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裏浅草通信(番外編)歌舞伎がちょっとやばい。歌舞伎蕎麦はもっとやばい。

10月の楽日に近いある一日。朝から歌舞伎座の三階席で過ごした。三階東棧敷席一番前。舞台を横から見るような感じになる。江戸時代にもあった天井桟敷席の感じに近い。(ちなみに平成中村座で勘三郎さんは、まさに昔の天井桟敷を復活させた。なんと二階棧敷の前部分が舞台幕内中にある…。)坐って驚いた。上から見ると客席のすかすか具合は、一段とはっきり分かる。このようにがらがらの歌舞伎座は初体験。ボクが歌舞伎をみはじめた、90年代の初頭には、歌舞伎はブームになっていて…思いついて『歌舞伎はともだち』という入門書(自分自身のための)を出版しようと、歌舞伎にかよいはじめたときには、もう歌舞伎はバブルに突入していた。だから席の空いている歌舞伎公演を見たことがなく、空席あっても…たとえばそれはぎりぎり偉い人用にとってあって、当てが外れた歌舞伎座の[とちり]席の数席だった。歌舞伎をボクに教えてくれた菊五郎劇団の狂言作者・竹柴源一さんが、ときどきその[とちり]を廻してくれた。(もちろん有料だけど)。このすかすかっぷりをみるのはちょっとした驚愕だ。コロナ禍の他の劇場もけっこう苦戦はしているが、ここまでの空きに出会うことはない。この空きは一日中、三部の終りまで続いた。[どぶ]と呼ばれている花道の向こうに客はゼロだった。全部で30%入っているかどうか…。それでもこういう場合、松竹は株主に券を配るから…客のうちのお金を払っている人がどれだけいるのか…。来月、再来月の團十郎襲名に観客は力と金をためているのだろうけど。それでいいのか!と思うが、それが歌舞伎ってものさ。源一さん健在ならそう言うだろう。歌舞伎はたくましいのだ。襲名興行はあっという間にソールド・アウト。

