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『月夜に』大駱駝艦/齋門由奈・振鋳・演出・美術

 何処にあるのか——この町。
月の光が明るく降り注いでいる、其の町。長屋の屋根に、女たちが3人、まちを見下ろして喋っている。
何か楽しそうに、思惑ありそうに。今夜、何が起きる? いや、いつもの一夜。

 町には少し間抜けそうな顔の仮面をつけた男たちが、行き交っている。壁にぶつかりそうになたり、愉快に慌てたり、また行き交ったり…其処にる者たちは、光のもとで影がない。そうつまり、人外ひとならぬものたちの世界。ここは人外長屋。月の裏側。

 地球から見える月は59%、月裏を思い遣って作品を作ると——齋門由奈が云う…からてっきり月の裏側人外長屋かと思いきや、月の裏側に月の光は降らないだろうよ。問うてみれば…
「いや、降る降る」「月の裏には月の光」
女たちはそう答えそうだ。
 たしかに大駱駝艦のことだから、月の裏側に月色の光、降らせることくらいわけのないこと。

 長屋は女たちの元で、パノラマ模型のように現実味を失って、月の現実を纏っている。人は優しく、剽軽な貌や仕草をしている。男たちもたくさんいる。でも町は、どうみても女たちが支配している。

 自分がこれまで見てきた大駱駝艦は、麿赤児の男の踊り、そして演劇的、道具的外連を見せる[男]の世界だった。ところが、齋門由奈の演出・振付する『月夜に』には[男性性]が少しばかり欠如している。もちろん、舞台のどこをとっても大駱駝艦。ずっと継承されてきた踊りや演出、女たちのチャーミングな仕草。

 『月夜に』は、女性的。しかしながらアンチ男性、フェミニズムでは決してない。もちろん。
所謂、女らしさと云われる[女性的]も微塵もない。飄々とユニークな、暗黒舞踏少女隊ガーリーぶたい。男たちは仮面を被ってどこか楽しそうに此の饗宴に参加している/従っている。

 影を落とさない月下の光は、夜なのに明るく、舞踏手たちの貌や手足を照す。この世ならぬものに内的影を落とすのは、幾つかの災禍、幾つもの疫病、勃発してそのまま止まない戦争…そういった時代天賦の欲望が反映されている。人はその昏さに孤独感を募らせる。だからこそ、月の耿々と照る夜の、人外たちの不可思議で饗宴は、それぞれの孤独感を密やかに納めて、明るく、底抜けに踊られるのだ。

 女性舞踏手たちが示し合わせたように、それぞれの表情でユニークに、けらけらと、からからと、そしてにったりと、笑い踊ることで___月光の明るさの下で闇は、どこか収まりをつける可能性を知るのだ。踊り続け、月下明るく奈落を見据える。
 この舞台のあり様に、新しい価値観を感じる。齋門由奈の創造力、演出力もさることながら、共振して踊る男性舞踏手たち…一人一派と大駱駝艦を次世代へ繋いでいく麿赤児の懐の深さとその意志。大駱駝艦、未来へ。

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