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日々是徒然+中川多理 Favorite Journal/富澤赤黄男 俳句全集/寺山修司 全歌集

 今は、執行猶予退院をして、次の裁断が下されるのを待っているところ。
これから自分にとってそんなに良い環境に、居られる続けるとは思えず、いろいろなことを裁断しないといけない。集大成するべきことも、ものも、もたないので、これまで生きてきたように、彷徨ふらふらしながらやる他はない。(そうとう狼狽えてうろうろして、ようやくそうすることにした)。
 とすれば育て屋さん。
育てることはできないけれど、何か上がっていく人に背押しを、あるいは必要ならサポートを。

そして自分には、読む力を。

 退院のその足で、パッサージュによって、本を調達する。
『富澤赤黄男』俳句全集とあと数冊。

富澤赤黄男
  蝶墜ちて大音響の結氷期

安西冬衛の[春]
  てふてるが一匹韃靼海峡を渡って行った。

 前衛の俳句と、前衛の一行詩。前衛はモダニズムと置き換えても良い。
共通するのは、富澤赤黄男の武漢/北方、安西冬衛の大連という硝煙の中国で表現された——作品。
特に富澤赤黄男は兵站担当とは云いながら激戦の武漢で、戦場から内地に句を送った。安西冬衛は、203高地の激戦後の大連で満鉄に勤務した。(のちに足を失って退社)

 この1年半ほぼ毎日、何時間か戦場についてのドキュメント・ニュースを見て、軍事や地政学の本を読んで…そしてロシアの小説を読んで、始まった戦争が何故、終えられないか止められないのかを、考えている——正確に云うと考へる材料、資料を摂取している。
 日中戦争、第二次世界大戦時に、文学者や芸術家が、戦争協力的な仕事をしたことを非難するような本をたくさん目にしてきたが、戦争が何故止まらなかったのかを考へるなら、軍事を司った人たちのことと、その技術の悪さを見るべきであって…別に戦争推進協力をした文芸家たちを庇うつもりは毛頭ないが…戦争に絡んだゆえにテンションとクオリティが高くできあがった作品からも、いろいろ見えてくるものがあるのではないかと、漠然と思う。
 安西冬衛はモダニズムの詩の創始者であり、抜群に抜けた仕事をしたが、思うに大連時代のものに優れたものはほぼ尽きる。富澤赤黄男もまた、いつ命を失うか分からない戦場で、抒情を孤独の物質に変えて詠んだものの痛烈さは、中国、武漢の激戦の中でしかできないものだ。
 そして不思議なことに、一年半、ウクライナ侵略戦争を見続け、思い続けて(事柄のこんなに情報が入ってくるものはかつてない)…たとえば塹壕ではこんなことが起きる、こんな風景が見える…という些少ではあるが感覚が入ると、だからこう詠んだ、こう書いたという要素の一部が膚にひりひりと反応する。さし込むところがあれば、句は、詩はすっと身体に入ってくる。

富澤赤黄男の武漢での戦いを詠んだものがある。
富澤はいくつかの連作をひとまとめにして発表している。山口誓子も5句をひとくくりにしていた。
戦争が拡大を恐れて、ちょびちょびと戦っていた日本が、徴兵令を発して、とにかく落とそうとした突端が武漢。ここから日中戦が拡大していく。

 武漢つひに陥つ
   (われはなほ生きてあり)

眼底を塹壕匍へり赤く匍へり
耳底に赤い機銃を一つ秘む  
網膜にはりついてゐる泥濘なり
胸底に灰色の砲車くつがへる
めつむれば虚空を赤き馬をどる
掌が白い武漢の地図となれる
吾はなお生きてあり山河目にうるむ

さて、蝶に戻ると、富澤に蝶のでてくる句は他にもありそれがまた心に墜ちる。
今は、ネットで蝶を詠んだ句と検索すると、歴代の句が出てくる。冬蝶は季語でもあるから。だが、自分には安西と富澤の表現だけがフィットする。(これからどうしてか?を考えてもいきたい)

  蝶ひかりひかりわたしは昏くなる

不発弾という小見出しでまとめられたものの中に
  戦闘はわがまへをゆく蝶のまぶしさ

他に
  稲妻の いつぴきの蝶 おしながされ
  海蝶のふたつあはれや 白と白
  夏の蝶 大洋うねりやまざりき
  跫音は くうへ消えゆく 黒い蝶

富澤赤黄男は、蝶に特化した俳人ではない。全句集にそれほどの句数があるわけではない。それでもほぼ琴線に触れる。

もちろん句集からのちに削られたもの、載せなかったものがけっこうある。
たとえば
  捕虜を斬るキラリキラリと水光る
  落日をゆく落日をゆく真赤い中隊

という句もある。
 戦争中から前衛俳人たちは弾圧され続けてきた。たぶん赤い中隊が、露軍赤軍に結びつけられることを避けたのではないかと思うが、富澤赤黄男は激戦の武漢の前線で兵站部隊にいて、マラリアに罹って一旦引いた後、今度は、陥落寸前の千島列島に派遣されるという過酷に戦場を転戦する。
 前線から句を日本に送って『旗艦』などに掲載していた。なので武漢陥落、塹壕戦の句もある。そしてさらに妻を思う、エロティックを越えて、エロじゃないかという、それでも抽象化されている句もある。軍の摘発をさけるために、風景や感情をダイレクトに写生しないところがある。たしかに安西も富澤も女性を表現して…時代のせいもあるけれど…好きじゃない…というか嫌な感じを受ける。(今だからか、今の自分だからかそのあたりも考察したい…)