10月歌舞伎座の第一部、幕開けは、猿之助、幸四郎の『鬼揃紅葉狩』。それは澤瀉屋の、先代猿之助の十八番ならぬ、四十八番。いつも見ている、たとえば菊五郎劇団の『紅葉狩』とは趣もちがっている。侍女たちが鬼女になって全員で毛振をするという演出。その代わり山神がでてこない。侍女たちは、種之介、男寅、鷹之資、玉太郎、左近という若手が演じていて、失礼ながら心配して見はじめたが、いや、なんと、素晴らしい。想像なのだが当代猿之助の目配りが利いているからと見た。若手五人…侍女の時も鬼女の時も、五人一心になって…しかものびのびと…揃うところは揃ってい、毛振のときは、それぞれに頑張って…とても見栄えのする群舞になっている。そのとき鬼女の猿之助が奥で[鼎]となって、見守っている。その繋がっている役者どおしの気合いと心が、とてもしっくりきた。舞台との一体感を味わう。猿之助さんは若手のグループを実に上手に動かす。スーパー歌舞伎のときも。五人の侍女/鬼女と仲間意識のようなものを形成していて、それが見える。先代猿之助さんと違うタイプの…新しいタイプの座頭、猿之助なんだろうな。新しいことをやろうと前へ前へ意欲をみせながら、古典への配慮、姿勢も見せる…ここらが当代のすごいところ……『鬼揃紅葉狩』はもともとが先代猿之助の創意が反映されている。5人の鬼女(侍女)を設定したことや、その動きが激しいのも…澤瀉屋には、国立養成所から多くの女形志望の若手(笑也とか河合雪之丞になる春猿とか…)が来て、さらに小芝居から笑三郎をスカウトしたり、現福助の児太郎を連れてきたりと、若い女形がぴちぴちとたくさんいた。それを旦那の猿之助がどんどん起用していった。若い女形たちの群舞という構図は、当時の澤瀉屋に必須のものだったのかもしれない。その笑也、笑三郎も『鬼揃紅葉狩』に出演している…落ち着いた役どころの、百秋女、千秋女という、ちょっと申し訳ない言い方だけど、鬼への着替えの間の、舞いどころの登場である。時の流れを感じる配役だ…『鬼揃紅葉狩』は、『紅葉狩』の更級の前/戸隠の鬼女と平維盛との芸の対決を拝見するというかたちではなく、役者がお客の方を向いて見せる場面が多く設定されていて、鬼と平維盛の戦いは群と群の戦いとしても作られている。鬼の群舞はまさにその見せ所だ。平維盛を演ずるのは、幸四郎で…(ボクの個人見解としては、刀と扇をもたせて天下一…大好きな役者)息の詰るような鬼女・猿之助との立廻りはこれまた絶品。長唄の演奏も派手派手しくなく、声も落ち着いて情のある音色だった。なにより附打がレジェンド芝田さん(https://www.shochiku.co.jp/play/enjoy/interview/vol9-1/vol9-2/)で、うああ…という感動。芝田さんは今では、ここぞというときに出てくる附打ちさん。特に若手が頑張っているときに気合いが入る。ツケのばしーんという強い音の中に何と云ったら良いのか…二人に対する愛情のようなものを感じる…あなたたちがこれからの歌舞伎を背負っていくんだよと言っているような…ほんとに良いものを見せてもらった。演者、音曲方、附打…見えない糸でつながっているのが分かる。間合いで会話をしている。『鬼揃紅葉狩』は、古典を[現代]の劇にしていて__歌舞伎の息吹、今の舞台、今の歌舞伎という点では、見てきた中での三本指かもしれない。——というくらいのできの良さ。でも観客は入っていない。客の薄いときに全力を出す。それが血肉になる。それが歌舞伎だ。むかし吉右衛門さんが団体の良いところでもおしゃべりをしたり弁当を食べたり(むかしは劇場内で食べるのOKだった)みちゃあいないときに、本気を出して演じていた。客をこちらに向かせてやるとばかりに。講談も何十年も前には、立った数人の客相手に汗を飛ばしていたものだ。コロナ、戦争…災禍のネガティブな力は、歌舞伎にも及んでいるような気がする。でも海老には行く。このマイナス力のメカニズムを少しでも把握したい。何か悪いことが起きている。そこをどうにか食い止めないと本当に文化が壊れる。単純にそんなことを思う。

で、一方、一部の二つ目、『荒川十太夫』…講談を歌舞伎に写した新作なのだが…いま時の人・神田伯山が、神田松鯉から受け継いだ講談の傑作と言われている『荒川十太夫』を歌舞伎にうつしたもの。新作である。松緑たっての願いで実現したと…。非常に期待をしていた。若い頃のボクを、がらがらの本牧亭に連れていってくれて講談を教えてくれた、『夜行館』裏方の陣兵衛が、最近、浪曲の作家になったり浅草の小説を書いたりしてて、講談・浪曲にも現代の人の気持ち引きつける何かがあるんだろうなと思っていた矢先なので…そして松緑さんを応援していたので。パンフレットには、堀部安兵衛という「大人物」を描いた一大叙事詩ではなく、しがない下級武士にまつわる、ささやかなされど古き良き深い魂を描いた『荒川十太夫』とある。書いたのは西森英行。その文章のタイトルは「現代によみがえる下級武士の純粋なる魂」。と。しかし見た結論を先に言えば、江戸時代の…いえば封建制の、武士とその名を重んじる時代の、純粋な魂って!どういうこと?それを今の観客にどう伝える? 企画の意図も意味も分からない。

