「江戸の夢びらき」○松井今朝子#わたしの本棚
1714年11月、江島騒動から半年、江戸歌舞伎は転換期を迎えた。江島に関連した山村座は廃座になり、他の座にも処分者がでて、江戸三座は簡素な作りの小屋に変更を余儀なくされた。初代團十郎も壮年45歳の時に舞台で殺され、集客できる役者たちが少なくなっていった。歌舞伎はこれからどうなっていくのか。その危機に、二代目が『万民大福帳』(今でいう『暫』)で中村座・顔見世舞台に立った。実悪の開祖と言われ、初代團十郎の相手をつとめた高齢の山中平九郎が、二代目の登場「しばらく」の声を無視して「今、しばらくと声をかけたのは何やつだと」と応ぜず、二代目に試練を与えた。怒った二代目は、我を忘れて橋懸かり奥から受けの台詞なしに登場した。平九郎はそこで二代目を舞台途中口上で褒めた。二代目は荒事の何かを掴み以来それを身に纏うこととなる。二代に橋渡しされた荒事の芸は、初代亡くなった後のことであり、芸の伝承はかように難しいものであり、特に、親子であれば逆にそれは難しいこととなる。作者、松井今朝子はそれを身をもって知り、長年にわたり見聞きしているからこそ、この表現をしたのだ。
團十郎、成田屋が十八番をどのように作りあげ継承したかの歴史をみれば、芸の伝承はそんなにスムーズであるはずもなく、親が芸を押しつければ押しつけるほど、息子は逃げるもので、近くは坂東三津五郎、巳之助親子にも見てとれるし、当代十三代目市川團十郎が、十二代目の教えをことごとく受け入れず(それはTVの映像にも十二代目の著作にも残されている。)こともあろうに襲名披露口上で松本白鸚に苦言を呈されるという異例の…いや異例ではなくあり得べき芸の伝承にまつわる役者力学…不祥事もまたどこかで解消され、逆に誰も見たことも想像したこともない團十郎が生まれる可能性がある——というのが歌舞伎なのである。松井今朝子はそういう歌舞伎を書く作家なのだ。~したから~になるというような、学校的な常識は、こと歌舞伎に於ては起こり得ない。(努力が結果を生むなら誰もが團十郎。)才能があって芸が良くてもただ背が低かったり、オーラの出し方が今一つなだけで、名優の序列から外れてしまう役者もいる。特に歌舞伎は才能を闇に押し込み凡才を生き延びさせる演劇の悪場所でもある。
そもそも何があたるか分からないのは~そこがかぶき芝居の面白さであり怖さでもあるが、(P147
役者の一生は実にさまざまで、一世を風靡する人気を得ながら晩年はひっそりと暮らす者もいれば、行方知れずになる例も多々あって(P278
荒事に限らず、芸の極意は言葉に尽くせないものばかりだ。ただ脇目も振らずに真似していれば自ずとその骨法がつかめることともある(P305
何とも頼りない、何とも力の入れようのない、運と器と才能をもったものだけが、輝くようにできているのが、歌舞伎というしばいなのだ。松井はそれを静謐な筆で淡々と書いていく。(注意して読めばところどころに誰も体験できない歌舞伎の瞬間の奇蹟のような輝きを熱をもった表現で書く。松井はそのように歌舞伎と付き合ってきたのだ。小説家になる以前に。)二代目團十郎が、平九郎の気概のある貢献によって、荒事を摑んだことを松井は、
文字通り日の出の勢いを得た役者は冬至間近の長くて暗い芝居の夜を終わらせて、醒めない魘夢をみごとに開いて見せたのだ。(393P)と、書く。これが小説『江戸の夢びらき』のタイトルの由縁であり、描きたい歌舞伎の輝きごと…初代團十郎の荒事が、しばらく絶えていてそれゆえに江戸は、魘夢の中にあり続けたが、二代目がそれを払ってくれた。小説の中で、初代亡き後、荒事を継承しようと二代目は踠き続ける、考えもし身体を動かしもして。しかし、それが叶うのは、幾つかの思いなり偶然なり、役者の地力だった中でもことではあるが、演劇的不合理のなかで起きる。歌舞伎は、歌舞伎の評論家や役者の芸談のような、都合のよいナラティブで連なっている訳ではない。時どきの、板に魅了された者たちの、不思議な力の絡み合いによって起きることである。そこには嫉妬もあり、破滅への誘惑もあり、ゆえに盛衰の衰も簡単に起きるのである。
