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 唐組『泥人魚』(花園神社公演)

テントを訪れたのは花園神社公演の中頃だった。(中川多理『白堊——廃廟苑於』の展示で初日には身動きがとれなかった)その初日前日に唐十郎亡くなられ、縁の人たちが駆けつける報道が飛びかっていた。
どんな雰囲気なのだろうかとか少し危惧もしたが、唐組さすが、淡々といつも通りの紅テントだった。ただ劇団員の顔に笑みはなかった。
麿さんと熊さんが招待席で存在感を放っていた。

「ヘイ、コーラ」の低い声とともに、ガニが先頭でつづく三人の男たちが、頭上にブリキ板を支えて入ってくる。
足でガラス戸あけて、もちこまれた四枚の銀板は、かけ声とともに、ポンピング、たわむ。
静男 いいな、こんなにいっぱい
そのブリキ板には、立てて支える人形立てもついてて。
ガニ ここ一直線に並べろやい         (唐十郎/泥人魚)

 これは休憩のあと二幕の前半のシーンだ。
ブリキの板が登場する。しかしそのブリキの板は、いつまでたっても、どう思ってもギロチン堤防には見えない。あくまでも湯たんぽを作るブリキの板だ。(人と人を仕切ろうとはしているが…)
 台本には四枚のブリキ板と書かれている。
四枚ねぇ。もっとあったかな…。記憶不全の僕は、思い起こしてみる。金守珍の演出だと、さらに使っていたな…

 二十一年前に唐組に書き下ろされた『泥人魚』の初演を見ていない。先に金守珍演出の『泥人魚』を見てしまっていた。蜷川幸雄逝去の後を受けての演出。金守珍演出の『泥人魚』公演のパンフレットは、メジャーの興行なので立派なものだった。
諌早湾を取材した唐十郎のドキュメントが巻頭を飾っていた。ギロチン堤防という言葉が各所に踊っていた。そして金守珍の演出も諌早湾、ギロチン堤防、宮沢りえのオープニングで諌早湾を登場させて、宮沢りえをそこに配した。出てくるブリキの板はこれでもかと、ギロチン堤防を象徴していた。
駄目な演出だなぁと思いながら、それでも僕は守珍に染められていたのだ。唐組の『泥人魚』を見ながらしばらく、諌早湾物語をを追っていた。
唐組、久保井研の演出する『泥人魚』は、諌早湾を舞台にする物語ではなく、湯たんぽ屋での物語であるということに気がついた。唐十郎の戯曲もそうだ。台本にギロチン堤防という言葉はでてくるが、それは散在するたくさんの〈テーマとして起動するような言葉〉のうちの一つでしかない。
 狭い湯たんぽ屋の中での人と人の絡み合う物語なのだ。その中に[やすみ]という海から来た少女が居る。海は見渡すような海ではなく、運び込まれた汚水の海である。泥の汚水が海で、強引に云えばそれが諌早湾であるが、余り現実の諌早湾を思わない方が、芝居の醍醐味を感じられる。戯曲の面白さを実感できる。

 見ている自分は、状況劇場も、唐組もとびとびにしか立ちあっていない観客なので、やっぱり、風評に左右されて見ていたのだなぁとつくづく反省した。自分の目でちゃんと見なくっちゃ。
唐十郎の芝居は、ラストの大団円を描くためのものではなく、そこに至るまでの役者同士の絡み合い…それも言葉を介しての…に表現の重きがあって…結論めいたものがあるわけではないのだ。(と、自分に改めて言い聞かせる)

状況劇場時代の延長で、なんとなく唐組を見ていたのだ。ほんと反省。
戯曲の構造も初期の頃とはだいぶ変わっている。そしてテントの向うを撥ねる決まりの演出も、かつてのように都市の現実を…晒す…というような要素はもうないのだ。だから今回も撥ねたテントの向うに諌早湾的なイメージを見るのは、ちょっと間違っているのだ。この戯曲の彼方に諌早湾の現実はない。

 状況劇場を解散した後の唐十郎は、ネタをバラしながら手品を見せる超ベテランの手品師になったのだと思う。金守珍は誤読OKと云われて、台本を離れ、唐十郎の、バラされたネタを、そのままに取り込んで演出したのだ…ネタバレの過程を逆がから流して演出したのだ。
唐組時代の唐十郎のトリックにまんまと引っかかっているということになる。近い人ほどトリックにかかる。近い人をしっかりトリックにかけないと、観客をトリックにかけることはできない。そう云ったのは寺山修司だけれど(個人的に聞いた話し。観客席のときに)唐十郎もまたネタバラしのテクニックを見事に文学にしている。金守珍の演出は、唐十郎、蜷川幸雄のタテマエに翻弄されていて、二人の傍に居ただけに、見えていない部分があるのだ。
 誤読して良いよという唐十郎の言葉こそがトリックであって、誤読するのは唐十郎が資料を使うときのことであって、唐十郎の戯曲を誤読しては、唐十郎演劇は成立しない。

