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フラッシュメモリー 2022/3『長野まゆみの偏愛耽美作品集』◉長野まゆみ編


長野まゆみの偏愛耽美作品集◉長野まゆみ編

デザイナーの机の上から、借りてくる新刊に最近外れがない。

一冊目は、『Stutgart/Chikashi Kasai』二冊目は『唐十郎のせりふ』三冊目が『長野まゆみの偏愛耽美作品集』長野まゆみ編。

耽美くくり、しかも自分の十代だった頃の愛読書という呈。十代でこの並び…!四、五冊愛読書が入っているが、ほぅ、と片端から読んでみたくなるような。

アンソロジーとか、選集というのは、時代の読み方を決めてしまう力がある…価値観も。自分でも耽美の特集をしたことがあるけれども、やはり時代に阿るというか、流れにくみされてしまったところもある。人形じゃなくてドール、耽美じゃなくてお耽美、ゴシックじゃなくてゴス。ロリータもだいぶかけ離れた流行にあった。それでもと思ってたが、うまくは行かなかった。

長野まゆみの耽美はもしかしたら主流ではないかも知れない、今の十代にとっては。でもこれが本格だよと言い添えてあげたい、余計なお世話だけど…。この編集は、読み手の視線に充ちていて、ディテールから入り、そして愛でる。もともとカットインするような読み方が、好きなので…嵌まって、一気に通読した。今まで読んだものも。読書って何度もだし、その度ごとに新鮮に迎えるかが愉しみのこつだが、自分でない人のカットインポイントを使わせてもらうのは、また格別。(切り込みの個性があることとか魅力があることとか目から鱗とか。誰でもどこでもどんなでもいいわけではないけどね。)

ちょっと理由があって、『雨月物語』を各翻訳者で、四通りほど読んでいたのだけれど、なんとなく円地文子訳を読んでいなかった。円地文子自体、まったく読まないからかもしれない。青頭巾の「月がさしのぼって~」からの件で風景が浮かんだ。円地文子の風景なんだろうと思う、そして長野まゆみの…この件、他の訳でも線が引かれていたけれども…不思議とこの選集で…。そして他に線を引いて読んでいたのが、紺と青。同じ青として扱われている。ふと思ったのは、『雨月物語』は月齢によって時間ごとの外の明るさを表現していることがあって、時間の経緯で、月の明るさが変わって紺に見えたり青に見えたりなのかな…とか。

各、作品の終りに編者のひとことが書かれている。

藍も紺も青。読む目のさきに色が映る。~あとには青布と白き骨。古くは白もあをのうち。

編者のひとこと読むだけでも価値がある…と、言いたくなるが、ひとことが、作品の秘めた魅力をさらに際だたせると言うべきだろう。けっしてひとことを先に読んではいけない。自分の読み方との違いを楽しむ、びっくり、とか、ほおおとかするように読むのが肝要。もちろんそうそう、という同意もまた我が意を得たりてきに愉しい。ひとことは答えではないので、先に答えを知りたがるご時世に、それだけはしないで楽しんでみてと言っておきたい。

鳥のこと少年のことを思っていたので、巻頭の三島由紀夫の『孔雀』を読んで、今は、三島由紀夫の読書に旅している。『癩王のテラス』にまで辿り着けるのか自分。

ともあれ読書の快楽、耽美の時間にたっぷり耽ることのできる一冊。

#長野まゆみ #偏愛耽美作品集 #三島由紀夫 #上田秋成 #雨月物語 #青頭巾  


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