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活字の景色

朝コーヒーを淹れるとき、大事な試合や仕事の前、リラックスしたいときに聞きたい音楽があるような感覚で、読みたくなる本というものがある。

私は子供の頃から本が好きで、先生にも母にも、というか構ってくれる大人には片っ端から読み聞かせをせがむ面倒な子供だった。
大体いつもお気に入りの本を持ち歩いていて、人が私のために読んでくれる声が大好きだという高慢ちきぶりを発揮していた。
今はさすがに読み聞かせをせがむことはしないけれど、お気に入りの本を持ち歩く癖は相変わらず続いている。
荷物になるけれど、移動中や待ち時間なんかにその手触りやパラパラとめくったときの小さな風に安心して穏やかでいられる。

本が好きだというと、あらゆるジャンルに精通していたり文字を追う速度がはやいと思われがちだけれど私は決してそんなことはない。
必要に迫られない限り自己啓発本やミステリーなどは一切読まないし、表紙やタイトルが好みでなければ読まない、同じ本を何度も読む、なんなら同じページを何度も読む。
年間千冊読んでいる人や新刊を追う人の足元にも及ばない狭い本の世界の中で、それでも私は自分が本を大好きだと思う。
活字に魅了され惚れ込んで何度もなぞってしまうこの気持ちは、好きという他ない。
お気に入りの本を何度も読むのは、私にとってはある種の“おまじない”のようなもので、生活の忙しなさや得意ではない環境に身を置いて心が荒んでしまったときに、本来の位置に戻してくれるような大切な行為のひとつになっている。


今回はその中でも私の心に幾度となく寄り添ってくれ、かけがえない友人たちのように豊かな人生へ誘ってくれた本をいくつかご紹介~自分語りを添えて~をしたいと思います。
ネタバレ的なものは極力避けたいけれど、想いに熱がこもり思わず出てしまったらそこは許してください。


①赤毛のアン モンゴメリ/翻訳 村岡花子

赤毛のアンを好きな方は子供の頃から好きだという方が多いと思うのですが、私が初めて赤毛のアンを読んだのは20代後半のころでした。
朝の連続ドラマ「花子とアン」が放映された際、それを見て懐かしく思った祖母がシリーズを大人買いしすべて読んだ、とても面白かったと、嬉しそうに教えてくれました。
そして一度しか読んでいないそれらを「また読む気が起きる前にお迎えがきてしまうから」と老人ギャグとともにすべて私にくれたことがきっかけでした。
せっかくもらったのだから読んでみようと開いたら、もう一気にアン・シャーリーの虜になってしまい、毎日幸せな気持ちで読み進めました。

・お客さまを家に招待するときに

赤毛のアンの好きなところはたくさんあるのですが、まず何よりもピクニックやティータイムのシーンが大好きです。
きいちごパイ、スコーンやいちご水、アプリコットの砂糖漬けなど、日本に馴染みのないものでもその美味しさが伝わってくるものだから本当に不思議でうっとりします。
ちなみに私が読んだ赤毛のアンは、どこかのティータイムのページにビスケットのくずが挟まっていました。普段はながら食いなどしない祖母が思わずつまんでしまったのだと思うと愉快でたまらなかったです。

アンが家にある最高級のものをお客様に振舞おうとするのも、家族での「安心する味」と共にあるティータイムも心が撫でられているように癒されます。
いつもこのシーンになると、我が家にもお客様をお招きしてとびきりのおもてなしをしたくなります。
クッションカバーを季節を感じる色のものにしようかなとか、食器はどれにしようかな、飲み物は何が好きかしら、と考えるのがとびきり楽しくなるのでおすすめです。

・過去の出来事が許せない自分に苛立ちを感じるときに

序盤に出てくるアンのクラスメイト ギルバートについてですが、彼は初対面でアンのコンプレックスである赤毛を持ち上げて「ニンジン!ニンジン!」と揶揄いアンに石盤で頭をぶち抜かれるという返り討ちに遭います。
その後ギルバートはアンに謝罪をするし友好的に接するし、ある時は川で溺れていたアンを助けもするのですが決して許されることなく10年近く無視され続けるところが最高に好きです。
読んでいるとアンの意志の固さにギルバートが不憫になってくる瞬間もあるほどなのですが、それほどアンにとって赤毛はコンプレックスで深く傷付いた言葉であることが痛いほど伝わってきます。ギルバートもそれを理解し受け入れて、尚且つ諦めないところがとても良いです。
ある種の耐え忍ぶ愛とでもいいましょうか、ギルバートがアンに許される瞬間は、アン自身も少し自由になったように感じて二人ともまとめて抱きしめたくなります。

私自身、今よりも若く心がぐにゃぐにゃしているところに傷付いた言葉や出来事はたくさんありました。
そのほとんどは今では笑ってしまえるけれど、中にはずっと呪いのように居座っているものもあります。思い出すと心をざりざりと削られていくようで、そんなものに今でも捕らわれている自分が情けなく感じます。
けれどこの二人を見ていると、「私自身が何に傷付くかは自由であるし、今後何を選択するのかは互いに自由である」と感じて、そんな自分を責めなくて良いのだと思えるのです。
己の執念深さがしんどくなった際にぜひ読んでみてください。


