春と修羅[変奏]勅使川原三郎

「春」変奏曲(宮沢賢治)勅使川原三郎/佐東利穂子@アパラタス

若松武の死が伝えられた夜、「春」変奏曲の開演をまって暗容のアパラタスに勅使川原三郎の登場を待っていた。勅使川原三郎のところにいるHは、僕が若松武とWAKAフローティングカンパニーという二人きりの劇団を作ったときに制作をやってくれていた。受付で顔を見合わせるなり、絶句のようなそして小さなため息をした。二人同時に…。闇の中で「チェンチ一族」(アルトー/天井桟敷男優のみ)の若松武の背中の演技/踊りを思い浮かべていた。闇の中で観客に背を向けて、天使の羽(肩甲骨)で…踊っていたというのか、語っていたというのか…。言葉にもしないままずっと受け止めた映像と感覚のまま懐胎していた…ほどいてみても鮮やかに、若松武はいまもいる。
闇の中に勅使川原が登場した。軟らかなシルエットが闇に溶け合っている。「春」変奏曲は、詩編『春と修羅』に収められている。勅使川原は長いこと宮沢賢治の詩編を踊ってきた。勅使川原三郎の活動に帯同していた時期もあって、種山高原で宮沢賢治を舞ったときの映像を写真に収めたりもした。宮沢賢治はもっとも勅使川原三郎に親しい作家だが、[変奏]となると、さらに勅使川原三郎のダンスの真骨頂でもある。アパラタスで日々、変化していく作品を踊っているのは、ここ10年の姿勢でもある。変奏は即興でもあるが、主題が決まっている中での変化/進化の即興である。勅使川原は作品の中で常に[変奏]をし続けてきたとも言える。
『春と修羅』の他の詩編からも詩の言葉がちりばめられ、つぶやくような勅使川原三郎自身の言葉も散在している。詩も変奏させている。春に修羅、春なのに修羅。修羅があっても春は来る、明るく。そんな風に勅使川原三郎は踊っているように思えた。
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それから3人そろって家を出た。もう何ヶ月もやっていなかったことだ。電車に乗って郊外に出かけた。社内には、この3人しか客はいなかったが、暖かい太陽の光が隅々にまであふれていた。気持ちよさそうに座席にもたれて、将来の見通しを語りあった。…そんな話をしているあいだに、どんどん生き生きしてきた娘を見ていて、ザムザ氏とザムザ夫人は、ほとんど同時に気がついた。最近は、ほっぺたから血の気の引くような苦しみをさんざん味わってきたのに、花のようにきれいで、ふっくらした娘になっていたのだ。『変身』カフカ・丘沢静也訳の最後の部分。グレイのトーンがふうわりとカラーに変奏されたように『変身』は終わる。春、カフカの妹に対する気持ちも感じ取れるような、遺書のような、僕がいなくなったら、みんな…してね。
何度読んでも涙ぐんでしまう文庫にしても見開にも満たない短い、詩編のような部分は、『春と修羅の』「春」変奏に少しずれて重なる。
昏いアパラタスの地下で、そんな春を感じていた。
 (ギルダちゃんたらいつまでそんなに笑ふのよ)(あたし……やめりょうとおも……ふんだけれど……)…(さっきのドラゴが何か悪気を吐いたのよ)(眼がさきにをかしいの お口が先におかしいの?)…のどをああんとしてごらん/こっちの方のお日さまへ向いて/さうさう おゝ桃色のいゝのどだ/
のどをのぞき込む楽長のなんとエロティックなこと。なるほどね……勅使川原のつぶやきが重なる。声として聞こえたいたのか…踊りの声だったか。アフタートークで二人の勅使川原三郎が出てきて、対話するのを聞いたことがあると思うが、そんな感じ、踊りながら対話している。そして納得するようになるほどね…などど独り言ちしている。踊りはだから、外に向かって観客に向かって内面を吐露しているわけではない。だろう。
修羅さえも春に。踊っている勅使川原を見ているとそんな言葉が頭に浮かんでくる。踊りは観客の中で変容し未来に向かって風を吹かせる。
勅使川原は、踊りによって詩の深奥にある言葉の精気に出会わせてくれる。それはつきつけるようにではなく、ああなるほどね……と、その度ごとに詩に出会いながら、発見させ納得させてくれる。誰かに言い聞かせるように……自分に言い聞かせるように……見るものを包みこんでくれる。
すぐれた人形師が、作り手の個を入れずその身体を作るように、勅使川原の身体から個が消えて詩の存在になっていた。変化(へんげ)する身体と感覚は、春に溶け、修羅を舞いながら未来に吹く風を望んでいる。希望と絶望の狭間に揺れながら。闇や詩がすぐ側にあるコロナ渦のぎりぎりの地点で、勅使川原と佐東は春の明るさを踊る。今だからこそ、のその覚悟が、優しく軟らかな風となって舞台に拡がっていた。



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