シンエヴァ-旧劇リアタイ世代と新規エヴァファンとの狭間で

 いつか、まとまった文章を書きたいとは思っていたもののなかなか筆が進まなかったが、こちらの記事を受けて大いに執筆意欲が刺激され書く事にした。記事中にあった「物語消費」と「データベース消費」に関しても私なりに論じたい。

 まずはじめに筆者のバックボーンを開示しておきたい。私は碇シンジらと同じ2001年に生まれた。2010年前後にエヴァを見始めたのでエヴァ歴でいうと10年少々という事になる。シンエヴァ公開時エヴァ25周年を迎えようかといった具合であるから、ちょうど旧劇リアタイ世代と、シンエヴァから入った新規ファンの中間に位置していると考えている。

 私がエヴァを見始めた2010年前後、(ちょうど破とQの間ごろであったと記憶している)今では4作揃いスターターキットとして勧められている新劇ではあるが、当時ではテレビ版からスタートというのが自然であったように思う。私も例に漏れずテレビ版→旧劇と進み沼にハマっていった。その後新劇も観たわけであるが、序はほとんどテレビ版をなぞり、破ではマリの登場や3号機、ラストシーンなどテレビ版との大きな変化を予見させる内容であったが、Qの前ということでそれほど大きなインパクトも受けず、そういった世界線もあるのだな程度に受け止めていた。自分の中ではあくまでテレビ版、旧劇がメインであった。余談だがその当時マリをみていまいちエヴァっぽくないキャラクターだなと違和感をもった。

 旧劇をみて衝撃を受けた訳だが、いまいち自分一人で消化しきれない。そこで私はインターネットを駆使して様々なアーカイブに触れた。その文章の書き手の大部分は「物語消費」に親しんだ所謂旧来的なオタクたちであろう。私は彼らに喰らいつこうと様々な文章に触れ自分なりに考察なども行っていった。暫くの間そうしていたと思う。そして、やがて挫折した。彼らは当たり前のように宗教、倫理、生物学の知識などを参照し、果ては庵野監督が作った他作品、影響を受けた特撮の知識までもを当然のように身につけていた。私は彼らのようにはなれない、そう思った。

 エヴァQを観に行った時も同じような事が起こった。私の第一感は「訳が分からない」であり、自分だけが理解できていないのではないかとの不安感に苛まれ様々なものを読み漁った。その後自分が出した結論は「皆んな分かっていない」であり、「考えすぎても仕方がない」、そして「難しく考えず好きに楽しもう」というものである。この考えは今も変わらず持っている。その後は所謂二次創作を楽しむなど「データベース消費」に傾いて行った。

 では「データベース消費」に振り切った現代のオタクたちと完全に価値観を共有できるかと問われると答えは否である。私がエヴァを観始めた頃、私の周りはまだオタクに対して風当たりが強かった。特にエヴァなどのアニメは萌えアニメであるとされ、当然隠し戯れるものであった。昨今、市民権を得てポップカルチャーとなり、推し活なる文脈で広く受け入れられているのは隔世の感がある。

 SNSの普及はオタクの有り様を大きく変容させたように思う。情報の共有、コミュニケーションが取りやすくなったことから以前と比べ他人と繋がりやすくなった。それまでは自分が物語世界に触れ、味わい、納得していく事が主体であったものが、他者との共有、共感がメインになったように感じる。シンエヴァではそういったデータベースから出力される感想を共有できない人間に対しての攻撃が顕著に観られた。

 私はシンエヴァ後のあの不満が許されない世界を観て寂しさを感じた。エヴァQからの10年で大きく変わってしまったのだと痛感した。もう「何がQだよ!」は生まれなかった。あるのは25年越しの卒業を祝う声、エヴァという物語ではなく、卒業や自分の人生などを語る上でのとっかかり、共通知識としてデータベース的に作用するエヴァ。自分が範としていた「物語消費」型のオタク達はいつの間にか主流ではなくなっていた。

 考えるにテレビ版、旧劇は世界観が新劇以上にしっかりと作り込まれており、その上で各キャラクターに魅力を感じた人が多かった。換言すると、先に「物語消費」があった。その上で「データベース消費」が楽しめる土壌も用意されていたのである。故にそれぞれのファンには世界観の共有という共通の物語があり、その先での価値観の違いはあれどシンエヴァのような根本からの価値観の相違はなかったように思う。一方でシンエヴァを始めとする新劇はそれまで積み上げられていたキャライメージや設定などのデータベースが先行しており、世界観の作り込みなどが弱かったと言えるのではないだろうか。そしてそれが「物語消費」を前提とした旧来のファンと「データベース消費」を主として楽しみ「物語消費」をさほど必要としない新規ファンとの間で軋轢が生じる要因になったのではないかと思う。

 好意的に捉えるならば、新劇場版、特にシンエヴァは時流の変化を鋭く読みそれまでの「物語消費」から「データベース消費」へと劇的な変化を果たしたのだと言える。多くの新規ファンを取り込み、興行収入も100億円を超えた。多くの代償を払いながら。アマゾンプライムのレビューでは星1は20%を超え、円盤の売り上げも大きく減少した。果たしてこの結果がどうなるのかまだ結論は出せない。新しいファン達がこれまでのように20年近くこのコンテンツを支え続けていくのだろうか。アップデートや変化、改革という言葉が無条件でもてはやされている昨今であるが、もっと上手いやりようがあったのではないだろうかと「卒業しろ」「嫌ならみるな」と言われた私には思える。

 私は「物語消費」と「データベース消費」は状況や作品に応じてバランスをとりながらどちらも楽しむ立場を取りたい。常に「物語消費」ではあまりに難解で行き詰まる。しかし世界観などがある程度できていないとキャラクターや設定を取り出していい加減に楽しむこともできないのである。


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