②夏物語 川上未映子

・夏のにおいを嗅ぎたいときに

熱と湿度が籠った東京のアパート、銭湯の帰りの夜風、中華料理屋のベタベタしたテーブル、直射日光とアスファルトから立ち上る暴力的な熱さ。
主人公の夏目夏子に纏わりつく夏の描写は、全部本当に「あるもの」で、小瓶に詰め込んだ自分だけの夏のにおいに再会できるような一冊です。
茹だるような夏の間に起きたことは、その瞬間はただ駆け抜けていくだけなのに、何故か季節が過ぎ去ってからまざまざと思い出すことがあります。
あの夏に何故あんなことがあったんだっけ、あの時あの人は私になんて言ったんだっけと、同じ夏は二度と来ないのにそれでもいつかの夏を待つように人は夏を恋しくなる。
所在ない寂しさに夏のにおいを添えてくれます。

・自分だけが世間で孤立していると感じたときに

夏子が自分の生い立ちをまるごと抱えながら生きていく中で、覚悟とか信念とかそういった類とはまた違う、やめられなくなってやめていないだけ、という感覚がまさに季節に、夏に引きずられてここまできてしまったと感じます。
そんな中でも、ずっと傍にありながら不透明だった自分だけの心に向き合い近付いてく描写は胸を打たれました。
この物語に出てくる人物たちとはまた違うものですが、自分だけがどこかおかしくて欠落している、という感覚を何度も味わったことがある私は、読んでいて一つも他人事に思えませんでした。

仮にこの本に作者の明確な意図や伝えたいものがあるとして、それを読み手にひとつも押し付けていない文章が心地良いです。
自分のペースで好きなように読めるところがとてもおすすめです。
力強さと読みやすさが同居しているあまりにも生命的な本で、読み終えた後の余韻まで好きです。
余談ですが銭湯で巻ちゃんが乳首の色について語っているシーンではつい自分の乳首の色を確認してしまいます。


③センセイの鞄 川上弘美

以前勤めていた会社のお客さんが「きっとお気に召すと思います」と勧めてくれて読んだ本。
読んでみたところめちゃくちゃ好きで、10年近く経った今も何度も読んでいます。
何故お客さんがこの本を私に勧めてくれたのかはわからないのですが、人から何かをお勧めされるの大好きマンなのでとても嬉しかったことを憶えています。

・自分の性欲が枯れているかもしれないと思ったときに

性欲、などと言っていますが直接的なエロの描写は一切ないです。
性欲というとなんだか過激に聞こえがちですが、ムラムラするというものとはまた少し違います。
「今こんなにも人に触れたい」「あの人のにおいを嗅ぎたい」と熱烈に恋しく思う気持ちを彷彿させるのです。それがいつもそばに居る人に対して特に、色濃く。愛とか恋とかいうよりも、限りなく性欲に近い情熱的な思いが静かに湧き上がってくるのを感じます。

主人公の月子さんと高校時代の恩師である先生が、居酒屋での再会をきっかけに他愛のない話をしながらゆるい飲み仲間になっていきます。
そのうち居酒屋に留まらず、共に過ごす時間が増えていくにつれて互いが互いを穏やかに振り回すような、振り回されているような、じっくりと時間をかけて編み込まれた一つのマフラーのような関係で読んでいるうちにどんどん愛着のわく二人です。
年を重ねるにつれ若い頃と比べると、恋情でも友情でも人間関係を新しく構築するのは億劫になるものですが、この二人の緩くまどろむような関係を見ていると大人ならではの友情の築き方が素敵で羨ましく思います。

何度も読んでいるのですが、ご丁寧に毎度心を揺さぶられ、読み終えた後は夫を抱きしめその輪郭を確かめずにいられなくなります。
作中で月子さんの言う「行儀悪(ぎょうぎわる)」という言葉の語感が好きで、日常的に使ってしまいます。


④おとうと 幸田文

・家族のことで頭がおかしくなりそうなときに

初めて読んだときはあまりの残酷さに読んでいて頭がおかしくなりそうでしたが、私自身が父親との関係について悩み頭がおかしくなりそうなときにふと読んでみたところ、冷静になりました。

ほんの100年前の日本での話、関東大震災のあった頃が舞台です。
学校で習ったことは対岸の火事のようにしか思えませんでしたが、これは友人が遺した日記を読んでしまった気分でした。
現代風の言葉を使うと、主人公のげんはヤングケアラーというものになると思います。
体調を崩しがちな継母に変わり炊事と洗濯を行い、素行の悪い弟の面倒を見る。その弟も病気になり最期は衰弱した弟を毎日げんが寄り添い看病し、看取る。
げんは入院した弟の碧郎の世話を当然のようにしていて、父親も継母もそれを当然だと思っているわけですが、今よりも閉鎖的で自由のないこの時代の中ですらそれはおかしいことであると、親を呼べと医者が言うシーンはげんの心もとなさが伝わってきて涙が出そうになります。

