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昔話に学ぶ《や》

目から情報を入れたい私

耳で情報を聞き入れるのって

案外苦手で苦痛なのです

何より興味のないことを

耳から聞き入れるなんて高等技術は

からっきし持ち合わせておらず

苦痛の極みでしかない

でも、なぜだか落語は好きで

聞くだけで楽しめる

説明や音で相手にイメージさせる

古からの高等技術は

今なお観客を楽しませる

物凄いエンタメだと思う

寿限無や饅頭怖い

これらは有名どころかな

時そば、時うどんなんかも

有名だよね

くさった風

というお話はご存じかい?

内容は以下…


むかしむかし

勝浦に権左右衛門(ごんざえもん)という、

呉服屋の旦那さんがいた。

この呉服屋に、

太助という番頭が働いていた。

その年の夏は、

ことのほか暑かった。

旦那さんは太助を呼んで

「おいおい、太助や。

 ノリをたくさん作ってくれないか。

 たくさんな」

と、ノリ作りを頼んだ。

太助は、

いったいノリを何にするのだろう、

と思いながらも、

旦那から言われた通り、

大鍋いっぱいにノリを作った。

「おお、ノリができたか。

 では次は紙を繋ぎ合わせて、

 畳十畳の袋を作ってくれないか」

「ええ、畳十畳の袋ですか」

「そうだ」

「・・・へえ、分かりました」

主人に、逆らうわけにはいかない。

「一体、こんな大きな袋何にするのだろう」

と、思いながら紙を貼り合わせて、

大きな大きな袋を作った。

次の日、太助が

「旦那さん、十畳の袋、出来ました」

と、持っていくと

「おお、出来たか。ごくろうさん。」

と、喜んだ。そうして、言った。

「太助や、

 この袋を持って、八幡岬に登ってくれ。

 そうして、

 この袋に風をいっぱい入れて来てくれ」

八幡岬は勝浦の海につきでた岬で、

海から強い吹いてくる所だ。

太助は袋を背負って、

岬への山道を登って行った。

岬のてっぺんに着いた時は、

ビッショリ汗をかいていた。

岬のてっぺんに着くと、

勝浦の海が目の下に見えた。

そうして、

潮の香をいっぱい含んだ風が吹いてきた。

太助が袋の口を開けて、

海の方に向けると、

袋はどんどん膨れて、

大きな風船のように膨らんだ。

太助は、(これでよし)と思いながら、

袋の口を紐で縛って、山を下り始めた。

袋は、重くはない畳十畳十畳の袋である、

あっちの木にひっかり、

こっちの木にひっかかり、

時には風が吹くと宙に体が浮いて、大変だった。

店に帰ると、旦那は

「ごくろうさん。ありがとうよ」

と、縁側でうちわを仰ぎながら、涼んでいた。

「さあ、袋の口をわしの方に向けてくれ」

と言った。

太助は袋の紐を解いて、旦那さんに向けた。

すると、旦那さんは

「こりゃ、涼しい。あぁ気持ちいい」

と、目を細めた。

旦那は、次の日も太助に言った。

「申し訳ないないが、

 今日も

 八幡岬に行って、

 風を汲んできてはくれまいか」

旦那さんの頼みである、断ることは出来ない。

太助は袋を担いでまた八幡岬に登った。

そうして、

帰ってきて袋の口を開いて、風を出した。

旦那は、昨日と同じように、

「ああ、気持ちいい」

と、目を細めた。

次の日、その次の日も続いた。

その日は、いつもより暑かった。

太助はいつものように、

八幡岬の風を袋に入れて、山道を下った。

あまりにも暑い。

我慢出来なくなった太助は

(少しくらいならよかろう)と、

袋の口紐を少し緩めて、風を出した。

「おお、なんと気持ちよいこと」

独り言を言いながら、風に当たっていた。

汗はたちまち引っ込んでしまった。

「こりゃあ、気持ちいいや。

 旦那さんが喜ぶのも、無理はない。

 もう少し、もう少し」

と、思ってうちに、袋は萎んできた。

「困ったぞ。

 また岬のてっぺんに登るのも、

 面倒だし・・・」

と、しばらく考えた。

太助はいきなり、

袋の口にお尻を入れた。

そうして力いっぱいふんばった。

ボワーン ボワーン

屁をこいた。

「まだ袋は膨らまない」

ボワーン ボワーン

また、力いっぱいふんばった。

袋は元のように膨らんだ。

「これでよし」

太助は膨らんだ袋を担いで、帰って来た。

そうして、

「旦那さん、風をどうぞ」

と、いつものように風を送ってやった。

すると、だんなさんは

「おい、太助や、