久保井研の演出は唐戯曲に正確で誠実である。ずっと唐十郎の傍にいて、それでも唐戯曲に、その物語構造に忠実に、深く読んで演出してきた。クールと言えばクールな演出なのだと思う。それを改めてひしひしと感じた。

++
 状況劇場の初期の頃の、怪優たち…会場にいた麿赤児とか(麿さんと熊さんはたぶん四谷シモンの展覧会場から…)四谷シモンとか、他にも李さん含め多々いた俳優たちの、特殊肉体を持ち合わせていない、現在の唐組が、戯曲の読み込みと、役者の言葉のやり取りをきちんとするというところを重視した演出を行なうのは、当然と云えば当然で…しかし当然といっても演出するのはとても難しい…久保井研は、ガマン強く正確に深く読み込んで演出してきた。そしてその成果は上がっていた。
 そして次に若手役者たちの底上げをしていた。若手の役者は、個性をださなければと、必死に個の変位を発揮しようとした。それは時に、芝居の流れを壊すこともあったかもしれないが、これまた久保井は丁寧に応対していた。

 今回の『泥人魚』
若手が役者に向けて絡ませていたエネルギーが、すべて観客の方へ向けて放出されていた。福原由加里や加藤野奈、大鶴美仁音が、演出と観客の熱を頼りに演じ始めていて、空回りするところがほとんどなくなっている。怪優がいなくても、現在の役者でいけるのではないか、いやいっているという風に思った。不謹慎な云いかたかもしれないが、唐十郎は安心してから身罷ったのではなかろうか。
戯曲をきちんと演出して、役者たちがその演出を役者として引き受け、テントと云う狭い舞台に結集して、より密度の高い演劇空気を折り重なるように積み上げていくという今の唐組は、唐演劇をそして唐戯曲を継承していくもっとも相応しい劇団であると感じた。

この先、まだまだの伸び代もあるように思う。

終盤のやすみの長い台詞
…その船は幽霊船と呼ばれていました。しけに漂う闇夜舟とも。船上には鐘楼台ともみまごうほどの
鉄塔かまえ、その根元には、悪魔のしっぽをはさんだら逃がさない、こんな歯形の摑みバサミも寝かしてあるの。厳かに、抜けるように、狂う夜と波の油断を見澄まして、ドクロ沖の目から鼻の穴、口の中へと潜り込み、人魚の歌がとどろき渡るしじまの谷へと下って滑る。どこにでもあるオンボロ船ではあるけれど、舳先の横には、とても不似合い、青い字が踊ってはねる。マーメイド号という字の代わりにね、魚の尾びれが〈手首ひねり〉こうなって描かれてあってね

転がるつかみバサミ、とたんにワイヤーよじれ、船長はそれに絡まりました。身動きとれず、「船長、船長」と呼ぶ声に、義父は、あたしのジャラジャラと鎖のついた、キーを渡して「椿、だれか来る、椿、船を動かせ、ここを出るんだ、椿、やれるお前ならやれる、椿っ」と叫んでた
船べりをつかんで走り、浪かぶる船室のドア引き開け、運転席の鍵穴に船長からもらったキーをさしこみかけると、しぶきの合間に「椿、椿」と呼ぶ声に指が震えて、そんなためらう間をつくってしまったために、エンジンは唸りをあげずドクロ沖を逃れられない

間の部分に他の役者の台詞が割って入ってくる。
この全体を一気に集約して、ラストを作りあげる台詞は、まるで詩のように戯曲の最後の部分に登場する。
ここをどういう声で、どう演じるかというのが、この芝居の上演のひとつの胆になる。

唐十郎は、役者に当て書きをする。その当てがかれた役者なら、少々、台詞が聞こえなくても、たとえ台詞を飛しても観客に伝わるだろう。そういうものだ。
今回、[やすみ]を演じた大鶴美仁音は、当てがかれた役者ではない。台詞の息の感じも美仁音に調整されていないだろう。
ここをどう演出するか。
美仁音でなくても、他の役者でもこの台詞を語らなくてはならないことが出てくる。
身体に溶け込まして、この詩のような台詞を、言葉を越えた状態で伝えることも可能だろう。(僕は演出家ではないので良く分からないが…場違いなことを云っているかもしれないが…)この部分だけ、台詞のトーンとかスピードを変えてしまうとか(どうだろう…うまくいくかな…)

で、今までの芝居の流れから、なんらかここの部分の言葉を浮き上がらせると面白いかもしれない。唐戯曲は、言葉が勝負。
言葉がそこだけ異次元になるというもありかもしれない。

久保井演出はほんとうに凄いと思う。
テントのある種アルカイックな魅力も回復しながら、現代としての[演劇]を行なっている。唐十郎のような外連味はないかもしれないが(今はそれは出せないだろう。唐十郎が元気だったとしても)現代と云う、時代という、今という[張り]をもっている。一つずつ、困難な課題を、違う形で克服して、唐演劇を継承している。テントで、生き生きと。この演出なら唐十郎の戯曲は、唐十郎の息吹そのままに生き続けるだろう。


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