幸田文自身も若くして母や兄弟を亡くし、家族の看病をして看取ったというのは有名な話で、「父・こんなこと」では実録の父親の看病の話があります。
この「おとうと」には実録とはまた別の、何か祈りのような、そしてまたその祈りが叶わなかったときの心の破られる音が感じられて、生々しい残酷さに心を折られます。
家族という檻で括られたときの息苦しさ、そこを飛び出した時の解放感と後悔、嫌っていたはずの思考が自分に染みついていると感じたときの嫌悪感、愛されたような気がする記憶の温もり、憎しみの裏側にこびりついていた愛情、そういったものは古今東西あるもので、私たちは大なり小なりそんな思いを抱えたまま折り合いをつけて生きていくしかないのだと思いました。
あまりにも若すぎるげんが、ほとんど生き甲斐のように縋っていた犠牲的な英雄心と弟への愛を失い、これから一人でそれらを抱えていくのだと思うと「家を出ろ!!自分のことだけで悩め!!」と叫びたくなります。そしてそれは私自身にもいえることだとハッとさせられるのです。
私は、時を経てこの文章を手に取れたことが奇跡のように感じてしまうのです。

⑤宵山万華鏡 森見登美彦

・人間の本気を見たいときに

森見登美彦さんの話はどれも現実的なファンタジーというか、“独特の世界観”で片づけられない説得力があり本当に面白くて大好きです。
こちらの宵山万華鏡は文字を追うごとにこの世界の中にズブズブ入り込んでいってしまう感覚が本当に楽しいです。
祇園祭を過ごす人々の連作短編集なのですが、話によって祇園祭の見せる顔がいくつも存在し、祇園祭に行ったことのある人もない人も楽しめると思います。
中でも私は二話目の宵山金魚が好きなのですが、この話は特に人間の本気が生み出した狂気が最高で元気が出ます。

人間が作り出した大きな祭りの最中、一本道を間違えれば自分も入り込んでしまったかもしれない人間以外の何かが織り成す世界。そこに自分が迷い込んでしまったら、大事な誰かが入り込んでしまったらどうするだろうと思わず想像してしまいます。
宵山万華鏡は、特殊なお祭りのなかで曖昧な境界線が浮き出たほんのひと握りの話なだけで、もしかしたら私たちの日常に常に隣り合わせで存在しているのではないかと思います。
度々読み返しては、人間の「やりたいことを形にする」凄まじさと、境界線が曖昧になりやすい祭りの夜は大切な人の手を決して離してはいけない、と改めて思わされます。


⑥スウィート・ヒアアフター よしもとばなな

・死んでしまった誰かを恋しく思うときに

主人公小夜子の腹に鉄の棒が刺さり身体に穴が開き、生死の境目を彷徨いながらこの世に戻ってくるところから物語が始まります。
身体から魂が半分脱げたような状態で見る世界の景色は以前までとは大きく変わっていて、小夜子は幽霊が見えるようになってしまうのですが、一番会いたい人は居ない描写は切なくて寂しいです。
小夜子には見えていないだけで、きっとそばに居てくれているのだろうな、と思わされる度に胸がきゅーっとなります。
身体がある以上、私たちにはあらゆる便利と不便が付き纏っていますが、そのどれもはいつかは全部終わってしまうことで、今は身体がある状態に感謝して思う存分楽しみたいと思える一冊です。

私には数年一緒に暮らした大好きだった猫が居て、その猫が死んだ瞬間もひどく悲しかったのですが、何年経っても「あの子はもうどこにも居ない」という事実に何度か涙を流すことがありました。
この本を読んだとき、そんなに悲しまなくてもいいのだとやっと思うことが出来ました。
勿論今でも恋しく思う気持ちはあるのですが、会いたいな、と思う時は悲しむのではなく一緒に過ごして楽しかった時間を思い出せるようにしようと思いました。

よしもとばななさんの書く文章は本当にやさしくて、ハワイの空気感とよく似ていると思います。
私はハワイが大好きなのですが、甘くてやわらかい風や無遠慮に大きく伸びている植物たち、目を合わせた人みんなが微笑んでくれる感じとか、夜の海辺の火のあたたかさ、急に降る雨に濡れても全然不快じゃなくてむしろ嬉しい、あのとっておきを感じさせてくれます。
書こうと意識して書けるものなのか文字と行間からにじみ出るものなのかはわからないのですが、どんなときでも読むこちら側をやさしく受け入れてくれるので、何度も里帰りするような気持ちで読んでしまいます。


今回は私の生活を彩ってくれた6冊の本についてご紹介しました。
自分の好きな本について語る時、頭の中を見せているようで緊張します。下着ダンス見せる方がまだ恥ずかしくないかもしれない。

本のおすすめや感想聞くの大好き人間なので、もし何かあればどしどし教えてください。
ラブユー

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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