 戦後に出した『黙示』という句集があって、それは現代美術・抽象彫刻のような趣があって、コンテンポラリーな印象があって、今の視点で受け止めても、感覚的にフィットする。こちらに風景を生起させる力がある。

さて、富澤赤黄男を現代も有名にしているのは、

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
                        寺山修司
と、関連して挙げられる

    一本のマッチをすれば湖は霧  富澤赤黄男
                   
である。上の句をすぽんと富澤から取り入れた寺山修司の歌は、当時、かなり問題になった。下の句に寺山の意図を見いだせそうだが…(寺山修司によく構ってもらっていた身としては…祖国というものをあれこれ云ったり、考えたりするようなところは全くなかったので、教科書などにある現代語訳には、相当の異和感がある。)

マッチをする一瞬、海に霧が深く垂れ込めていて、我が身を捧げるほどの祖国というものが私にあるのか。
とか、海の向こうはアメリカ店とか、タバコに火をつけようとしてマッチをすっているから少年ではないとか。短歌を構成している言葉の連なりから生まれている表向きの意味は、特に寺山修司に関しては、そんなに囚われなくても良いものだと思う。

話しは飛ぶが…
天井桟敷の完全暗転の闇宙に、しゅっと燐寸が擂られ、くるくると闇を舞って墜ちていく——というシーンを見たことがあるだろうか。何十人もいる暗転の闇に次々と、燐寸の廻って乱れ墜ちる。(俳優がランダムにくるくると火を廻しおとしているのだが…)天井桟敷の燐寸乱舞は観客誰もの心を鷲掴む。この燐寸は俳優の能動の意志でもある。燐寸をする一瞬に、海の霧が見えるのではなくて…燐寸の煙がうみに霧がかかっているように見えるのだ。寺山修司は、世間のノーマルな感覚に合わせて風景を描いているが、富澤の句の、燐寸の煙を通してみると、湖は霧のように見え、それは望郷へも繋がる。だが戦場でそれは云えない。

 ここからは、私的曲解…面白く解釈すると、命を失いそうな前線を連戦して、一本の燐寸で望郷をした富澤赤黄男に対して…〈一本のマッチをすれば湖は霧〉という表現をしたあなたにとって、祖国はなんだったんですか?と寺山修司が問うているとしたら——。富澤さん自分は死んでしまったかもしれない、死んでしまうかもしれないのに、戦場に居る。…身を捨てて守る祖国、日本というものがあなたにはあったんですか?と見立てたらどうだろう。寺山修司は、本歌取りの言葉をもって、ドラマを作る名人であった。

 しかし、おそらく真実は、小林旭の映画のシーンをイメージしたという証言をいくつか聞いている…。寺山修司のことだから、それもまた虚の実ではあるが、あり得るはなしだ。それはそれでまた別の魅力をもつ。誤読させる、転倒したイメージをもたせる、それが寺山修司の…なんというか、作戦というかいたずらというか…それを自身が死んだあとさらに効果を上げようとしていた節がある。
だから…教科書的に意味を個性させたら、寺山修司が少し可愛そうだ。
 
寺山修司『未完歌集 テーブルの上の荒野』に

古着屋の古着のなかに失踪しさよなら三角また来て四角

という短歌がある。これは、子供歌というか…

さよなら三角 また来て四角 
四角は豆腐 豆腐は白い
白いはウサギ ウサギは跳ねる
跳ねるはノミ ノミは赤い
赤いはほおずき ほおずきは鳴る

からきている。

確か…好書好日だったか…歌人の小島なおが、
古着屋の古着のなかに失踪しさよなら三角また来て四角
「さよなら三角また来て四角」なんて、きっと無意味だからこそこんなにもあざやかに耳に残るのだろう。
とか書いているが、たしかに寺山修司は、はっと聞いて心に残る、引っかかる言葉の組み合わせ使いを得意とした。無意味ではないけれど、意味を書くと魅力がなくなる。寺山修司の歌は、言葉とその向こうの〈意味のようなもの〉との間を広くとらないと、魅力が半減する。

寺山修司は、三角四角を他でも使っていて
浅川マキが歌って大ヒットした、『かもめ』に

さよなら三角、また来て四角、桜散る頃、出て行って、それっきり、帰って、来なかった。

というフレーズがある。

歌を忘れた女の子月夜の裏町ただひとりそこへ流しがやってきてホラホラ 一緒に歌おうよさよなら三角 また来て四角 

これは、宮城まり子が歌った『さよならを売る男』のなかに出てくる。

 富澤赤黄男の本句と寺山修司の歌を並べて、遊び読みをしながら、関係を改めて思った時に、教科書に載せて、解釈を字義通り、言葉のすぐ後ろにある本当そうなイメージを並べて、意味を付加し、それを子供たちに植え付けるという行為は止めてもらいたいなと思った。自分が勝手に騙されたり浅く読むのは構わないが、人に読ませるところに余り流布しないで欲しい。
 歌は読み手が自由に読めば良い。特に寺山修司は。
ところが、富澤赤黄男は、そういうわけにはいかない。後ろにぴったりと匂いだったり血の色だったりがはりついていて…その上での風景が、しかも心象風景が…そう思わせないように置かれている。言葉によって。最近は、一日一回は『富澤赤黄男 俳句全集』を開いては愉しんでいる。

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