食べるようにしなよ

って、ばぁちゃんに言われたなぁ…

野菜たちも気にしていた色

色彩の刺激は

大脳で記憶と結びついて

感情に働きかけくるため

色によるイメージの違いは

記憶や経験によっても違ってくるのですが

イメージだけではなく

「色彩の振動」というのが

皮膚から身体に直接働きかける、

とも言われています。

色彩の振動

そもそも色の違いは

光の波長の長さによって違ってくる

可視光線ってのがあって

分かりやすく言えば

虹のグラデーション

赤から紫までのグラデーション

波長の長いのが赤、短いのが紫

色によって光の波長は変わっている。

その波長の違いは

直接的に身体にも影響があるらしい

色のパワーってのがあって

そういうのを扱った

色彩心理ってのも奥深い分野なのだよ

なんて話は置いといて…


にんじんごぼうだいこん

何が悪かったんだろう

虎の威を借るキツネに近いのかな

別に自分が頑張って得たものでもない着物

さも自分の功績のように自慢したあげく

失くしてからその存在を知る

まぁ自分に持っていて

他者が持っていないもの

そもそも持っていたものだから

通常は気付きにくいもの

かもしれないけれど

お金持ちの家庭の息子だったり

公務員家庭のご子息だったり

二世タレント

がこれにあたるのかな

別に権力をもつこと

他人より抜きんでていることが

悪いことではない

それを自慢することによって

他者からの評価が

けして上がるわけではない

むしろそれなしでは

評価すら得られない

ということを教えてくれたのかな

福祉の仕事に携わる中で

自分ひとりの力って

ほんと微力だなって感じることが多い

何かを変えるにも

自分ひとりだと何にも変わらないし

何かを得ようとしても

何も得られない

誰かにどこかで助けてもらって

誰かの力と誰かの力で成り立っている

僕の力なんて

何にもなってない

ひとが集まれば

アイデアも集まるし

アイデアも湧く

お金も集まるし

アクションもしやすい

重たいものも動かせる

ホントありがたい

だからこそ

協力することが大事

そして

感謝することはもっと大事

支援があって当たり前じゃない

親がいて当たり前じゃない

環境があって当たり前じゃない

当たり前のことなんて何一つない

だから

ひとは集まる

そして協力する

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なんだか

背筋がビシっとしなきゃって思った

「しあわせ」や「ゆたかさ」を探求し、

最低限の幸福と社会的援助を提供する

それぞれの自己肯定感を満たし、

存在や居場所を与え

目的に向かって助け合う。それが福祉。

助け合うって大事。

それがどんなヒトでも。

失敗したとしてもそれはダメなことじゃない。

「しあわせ」じゃない

とか「ゆたか」じゃない

それってたまたまかもしれないし

自分もそもそも

「しあわせ」だとか「ゆたか」と

思ってないかもしれない

でも、その判断基準も合ってるかどうか

それ自体も分からない

色んな人に聞けば変わってくるかもしれないし

影響受けるかもしれない

たくさんのヒトと関わることで

自分にとっての

「しあわせ」「ゆたかさ」が磨かれる。

だから 関わる 助け合う

小さな幸せは身近すぎて

気がついてないだけかもしれない

小さな幸せが集まれば大きな幸せ

当たり前のように過ごす日々の中に

幸せはひっそりと隠れている

感謝すること伝えることで幸せは伝達する

そんなことを意識しながら毎日を頑張る…

久々にコレ言いました。

以上でーす。

サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!