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自己分析の深まりと広がり

最近は、お米を以前より食べれるようになった。
料理するのは好きなんだけど、この3年くらいは、2〜3ヶ月に一度お米を炊くか炊かないかだった。炊飯用の鉄鍋で炊いて、冷凍せずに1日で食べ切る量しか炊かないので、たまにする外食以外ではほとんどお米を食べなかった。
お米の消化は重たく感じて、軽い麺とか芋類とか、炭水化物なしの食事がその頃は丁度良いと感じてた。
今は3〜4日に一回、多い時は隔日で、同じようにお米を炊いている。前は、たまには食べないとな…と思って食べてたけど、今は美味しく感じるようになったし、消化も負担を感じなくなったから食べるようになった。そうなれば、塩分ミネラルとか鉄分とか、今まで追い付かなかったものを自然とより摂取できるようになって、さらに心身は調子良くなってきている。
それと同時に、たまに爆発的に起きる食欲発作みたいなのがなくなった。炭水化物を食べない代わりに、野菜とか肉魚とかをありえない量を1日に食べることが月1〜2回あった。それをしたら気が済んで、それまでの食事ペースに戻る。というのを何年も続けていた。
そんな欲求に駆られることも無くなって、心も体もほっとしてる気がする。

それとカフェイン。紅茶やコーヒーや緑茶や抹茶をほぼ毎日、1日に4〜5杯飲んでいたけど、今は週に1日飲む日があるかないかだ。
水と空気が美味しい場所で摘む薬草とか、庭で育ててるフレッシュハーブたちや、無農薬の果物の皮を干したのとか、そんなのをその日の気分でミックスしてお茶にして飲んでいて、お茶として身体に取り込むことの意味を実感したりしている。
今の環境になってカフェインに頼りたいと思うことが無くなったし、たぶん身体が必要としてないから、カフェインを1日に何杯も摂取したら気持ち悪くなるようになった。
濃い紅茶を入れて、たっぷりのハチミツを溶かして新鮮な牛乳を注いでグビグビ…というのは、たまに飲む特別なものになった。


今までも今も、私にとっての分析は螺旋をクルクル降りていくようなものなのだけど、
ちょっと捉え方が変わってきた点があって、
その螺旋は一定の幅を保っている或いは一定の幅が決まってるいもの、ではなくて、"螺旋が描く円は少しずつ広がっていく"ということを感じるようになった。
螺旋の線上を降りていく感覚だったのが、螺旋状の面を降りていってる感覚に変わってきた。それは、細い線の上を歩いてたのが気付けば幅のある面の上を歩いていたという感じで。
その面の幅は徐々に広がっていって、結果として螺旋の形状は裾広がりになっていくようなイメージ。


過剰な不安定な食欲とか、カフェインなどの嗜好品に頼ってしまうとか、そういうことって
自分の心身がその時立っている場所(自分の状況)に、抱えきれない不安を感じているからだったんだと思う。

その不安から解放されてゆく中で、細い線上を不安定に歩んでいっていたものが、幅のある面上を安定して歩けるようになる。歩く場所に広がりが生まれて、伸び伸びと自由に、歩きたいように歩けるようになる。




それと話は変わって、
私はずっと、手を動かして作ることを仕事としてしてきたのだけど
内面の女性性と男性性、或いは母性と父性、そのバランスや調和と、自分の仕事の今後の変化についてなんとなく考えが浮かんだりしてた。
今の場所へ越してきたきっかけの一つは、10年前に一年間、この土地にある研究所で絹についての勉強をしてた経験があったから。土を耕して桑を育てて、蚕を育てて繭を作り、糸をひいて布に織るまで、その膨大な工程を一貫して自分たちの手でする小さいけど大きな研究所に。
その後の10年の間、私は、ここで作られる神々しいほどに美しい絹布を縫えるようになるために、手縫いの縫製を勉強し、そして仕事として経験を積み上げてきた。
だけど手縫いで生きていくというのは、私にとっては、どうもバランスが悪くてしょうがなかった。手縫いを始めたきっかけを掘り起こせば、どうやったら人の手を超えるような美しい素材(布)を生み出せるのか、そしてどんな形で人に伝えられるのか、という大きな疑問が原動力だった訳であって、何かを生むという行為はやっぱり父性と母性の調和が始まりだ。かたや手縫いの行為は、母性的女性性そのもののようなところがあって、私はこれに偏りすぎるのが居心地悪かったんだ、と今は思う。
土作りから、植物や虫を育てて、糸を作って布を織って、縫って形にするまでの膨大だけど調和と循環、大きな平衡のあるこの課題に取り組むことをしたくてしたくて、、、10年の紆余曲折を経て、またこの土地に戻って来た。人の手を超えた美しいものを作る、という自分にとっての大きな課題である勉強、研究の続きを私はしたくてしたくてたまらなかった。
(↑これに関してもっと文章にしたいこと沢山あったけど、集中力が切れてしまったのでまたそのうちに書いてみたい)
10年前に思い切って戸を叩いた研究所での、たった一年の経験が、その後こんなにも私の中で大切なものになるとは、あの時ぼんやり知ってたようで全く理解できてない部分が大きかった。今でもこれに関して理解できてない部分はたくさんあって、これは自己分析の対象でもある。長い時間をかけながら分析していく、私の楽しみだ。



この一週間、あれこれといろんな面白い思考が心身を巡ってたのだけど、文章に起こしてみたらこんな感じになった。
自分の思いとか体験を言葉に起こすことって、昔は大の苦手で抵抗があった。だけど今は、結構楽しい。見てきた自分や見えている自分と、まだ見えていない微かにしか感じられない自分とを繋げる作業のようにも感じられるからだと思う。

お向かいさんの屋根の上に…
綺麗な彩雲を発見🏹🌈

先日、自宅の作業部屋から空をのぞいた時の景色。こんなに綺麗な彩雲は初めて見た、どうやらいいことあるみたい

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