2022年、『江戸の夢びらき』(松井今朝子)が文庫化された11月は、歌舞伎座では團十郎(十三代目)襲名興行が敢行されている。ボクの見立てだが13代目は12代目の芸を継承せず、あるいはできず、松本白鴎の異例の公式、叱咤激励。先輩の言う通りをそのままに、異例の事態だが、先輩、俳優たち、一度は習ったものをそのままにという尊敬を忘れるな的な言い方をしているが、それは、もともと伝承だの伝統だの、歌舞伎の場合は、役者の我を中心に動いている世界だから、ここに至ってそれを言うのはどうかと思う。今までの言動から十三代目が聞くわけもなく、小言を聞くくらいなら、こんなことにはなっていない。歳をとると歌舞伎俳優は自分を敬って、あろうことなら自分の我の芸を生き延びさせておきたいと思うからで、身につけたい芸なら自分でそれを盗るべきで、教えないというのが、歌舞伎の伝統継承の方法である。そんなことも初代團十郎と二代目團十郎の間のこととして、描かれている。この小説、團十郎の奇異を追って面白い(舞台の上で刺殺されるのだから…)が、妻の恵以の目をもって読むとさらに面白い。松井が初代の團十郎の妻、恵以に身をやつして書いた、小説である。どこに史実があり、フィクションが足されているのか判断はまったくつなかない。この小説はドキュメントとリアルな感覚と、役者や舞台への夢で作られている。すべてあることのよう、すべて松今朝子の歌舞伎であるように受け止めて、愉しみ、今の舞台の有り様も想像したりする。
そこには歌舞伎を3歳の頃から息をするように見て、役者たちとも交流のある祇園の家に育ち、かつ役者に惚れ、早稲田大学で歌舞伎の文献を読み耽り、松竹に入り制作を知り、さらに戯曲を書き、武智鉄二の元、演出助手をやり、近松座の演出もやるという…やっていないのは役者だけというような人生を経ている、松井今朝子が、自伝を含めた武智鉄二伝を書いた『師父の遺言』を読むと、さらに『江戸の夢びらき』も面白くなる。ところでそのように幾層もの視点をもつと、文章は書けなくなるものだ。近松の文献を読み尽くした人と、近松の演出をする人と、近松の戯曲を改訂する人と、役者に寄り添って制作する人とでは、同じ板に存在していて、考えも姿勢も違ってくる。人形で近松を演じる大夫と役者や大夫によって改変されたのちの近松を見る/聴く、橋本治とでは、見識も書くことも違ってくる。その大部分を深く体験している松井今朝子が、歌舞伎を小説に書くということは、ただならないことなのだ。松井今朝子は、史上誰も持ち得ないかぶき芝居の体現者なのだ。
そしてさらなるこの小説の魅力は、歌舞伎/舞台に関しての栄光も魔も奈落も、それは天からこうむる結果のよう向こうから来るように描かれている。運命は向こうからくる、受け入れるかいれないかは、自分の本能が決めること。恵以は、竹之丞に好意を寄せながら、他者が決めたような形で、團十郎に嫁ぐ。不満も怖れも抱かずに。しかしその嫁いだ夜に、
だが恵以は何も見えず、何も聞こえず、ただ無明の闇と真空に鎖された虚しい時をひたすらにやり過ごすのみだった。(P101
と…これが初夜の床を迎える恵以である。こんなことを書く小説家が他どこに居よう。これはまぎれもなく江戸に生きている松井今朝子そのもので、このように感じる人は、歌舞伎に関する歴史にひとりしかいないと、私は思うのである。そしてそれはあり得る、いや必然の感覚であり、だからリアルを感じる。翻って小説の初代も二代も、芝居を見れる/見える女性によってクールに強く見守られて、歌舞伎者としては幸せなのだ。不幸を抱えた初代團十郎は、小説の中で、きりりと逞しく美しい。知る限り歌舞伎の幕内にこのような視点の女性は本当にはいない。
歌舞伎は、絶頂の側に奈落の口が開いている。松井の書く[魘夢]がそれである。だからこの小説、初手に即身仏となるために生きたまま葬られる土葬が描かれ、それはことあるごとに何度も何度も恵以に喚起される。生きているが死んでいる。舞台は、人生は、若くして絶頂を迎え、その後は、意外にも長いそれ以上のことが何も起こらない日々が続くのだ。私はそれを虚無として受け止めるが、根っからの歌舞伎ものである松井は、明けない[魘夢]として享受するのではないかと思う。
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