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昔話に学ぶ《の》

『幸福の王子』

というお話を知っているかい?

なんとも端的で

分かりやすい題名

『幸福の王子』

このお話

ただただ深い

子どもの頃に読んだ私は

え?ホントに幸福なのかな

幸福って何?

そんなモヤモヤが残ってしまい

あまり好いて読めない物語でした

大人になって読んでみると

これまた深いのです。

なんともまぁ深い。

そして悲しい。

内容は以下…


むかしむかし

ある町に

「幸福な王子」と呼ばれる王子がいました。

ところが王子は突然亡くなり、

哀しんだ国民が

町に王子の銅像を建てました。

銅像の体には

金箔が貼られ、青い瞳はサファイア、

腰の剣には大きいルビーがつけられています。

ある日、

エジプトへ向かう途中のツバメが

王子の像で一休みしていると、

王子の銅像が

ツバメにお願い事があると話しかけました。

王子は、

「熱で苦しんでいる男の子が

 ここから見えるけど、

 男の子の家は

 貧しくて薬が買えないので、

 僕の剣についているルビーを

 男の子に渡してほしい」

と言いました。

ツバメは

王子の言う通り、

腰の剣についたルビーをはずして

熱で苦しむ男の子の元へ届けました。

次に王子は、

目のサファイアをはずして、

一つは才能のある貧しい若者へ、

もう一つはマッチ売りの少女に

渡すように頼みました。

王子は

両目を失ってしまいましたが、

とても清々しい気持ちでした。

エジプトを目指していたツバメは、

人の幸せのために

自分の目を失った王子を見て、

これからは自分が

王子の目の代わりになると決めました。

それからツバメは

町中を飛び回り、

貧しい人を見ては

王子に話して聞かせました。

王子は、

自分の体に貼られた金箔をはずして

貧しい人々に配るように伝え、

ツバメは言う通りにしました。

王子の体の金箔は全てはがされ、

ついに灰色の王子になってしまいました。

そして

町にも冬が訪れ

雪が降り出し、

寒さに弱いツバメは

王子に別れを告げると

力尽きて王子の足元に落ちました。

ツバメを失った哀しみから

王子の鉛の心臓ははじけてしまいました。

すっかり汚くなってしまった

幸福な王子を見た町の人は、

像を溶かそうとしました。

しかし

王子の鉛の心臓だけは溶けなかったので、

ツバメの死体とともに

ゴミとして捨てられてしまいました。

神様に

この町で一番美しいものを持ってくるように

と言われた天使は、

ゴミ捨て場から

王子の心臓とツバメを手に取りました。

それを見た神様はうなずき、

ふたりは天国で永遠の命を授かり、

天国で幸福に暮らしました。

おしまい…


王子とツバメの

自己満足珍道中日誌なのかな

幼い私はそのモヤモヤが

晴れないまま

自分の理解できないものに

そっと心の扉を閉めたんだと思います。

単純に言えば

このお話…嫌いでした。

そもそも恵まれた生活をしてきた王子

銅像になってようやく周りの状況に

目を向けることが出来た

目を向けた先は貧しい人々が生活する街

見つける人見つける人に

自分の出来得る財を分け与える

自分の能力や体力が欠けてもなお

協力してくれるツバメを信じて

動き続け

最終的には散ったのち

別の他者から評価され

永遠の命

人々の記憶に刻まれていく

自己満足サクセスストーリー

の胸くその悪さ

としか捉えられなかったのは

私の幼さ故かもしれない

経験不足、学びの乏しさ

ヒトとしての出来てなさ

だったのでしょう

そもそも

知ることが出来なかったこと

知ったからこそどうするのか

結果自分が出来ることをした

王子の凄さ

メリットや自分の損得を考えず

ただただ協力し続けた

ツバメの忠実さ

そして

物質的豊かさが幸福の尺度ではない

という概念がない王子の

考える幸福と

王子の心の満足度をあげるために

動き続けたツバメの

考える幸福

互いの幸福感のズレ

深いなぁと思うのです。

誰しも人は

幸福や不幸という感情はあるけれど

みんながみんな同じもので幸福を

感じているわけではない

王子のように

お金や食べ物、物資的なもので

満たされていることが

裕福で幸せと感じる人もいれば

ツバメのように

自分の信じる人に寄り添うこと

忠義の心を維持し続けることの幸せ

非常に抽象的ですがそういうものに

幸せや豊かさを感じる方もいるのです。

中には

物があっても

心が満たされていたとしても

満足を得られない人もいる。

億万長者でも、もっとお金が欲しい人もいる

周りの環境は整っているけれど、

ヒトによって感じ方も捉え方も違うように

幸福の概念もヒトによって変わってくる。

それを他者に押し付けることは

ただの自己満足でしかないけれど

それによって救われる命も0ではない。

得てして

慈善活動や慈善事業は

万人を救うものでもない

貧しい人々への愛のために

自己犠牲をも厭わなかった

王子。

これは

自分の目の前の人に対しての動きでしかない

そもそもその問題の根本解決をするためには…

であったり、

物を与えてその後の人々が収益を得ようという

動きが自発的に出来るかどうかなんていう

継続的な支援が出来ていたか

という視点が抜けていたようにも思える。

熱い思いや物質的な自己犠牲による奉仕

急進的かつストイックな献身ぶり…

現代の国の定める自立支援と現状の現場との相違

の滑稽さや皮肉ともとれる物語

ではなかろうか…

深い...

深すぎる...

ツバメや王子は結果永遠の命を得て

いいことも出来たと

満足で終わっているかもしれない。

でも、

王子たちの与えた財で

果たしてその後の生活はどう変わったんだろう

それは王子からの贈り物だと

きちんと気付いて

感謝感激雨霰

頑張って生活しますだ

王子様の気持ち嬉しや嬉し

私も他人の人に救いの手を

そんなムーブメントを起こせたのかね

そもそも王子様に気付いてもらえた方は

よかったかもしれないけれど

王子様に気付いてもらえなかった方は

どうしているの

王子様に気付いてもらえた方を知って

どう感じるの

それを経てどう生きていくの

全くもって自分に関係ない

知ったこっちゃない

私福を肥やせればそれでよい

そんな王子様だっているはず

銅像になってからの王子様は

自己満足であったとしても

自分の目の前の人々のために

働きかけ続けたこと

これ自体はものすごいことだと思うよ

ある種個人で基金しているようなもん

巷で噂の100万円配りおじさんと同意

なのかもしれない

大事なポイントとしては

その方が

自発的に自律自立するために

どう関わるべきか

きっかけを与えても

きっかけに気付けないと

意味をなさない

幸福の認識はヒトによって違う

知ることによって変わってくることもある

他者に押し付けるべきではないし

自分の人生は自分で考えるべき

様々な理由があり考えられない方もいる

そんな方々へ向けては

関わる、寄り添う、並走する

そんな気持ちが大事ではなかろうか

そんな気持ちを一人でも多くの方々が

持てれさえすれば

福祉なんて概念がなくても

みんな幸せな世界になるんじゃないかな

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サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!