舞台は——。最初にイメージシーンで、荒川十太夫(松緑)が堀部安兵衛(猿之助)の首を落とす。大きな声で、「えええーい」。刀は斜めに振られる。威勢の良い首切りだが…そういう芝居か?この芝居は?もっと苦渋に満ちた決断をしての首切りではないのか? 演技が軽い、軽薄。そして松緑、下を向いたシーンが多く(演目設定上しかたがないが…)、低いワントーンの声で、最後まで変化がない。嘘をついた逡巡とかを演じないといけないのではと思うが…そしてそれは表情とか声の出しかた使い方、トーンの変化が必要だろう。名を偽って相手を慮る純真な魂…そのこと自体に現実感がないし令和感もない。新作だったら1%くらいないと…客は心を舞台と同期できない。ということで、最初から最後まで、口をあんぐり…。というかちょっと哀しかった。松緑さんは先代も当代も好きで…松緑さんが辰之助で『灯台鬼』に出演した頃からずっとずっと応援していたし、演技がしだいに本格になっていく毎回を楽しみにしていた。『灯台鬼』は、ボクの大好きな出し物で、1968年と74年には、二代目松緑、初代辰之助で上演している。(当然見れていない)見たのは93年で、十二代團十郎と二代目辰之助で上演している。辰之助は三之助(新之介、菊之助、辰之助)といわれながら、二人は團十郎と菊五郎になる名門で、それに比べれば辰之助がなる松緑は、ひとつの役者の大きな名前ではあるが、家の代表役者ではない。辰之助も松緑も菊五郎劇団にいる。菊五郎劇団のとっぷは菊五郎だ。で、先代の辰之助は若くして亡って、死んだあとの89年に松緑になる。だから三代目松緑の上演記録は存在しないいことになる。(あっているよね?)91年に当代松緑は、辰之助を襲名する。そして93年『燈台鬼』に出演する。團十郎さんが遣唐使で唐に行き、行方不明になる小野石根(燈台鬼)を演じ、父親を探しにいく息子の小野道麻呂を演じるのが、当代の松緑、当時の辰之助である。それまでは、祖父と父の親子で演じていた演目が、二人とも他界したために、親子でというのはできなくなった。代わりに團十郎さんが父親役をやった。若い(というか若干頼りない)辰之助をもりたてるために、菊五郎さん含めた劇団総出でサポートする。辰之助を支え、先代の二人の松緑を追善する思いがあったのだと思う。口も利けない燭台にされている父親役の團十郎、救い出して連れて帰るという筋書き。團十郎さんの吃音台詞が素晴らしく、演技演技していなくて、しかも、ほんとうに情愛のある舞台で、これは言っていいのか分からないが、團十郎さんの中で最も好きな演技の一つ。もう日本に着くという最後に海が荒れて、燈台鬼(團十郎)は自ら人柱になって入水し船を救うのだが、そこが最高の見せ場、息子の小野石根が入水する父に対して叫ぶ…(どんな演技であったかは云わない)という頃から応援していて、今では踊りも演技も、ぐいぐいと素晴らしくなっていた_____なので松緑自ら企画のこの舞台、期待していた。大化けするのではと…大コケとは…涙目になってしまう…。改めて云うが、コロナがあり、ウクライナで戦争が行われ、世界中の国と人々がその影響を受け、ぐたぐたにされている中で、ものの価値観とか、立ち位置が、以前のままでは存在できないところまでの変化を突きつけられている。しかもその変化がどうあるのかすら分からない。その今に、新作としてこれを舞台にかける意味が分からない。