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百万円の使い道

※映画 百万円と苦虫女の話をしています。観ていない方はネタバレもあるので読まないでください。


先日高校の同級生のSNSをみて触発され、映画百万円と苦虫女を約10年ぶりに観た。
再生ボタンを押した瞬間、あの頃私は蒼井優になりたすぎたこともそれが無理であることも理解していたことを生々しく思い出した。

百万円と苦虫女を初めて観たのは大学生のときだった。
大学生の頃の私はツタヤでいつも旧作を5本借りていた。5本まとめて借りると安いからだ。
特別映画が好きなわけじゃなかったのに当時はやたらと観ていた。
映画自体への興味は普通くらいだったけれど、映画を観ている時間は好きだった。一人で観るのも誰かと見るのも好きでよく観ていた。
その時間を愛していただけなので映画の内容自体はどれもはっきりとは覚えていない。

その頃に百万円と苦虫女は何回か観た。
映画というものは大体一回観たらもう観ないけれど、この映画は好きな友人が結構いて誘われる度に観たので結果何回か観ることになったのだ。
蒼井優はなんぼ観ても飽きなかったし、映像の質感というか情景は好きでぼーっと観ていられた。
大学生だった私は、主人公の鈴子の百万円貯めては土地を転々とする生き方は少しだけ羨ましく見えた。
同時に家族の食卓の違和感や、桃農家で働く際の田舎特有のキモさを感じたりもしつつ、何度観ても鈴子の恋人の中島の不器用さには「よくわからねえや」という感想が揺るがなかった。
それでもラストシーンにて、中島が駅まで鈴子を追いかけるもほんのわずかなズレで二人の視線は交わることなく映画が終わるところに切なくも良さを感じていた。
私のなかではうすら寒くあまり好きではない言葉だが、わかりやすくいうと「エモい」という感覚だろうか。

しかし10年ほどの月日を経て観てみるとまったく別の感想が生まれることもある。
今回は特に大きく感じ方の変わった点としてこの映画に出てくる三箇所の舞台それぞれに出てくる三人の男たちについて語りたいと思う。

①海の家でナンパしてきた男

まず第一に海の家でアルバイトするときにやたらと鈴子に構ってくる客の一人であるギャル男について話さなければならない。
平成のギャル男(しかもかなり顔整い)の懐かしさに頭がくらくらした。
「ああこの頃の日本ってかなり平和だったな」というのが率直な感想として浮かんだ。
令和にはもう殆ど(少なくとも私は全く)姿を見ることのなくなったギャル男という存在はどのようにして風化してしまったのだろうか。それとも形が少し変わっただけで後継者はいるのだろうか。
あの頃たしかに存在した彼等は今はどんな大人になっているのだろう。
もしかするとこんな息苦しい日本では、ギャル男は生きられないのだろうか。
当時今よりも大人ではなかった私の世界が平和だっただけかもしれないけれど、もしかして彼等こそ平和の副産物だったのかもしれないというファンタジーじみた考えが頭をよぎった。


②桃農家の息子

次に桃農家の息子、春夫について話したい。
鈴子が風呂に入っているドア越しに話しかけてきたり、朝に勝手に寝室に入り起こすノンデリカシーをかましまくる春夫。
10年前に観たときは「鈴子のことを性的に見ている頭のおかしいキショ男」だと思っていたのだが今回はそのような感想は出なかった。
それどころか悲しきモンスターすぎて不憫でならなかった。
彼は確かに鈴子を好意的に見ていたかもしれないが、自身の欲求を満たすために風呂のドア越しに話しかけたり寝室に入った訳ではない。
ただ、田舎(というか特定の閉鎖的な場所)での距離感のバグが幼い頃から染み付いていただけなのだ。そしてそれは、鈴子が過ごしやすいようにと一生懸命もてなせばもてなすほど鈴子を怯えさせてしまう。
何故今になってそのような気付きが私の中にあるのかというと、私自身がこの時の鈴子と似たような経験をしたからだろう。
私はこの10年のうちに地元がだいぶ田舎の男と結婚したり、また別の田舎へも越してきたので春夫の不器用な優しさに身に覚えがありすぎて春夫を抱きしめてやりたくなった。
春夫、閉鎖的な土地で生まれ育ったお前ではあるがお前の思想や行動力はきっと次世代が歩きやすい道づくりに貢献しているぞ。幸せになれ。


③鈴子の恋人中島

そして最後の男は言わずもがな中島。
中島は鈴子が働き始めたホームセンターの同僚で、同じ年齢の大学生。
なんかも〜〜すぐにお互いが恋に落ちてる音が聞こえてくるようなあの空気感に金切り声出しそうだった。
あっさり付き合うし案外仲良くやっているような感じだけれど、中島が鈴子にお金を借りるようになって二人の関係がギスギスし出していっていくのが何度見ても心苦しい。
結局二人は別れることになり、鈴子はホームセンターでのアルバイトも辞める。
また次の土地へと向かう鈴子に中島は今まで借りていたお金を返す。
一度は鈴子を送り出した中島だったけれど、「こんな簡単なこと間違えてちゃだめだよな」と自転車で追いかける。
中島は鈴子が百万円貯まったらまた別の土地へ引っ越してしまうことが嫌で、鈴子のお金が貯まらないようにお金を無心していたというのが理由だったとここでわかるんだけどいやいやいやおかしいってありえないだろ。

10年前は「不器用でばかだな~~」くらいにしか思わなかったんだけど、今見ると仮にそれが本心だとしてもその説明では一つも納得がいかない、やっていることが悪太郎すぎるとしか思えなかった。
あと追いかけるのもキモ過ぎる。お金借りて引き留めようとしている時点でだいぶ手遅れなんだからもうお前は何もするなと思ってしまう。
勝手に追いかけたことでやり切った感じを出すな。
むかし見たときは「ここでちゃんと会えていたら…」なんて思ったけどまじであれは会えてなくて良かったよ、良かったです。
二十歳過ぎてああいうまどろっこしいことする男は一生何かしらこちらの不安を煽るようなことをやるんで早い段階で縁が切れて良かったですね。


今回10年前に観ていた映画を観て全然違う感想が出たことについて、むかし無駄に映画を観たり本を読んでいて良かったなあと思いました。
勿論ずっと変わらずに好きなものもあるけれど、こうして10年の月日が流れて自分の感性の変化を感じれるのはたのしい。
良いか悪いかの話ではなく、10年前の私は10年前である種無垢で無知で、今よりもずっと相手を理解しようという想像力があったのだなあと思った。
今は少しだけいろんなことを知った分、どうしても穿った見方やある種の先入観が拭えない。
また10年経ったら今見ているものも別の感想が生まれるかもしれないので今後も体力があるうちにいろんなものを見たりたくさんの人と関わりたいなと思いました。


やわらかくてきもちいい風/原田郁子
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