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仕事とか社会とか

仕事ってなんだろうね?なんのためにするんだろうね?
と友人と去年の秋〜冬頃に話してたことがある。

その友人は美術家として立派に活躍しながらもアルバイトも掛け持ちしていて、この話をした時期はちょうど、彼女が食べるためにしていたアルバイトを辞めてフリーの美術家としてスタートさせようとしていたタイミング。
私は、精神分析に時間もお金もつい混んで、社会に対してはほぼ引きこもりで、仕事も9割以上寝かせていた時期。

社会へ感じる違和感とか批判を彼女とは自然と共有できていて、「仕事って、ねぇ…なんだろうなぁ〜」と言いながら、自分の成長とか喜びとかなのでは?というぼんやりした思いをその時の私は言葉にしたのを覚えている。


ここ最近、社会についてとか仕事についてを一人悶々と考えることがあって、この時の会話を再び思い出したりしていた。

私は22〜23才の頃から、社会とか、その一部として仕事をすることが怖くなってきていた。その時までに私が体験し社会へ感じてたことと、父の姿(目線から)見てきた社会とが重なったり衝突したりする部分が大きくなり、社会への違和感とか懐疑心や混乱が急に自分の中で芽生え出した時期。

その頃から、たぶんずっと、このことを心で噛み砕いて消化できないまま抱え続けててきていて、精神分析に通い心を紐解いていく中で、家族に対して引きこもると同時に社会に対しても引きこもっていった。この時、なぜこんなに家族だけじゃないほとんどの人達を遠ざけたくなっているのか、その時はよく分からない部分が大きかったけど、今はあの自分にまっすぐと理解が示せる。

私は小中高専門学校と、社会へでて仕事する事へのモチベーションは高かった。家庭での混乱の中でも、私なりの夢とか希望が強くあって、広く外へ向けて心を開いて行きたいという自然と湧き出てくる思いがそこにあったからだと思う。
だけど、学生を終わって社会へ出だしてからは、父の持つ社会への考え方=それまで身近に見聞きしていた社会と、自分の本来持っていた社会への希望みたいなのが自分の中で衝突し始めていた。自分とは真反対の抱えなくてよい親の考えなのに、どうにかして自分の持つものと折り合いをつけようと無意識に働いた結果は心に摩擦を生じるだけだった、ということだと思う。

そんなことをこの1週間ほど振り返っていて、社会というものへ抱えていた未消化の思考や記憶の7〜8割を腑に落とすことができた感覚がある。

それで、仕事って社会ってなんだろうな?という私なりの新しい答えが生まれてきた。
仕事は「心を外へ開いてゆくこと、広く調和していこうとすること」そのものの行為で、
社会は多くのその行為の結果に、人々(あるいは自然を含む人々)の調和と共鳴を生む場とその繋がり。

父の考えは父のもので、私は私の考えを大切に抱いて外へ心を開いてゆけばいい。父の思い描く社会像と私のそれとは全く違う。
最初は怖くても、怖いよなぁと思いながら、一歩づつ進みながら自分の心の扉をゆっくりでいいから外に向かって開いてゆく。

今朝、散歩をしながら、この引きこもり期間があったからこそ私は私として外へ向かって心を開いてゆくことが出来るんだろうと思えて、
なんだか嬉しくて涙が出てきた。
この期間が無ければ、たぶん、他人のこうあるべきだ、こう仕事するべきだ、社会人とはこれだ、みたいなものに振り回されながら心に生じる摩擦にヒリヒリしながら、引き続きよくわからないまま生きていたんだと思う。
これから先もいろんなことが続くんだけど、一先ず、頑張ってきて良かったなぁとしみじみした朝だった。

美しさは作るものではなく、宿るものだ。
私の思い描くこの先も、美しさを作り出そうとするのではなく自分の心そのままを大切に行けたら、社会は美しかった…と感じられているんだと思う。希望を込めて。

良い朝だったので、庭で採ったハーブをモリモリに入れて、目に華やかな美味しいサラダでお祝いの朝食をした。
写真は、今朝の散歩で目に涙が溜まりながら見た景色。

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