『荒川十太夫』を講談にかけることは、当時、観客にも作者にも演者にも動機や興業性があったのだから、[それ]に、いま、息を吹き込むというのは、分からないではない。講談では、『荒川十太夫』は、赤穂浪士の物語の外伝として存在している。神田松鯉は赤穂浪士の義士物を得意としていたとある…その外伝。別噺、裏話、スターばかりでなく、受ける方の人の、下級武士にもドラマはあったのですよという拡げ方だ。かろうじて成立する。なぜ新作でこれを。首を切る相手の身分にふさわしくないといけないので、身分を高く偽って堀部安兵衛に告げた、そこのことの仮借をずっと心に抱いて、楊枝を削り傘を張ってお金をため、衣装を設らえバイトのお供を雇い、過分のお金を供えるという荒川十太夫。これが現代によみがえる下級武士の純粋なる魂?なのか。体制側のハッピーエンド、身分の低い者は、身を削って体制の名を大切にすることを支える。この舞台、たとえばKポップに心奪われている若い女子に通じる何かがあるだろうか?たとえば『ナウシカ』ならそれは可能だと思う。菊之助の現代に対する思いというものが『ナウシカ』の上演につながっているし、菊之助なりの思いも原作の演出の中で反映されている。『ナウシカ』を仮に読んでいなくても原作と菊之助の思いは伝わるようにできていて、古典歌舞伎に準拠しながら、現代劇として成立している。で、『荒川十太夫』に戻れば、講談では、登場人物を講談師ひとりの声で語り分けるという芸によって成立してい。しかも本人がその物語を解説することができる。というかそれも売りの一つだ。一人が全員を演じ、かつ解説も行う。上手な人なれば、その日の客と対話しながら物語を引っぱっていく。では、その講談システムを歌舞伎にもってきたとき、それぞれの役は何をもって、演じる動機にするのか。現在、一人語りである講談を、多数に分解した時に、真ん中にあるのは物語と云うことになる。その物語が観客に提示されるし、役者は、その台本を我が物にして(できないでしょう…)演じていくのだが、忠臣蔵、そしてその外伝、江戸時代の身分制の[名前]の重要性…分かんないよ、ボクも。講談は講談師がたとえば、「今ならこれは不合理になるでしょうが、当時は…」と、やればいいのであって、そこに物語を現在から見る/語るという、今、存在している主眼のようなものがある。講談、実は物語を伝えているのではなく、語りというパフォーマンスを見せているのだ。歌舞伎もその装置を作らないと講談をもってくるのは難しい。文楽の人形を、ヒットしているコミックをアニメをもってくるのとは違う。もっと難しいのだ。だから『荒川十太夫』を新規に舞台に乗せるのは、難しい。いやぁ、客はついていかない。松緑がものすごいパフォーマスンをするとか、早替わりで全員をやるとか…
魂が抜けたようになって、二部への入れ替えのための休み時間に歌舞伎座を出て、口直しに裏の歌舞伎蕎麦に入った。歌舞伎は大丈夫か?でも来月は、團十郎襲名で軽くソールドアウトなので、いつものように襲名でこの状態を回復するのだろうとは、余計な心配かもしれないなどと、思いながら…かき揚ダブルを頼んで_____絶句!歌舞伎蕎麦崩壊!駄目になったものを言挙げするのはよくないので、何十年も前から、ずっと、良いよ、良いよ、行った方が良いよと言い続けてきた歌舞伎蕎麦の素敵を先に書いておく。まずは歌舞伎美人からの歌舞伎蕎麦の引用。

