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画集『人魚の見る夢』樋上公実子


絶滅危惧種のふわふわモフモフの毛並は、混合技法の[白]で描かれている。混合技法の白を軟らかく毛のよう使う…印象的だ。技法とか技術は、芸術においてけっこうやっかいな存在だ。特に混合技法は、技法に使われてしまう可能性の高い両刃の剣…技法は描きたいものをもって習得するのが良い、先に技法を身に付ければ、描くものが分からなくなり、混迷する。これは、今から40年以上前に、青木画廊で鮮明なデビューを果たしたウィーン幻想派系の作家が、混合技法について私に囁いたことだ。以来、絵についてはそんなことをずっと思ってきた…が、樋上公実子は、絶滅危惧種のこの感じを描きたいから混合技法を身に付けたのでも、混合技法独特のテーストによって絶滅危惧種を生み出したのでもない。そのどちらでもないところに、樋上の独自と魅力がある。(混合技法もここに溶け込んで新たな展開をしているのだろう。見ることをもっと自在にしてみたいものだ。)
Pポイント展覧会「人魚の見る夢」を見ると、年ごとにくっきりと手が変わっていく様がわかる。…絵が進化している。技法が手にしっくりとなじんでいく度に、手が生み出し拡げていく領域が自在になっていく。絵は、手がすすむように描けば良いのだ。長いあいだ、身体に中に潜んでいた[表現されたいものたち]が…手に解放されて(その中には絶滅危惧種もあるだろう)…形になって顕れる。…少女の頃から潜ませてきた[描きたいもの]____もしかしたら手の持ち主も朧にしか見えてないものを…顕かにしようとしている。顕かというのは、描けて、定着して、かつ観客に見えるものとなって始めて、[あきらか]となるだろう。なかなか絵を描いていてそこにいく作家は多くない。
人魚の見ていた夢は、少女の見ていた夢。そして樋上公実子の見ていた夢。https://note.com/pkonno/n/ne3a6057dae86。ドキュメントは書かれて妄想として受け止められ、描いてファンタジーになる。話は少し飛ぶが、ホフマン「くるみ割り人形とねずみの王様」にこんな一節がある。——マリーは自分の経験した冒険の話をするのはもう許されなかったものの、あのすばらしい妖精の国のさまざまな光景は、甘く波うつざわめきとなり、やさしく愛らしい、音となって、彼女をのまわりをいつも飛びかっていた。意識をしっかりそこに向けさえすれば、なにもかも、いまいちど目に浮かぶ——この小説は、少女が見る夢が…(少女にとっては現実で、くるみ割り人形はすぐに人になったりまた戻ったりするが…)いつまでも存在する可能性について描かれているという一面がある。まさに樋上公実子は、夢の世界を現実に生きて、描いている。絵の中で、夢/少女の現実は、さらに展開している。夢は夢を、描かれた現実(レアリテ)は、次の現実を生んでいく。
ところで、絶滅危惧種のことを____その美しさゆえに滅びる種族だ。と看過した人がいる。画集『人形の見る夢』のアートディレクター・ミルキィ・イソベだ。そう樋上公実子の絶滅危惧種は美しい。そして儚いはずなのに、その一代の生を愉しんでいるように見える。私には絶滅危惧種は、絶滅貴種と目に映る。そこには一行ずつの物語が書かれていて、動物たちの美しい事情を知ることができる。物語と相まった樋上公実子の絵は、これからも展開していく予感がする。この画集はその端となるであろう記念の一冊になる。


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