「虹」と回想する青春時代、
とんだマイブームである。
空前の直太朗ブーム。ハマったらハマりまくる性分故、ずっと聞いている。
今日も今日とて、youtubeを漁っていたら、「虹」という曲に出くわした。
どこかで聞いたことある。そういえば、中学時代、合唱コンクールで課題曲になっていたような気がする。「虹」を聞きながら、その時考えていたことがフラッシュバックしたりして。
「自分」なんてものは存在しないんだということを、強く思い知った。「自分らしさ」なんてものは、所詮他人が作り上げるまやかしなのだと、知った。「演じる」ことの心苦しさに常に苛まれていた。実際思っていることと周りが持つイメージがかけ離れていることなんてしょっちゅうだった。言葉だけ知っていた「大人の事情」ってやつを身を以て知ったりもした。今でも学生時代のトラウマで、大人と話すのが怖い時もある。「中高時代に戻りたい」なんていう奴もいるが、俺は絶対に戻りたくない。そんな日々だった。もちろんいろんな現実を理解できただけ、結果的に良かったと思っているし、意味がなかったとは思わないから、感謝はしてるんだけど。やっぱり社会の縮図だったと感じる。
"色のない世界 不確かなものを 壊れないように隠し持ってる"
虹の歌詞の最も好きなところ。森山直太朗は、鋭く厳しく、深く、優しい。当時の僕も、きっと心の内に、言葉にならない葛藤を常に抱えて、きっとこの思いはいつか糧になると信じながら、濁った世界を見ていたんだな。というか、今もそうだな。
確かこの曲は他のクラスが歌ったような気がするんだけど、当時の自分が歌ったら泣いてたと思う、間違いなく。
音楽を始めたのは、葛藤している自分を救うためだった。自己完結した音楽の世界を少しずつ外に押し広げようと思ったのは、自分の音楽で、自分と同じ境遇の人間がもしいたら、絶対に救える自信がある、そう感じたからだ。
今、大学であまりに広い世界を知った私は、自分の小ささを痛感して、どこか試されているような感覚のまま、3年目の春を迎えてしまい、どうも無駄にしてしまったような気がしている。
「学校」は勉強は教えてくれるが、所詮は狭い世界である。息苦しくなる瞬間はある。「会社」は、対価としての金銭を与えてくれるが、天職は自分から探さなくてはならない。
心が葛藤した時、心がその「狭さ」に呼吸を荒げた時、寄り添える音楽を、広い世界に飛び出す燃料になる音楽を、時には目の前の敵を倒すための武器のような音楽を、僕は書いているつもりだ。
故に、どんなにポップなメロディでも僕たちは「ロックバンド」なのだ。
明日は下北沢Queでライブ。一回僕らに出会ってみてください。きっと刺さるから。
この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。