 今日の風は臭いがどうしたのだ」

と、訊ねてきた。

すると、太助はすました顔をして

「そうですか。風が腐ったのでしょう。

 こんなに暑いと、

 魚も何でも腐ってしまうから、

 腐ったのでしょう」

と、答えた。

「そうか、風もこの暑さで、

 魚と同じように腐ってしまったか。」

旦那さんはそう言いながら、

鼻をつまみ、風に当たっていた。

次の日から

旦那は、

風を取ってくるようにとは言わなくなったと。

おしまい…


きっとうちの子は爆笑

テレビ番組やアニメ

youtubeで

サラッと流れる下ネタで

大うけする真っ盛りの我が子たち

小さい子たちを魅了する下ネタ

何がどうしてツボなのか

きっとそれで笑えるくらい

こころの容量が有り余っているんだろうな

と感じる今日この頃

違う

そういうことを言いたいんじゃない

結果論で成果を求めがちな社会人

結果、見えているものだけで判断する

それって案外怖くない?

ヒトに仕事を依頼し、託し、お願いする

その上で信頼/信用を置くということ

なんだろうけれど

果たして全面的に見えている結果だけを

評価対象にしてしまっていいのだろうか

僕の中では過程が大事

工程で繰り広げられる努力や苦労

手を抜こうと思えば

見られてなければいくらでも

本来は手を抜けれる

だけれど

果たしてどうしているのか

そこも踏まえて

過程が大事だと思う

結果論の結果を決めるのは誰か

それはお客様、依頼主

結果を判断するのも

お客様、依頼主であることは理解している

もちろん結果がどうであるかは重要

その通りではある

その結果を導いたのは過程であり

それがそうなったのがどうしてか

ここが理解出来ていないと

同じ結果に行き着かないことも

十分あり得る

小さなゴールでも

結果を軽視、軽んじてしまうと

目的を誤ったり

結果に行き着かないことだって

あるとは思うんだ。

長い目で見てみて

太助は旦那さんから

風を取ってくる仕事を

頼まれなくなった

旦那さんは依頼された仕事を

全うしてくれるから太助に

信頼を置いており

無茶なお願いをした

仕事を頼まれなくなった

ということは

信頼も少し失ったと同意である

今回の出演者は

太助と権左右衛門の2名

だから

面倒な仕事を頼まれなくなった

よかったよかった

という太助目線の

目先の目標達成のお話となっていたが

これが

権左右衛門と太助

その他にも依頼先が複数あった場合

太助はその選別から外れたこととなる

くさった風を浴びせたがために

仕事を干された太助

今後の生活はどうなるのやら

無条件に

結果をディスりたがる

批判したがりや

何人にも攻撃したがる

サディスティックな面々がのさばる中で

非常に生きにくい社会かもしれないけれど

そんな人たちが

ふと

攻撃される側、批判される側に

立った時

こんなにも折れるの早いんだ

慣れないことへの無抵抗感もハンパない

ほんと見てられないよ

加害者/被害者なんて言葉があるから

区分けされるんだけれど

それも結果論なだけで

どういう過程があって

どういう流れが繰り広げられたのち

そうなったのか

大事なのはそこな気がする

今攻撃をされている

責められている

批判されている方

心がしんどい方

そんな方は

きっと

その対象よりも心は強いはず

そんな環境でいること自体が

荒治療みたいなもんだよ

他者に相談してみたり

共感してもらえる人が見つかれば

途端に心は軽くなる

抱え込まない

一人で悩まない

誰かに話す

その行動が

どれだけ救われることになるのか

小さな一歩だけれど

大きな一歩でもある

福祉は万人のもの

誰のものでもある

いつなんどき

何かのきっかけで

障がいをもつことになるやもしれない

攻撃を受けることになるやもしれない

生活に困る状況になるやもしれない

でもね

日本でよかった

だって

【最低限度の生活】

つまりは

健康で

文化的な

生活水準を維持することができる状態

これは保証されているんだから。

国民の権利の一つとして掲げているんだから。

だからって

身を委ねていても

誰からも気づかれないし

誰も近寄って来れない

まずは誰かを頼る

その一言で

何か変わるかもしれない



サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!