ここで22年間、そばを作っている長谷川正春さんは、朝6時に歌舞伎座の地下厨房に出勤し、湯を沸かし、だしをとってつゆを作りながら、そばを打っています。大量に作らなければならないので、そば粉をこねるところから機械になりますが、そばは毎日できたて。つゆのかえし(つゆのもと)は館内で出されるものと同じです。これが「歌舞伎そば」がおいしいと言われる所以(ゆえん)。固定客が多く、毎日長い行列ができるわけです。

http://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/print.aspx?id=20100429000295

今は、歌舞伎座の裏にあるが、歌舞伎座改装前は、歌舞伎座左脇にあった。もう、かよった、かよった。取材始めた頃は、歌舞伎興業全部見ていたから、歌舞伎座はまちがいなく昼夜、若い人用の観賞教室があれば、たとえば歌女之丞さんから見てよ、なんて電話がかかってきて通ったりで、取材あったりで…良く…というかボクは、実は、銀座に一人で行くことがあれば、楽しみに歌舞伎蕎麦を食べていた。で、長谷川さん、包丁が手の中に入るくらい小さくなって、それが半月のように丸くなって弓張?と云えばいいのかな…そのくらい具を切って切って…季節季節の野菜を、今頃なら南瓜かな…薄く細く小さく切って…たぶんこれは美味しくなく大きさというのがあって細かく、細かく、細く、細く切っていた。ざるかき揚は千切ってのせるので、その時に口に入って良い感じの細かさ(かなり細かい)になっている。で、かき揚ダブルというのは、かき揚を二個乗っけてもらうざる蕎麦。歌舞伎の裏方さんたちに教わった。中にはトリプルと云うつわものもいるんだよと、以前、長谷川さんはお話ししてくれた。出くわしたことはないサラリーマンだったらしい。で、揚げたてを出そうと勉めていて、ダブルの時は、ちょっと5分前くらいにあがったバットの上のかき揚と、「ちょっとまってね」と、まさに揚げてあつあつのを、それを手で千切って、はいよと出してくれた。蕎麦をゆでる時も真剣で、タイミングを計りながら足踏みをしている。ボクは調理のときに足踏みをしながら…調子をとるのか…気合いを入れるのか分からないけど…の料理人を信じて尊敬しているし、大好き。その嚆矢は、生涯二人いて一人は歌舞伎蕎麦の長谷川さん。もう一人は、京都・イノダ珈琲三条店の伊藤専務(当時。後で社長になったけど、現場が減るからいやだいやだ云っていた)珈琲を淹れるときに足踏みする。かなりしっかりと。ミルクを入れる時にも…。気合いとか集中とか…なのかな。見ているの大好きで、その足踏みをぼーっと眺めならいつまでも三条店のカウンターにしがみついていた。歌舞伎蕎麦の長谷川さん、お湯を切るのも激しすぎずでもしっかりと。(ボクは激しすぎる湯切りを余りよしとしていない。麺の表面からうま味が飛ぶから。水でごしごしやるのもあんまり好きじゃない。パスタだって湯にいれたら、絡まないようにはするけれど、かき回さない。廻すのは下手がやること…)ちょうどいいのね、感じが。かき揚もさくさくしているし。季節ごとの心尽くしの隠し味も超愉しい。で、その楽しみが全部なくなった。もうごつごつの大きな何枚重なっているか分からないタマネギと、大振りに切ったニンジンと…それを朝に切ってジップロックに入れてあるのを取り出して、ぐにゅぐにゅとボールで捏ねて…またぐちゃぐちゃぐちゃと、混ぜて…ああ、周りかりかり、中ふわふわ…になんかなりっこない。はじめてかき揚を残してカウンターを後にした。ボクは立食い蕎麦のマニアでもあって、とくにかき揚蕎麦を集中的に食べていく。小諸蕎麦、富士蕎麦、かのうや…とにかく見れば入る。以前、ギャラリーのあった浅草橋では、ガード下に4件、その他に3件、けっこう通う。で、数多の立食い蕎麦の中でかつての歌舞伎蕎麦・ざるかき揚げは、ナンバーワンだった。もうほんとに大好き。歌舞伎関係者なら昼は絶対に食べていただろう。何日続いてもにこにこ。ですよ。今は…立食い蕎麦のかき揚の中で最下位だと確信する。まあ、そんなでも客はいっぱいだから、良いんだろう。團十郎襲名と一緒で売れてりゃ良いのが歌舞伎だから。ふう。でもボクの薦めで歌舞伎蕎麦に通い始めた方がいれば、その方にはぜひ伝えたい。もう駄目です、歌舞伎蕎麦は。あとは自己責任で…。歌舞伎も歌舞伎蕎麦も世間的には隆盛を保つんだろうと思う。でもね…。

注・写真は駄目な方の歌舞伎蕎麦

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