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昔話に学ぶ《k》

今日は少しテイストを変えて

逆から考えてみようかな


「しあわせ」や「ゆたかさ」を探求し、

最低限の幸福と社会的援助を提供する

それぞれの自己肯定感を満たし、

存在や居場所を与え

目的に向かって助け合う。


そもそも

「しあわせ」とか「ゆたかさ」って何?

なんて

追求をすることがあるけれど

実際答えなんてものは

ないような気がする

「しあわせ」や「ゆたかさ」の基準は

きっと人それぞれ違う

生活している周りの環境や

どんな人たちと関わってきたのか

どんな人生を歩んできたのか

何を教わって

何を見て聞いて

どう思ったか

人によって違ってくる。

みんな同じというわけではない。

でもヒトは

「しあわせ」「ゆたかさ」を求める

しあわせにならなければいけない

ある種、強迫にもなりえる感情かもしれない

けれど、みんな持っている感情

しあわせになればなるほど

コレが本当にしあわせなのか

もっとしあわせにならなければ

しあわせになり、ゆたかになり

考える時間があればあるほど

ヒトは

「しあわせ」「ゆたかさ」を求める

それは

余裕が生む感情なんだと思う

まずは

身近な幸せを噛み締める

感謝を伝える

そんな些細なことなんだけど

どうしてもできない。そんなもんだ。

他人よりも自分が

周りよりもよりもっと

競争心が作り出す焦りとか恐怖心で

ヒトは

「しあわせ」や「ゆたかさ」の判断

も迷走してしまうことがある

今日は

そんな話を深堀していこうと思うんだけれど

いかがでしょうか?


今日は

『よくばりなイヌ』

イソップ童話の一つ

あらすじは以下…


肉をくわえたイヌが、

橋をわたっていました。

ふと下を見ると、

川の中にも肉をくわえたイヌがいます。

イヌはそれを見て思いました。

(あいつの肉の方が大きそうだ)

イヌはくやしくてたまりません。

(そうだ!

 あいつをおどかして、

 あの肉を取ってやろう!)

そこで、

イヌは

川の中のイヌに向かって

思いっきりほえました。

「ウゥー、ワン!!」

そのとたん、

くわえていた肉は

ポチャンと川の中に落ちてしまいました。

「ああー、あ」

川の中には、

がっかりしたイヌの顔が映っています。

さっきの川の中のイヌは、

水にうつった自分の顔だったのです。

おわり


みじかっ!

そしてバッドエンド!

端的かつ簡素的なストーリー

でも、

この短いストーリーの中に

全てが詰まっている気がする

自己啓発本

いっぱいいっぱい出ている

中でも

「しあわせ」について

書いてあるもの

たくさんある

こぞって最後は

しあわせになりたいのであれば

しあわせになろうとするのをやめましょう

これで終わることが多い

矛盾している?

いやいや。それが極論なんだ。

幸福とは

私たちが

常に「自らに教えなくてはならないもの」

「努力して目指さなければ手に入らないもの」

1998年に

アメリカの心理学者マーティン・セリグマン

が定義したものだけれど

これによって

ポジティブが正義、ネガティブが悪

常に最高の状態を維持していなければ不幸

みたいな風潮が出来てしまった

それも一つの考え方だし

間違ってはない。

そんな人たちもいるんだと思う。

でもそれだけではない気もする。


不幸があるから幸せがある

目の前の幸せに気付かないものが

ゆくゆくの幸せに満足できるはずがない

このイヌがどうすれば

ハッピーエンドとなるのだろうか

このバッドエンドから

どう切り替えていけるのだろうか

それを考えてみる。

この話

まずハッピーからスタートしている。

幸先のいいスタートであった

肉をくわえたイヌ

もうすでにハッピー

肉をどのように誰から

どういう意図で手に入れたのか

そこは全く書かれていない

イヌの並々ならぬ功績とか

ヒトに媚び諂ったのかとか

壮絶な争いの中で勝ち取ったとか

そんなことは全く

でも手に入れている肉

すでに幸せなんだ。

幸せに浸っている時に

ヒトは判断能力が失われる

地に足が着いていないとは

まさにこのこと

川の中にイヌがいれば

それは救助対象

しかし、

イヌは

そいつが咥えている肉にしか

目がいかなかった

それはそれは

自分よりも大きく感じた

腹立たしくてならなかった

あいつの方が幸せかもしれない

それが許されなかった

だから、肉を奪おうとした

これが、

交渉しようであっても

声を掛けようとしても

きっと肉は落ちただろう

そもそも、

その時点で幸せだった

それに気付けていなかったんだ

もし、

そのお肉を

道の途中で

お腹を空かせたモノに

分け与えたり

一旦橋の上に置いて

水の中のイヌを

まず確認するなどしてれば

ストーリーも変わっただろうに…

「私欲」に溺れるな

これが一番伝えたいことかもしれない

仏教の中でも

無欲の境地が最終ゴールである

涅槃がその形とされている

無欲こそが全ての苦しみからの解放

「悟りを開く」「解脱する」

「煩悩」「欲」を捨て去ることで

苦しむことがないとされている

別に肉を捨てろということではない

自分の満足だったり、

自分のことだけを

考えるのではなく

ヒトのしあわせを考えてみることも

必要だったのだと思う

仏教の「四無量心」

 ヒトの幸せを願う心:「慈」

 ヒトの心の痛みを分かち合う心:「悲」

 ヒトの喜びをともに喜ぶ心:「喜」

見返りを期待しない心:「捨」

この四つの心で

愛と善意をもって他人に接していくこと

それこそが、

その人の幸福につながっていく

これこそ福祉

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しあわせは

独り占めするのではなく

分け与えるもの

ヒトのしあわせが

私のしあわせ

それが大事

サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!