字・エンド


 文字を書くのが好きだ。

文章ではなく、文字自体。漢字ひらがなカタカナアルファベット、基本なんでも好き。
 

 思えば小学生の頃の宿題で、漢字練習帳にひたすら漢字を書く課題はかなり頑張っていたと思う。漢字ドリルの漢字を何も考えずひたすら書き写すという言わば「作業」なのだが、それが非常に心地よかった。学年が上がるにつれて画数の多い漢字も増し、「漢字書き取りロボット」と成り腕が鳴りまくった。同じ文字を書き続けることでゲシュタルト崩壊に近いトリップ状態になっていたのかもしれない。

 時は進み、中学受験をするために塾に入会した私は、そこである事に気付く。それは「字は体を表す」こと。数学担当のサバサバしている先生は、その性格通り、無機質で力の抜けた字を書き、社会を教えるふくよかで優しい先生は、丁寧で丸い字を書いている。性格そのものが文字に表れるということを当時の私はそこで初めて知るようになった。そうやって文字に色んなバリエーションがあることを理解した私は、「人の字を真似することにハマってしまった」のである。いや、正確に言えば、「無意識に授業をしている先生の字に、自分の書く字が似てしまう現象」が起きてしまった。無意識に、である。

 授業ごと、先生が変わるごとに字形が変化していった。カクカクした文字を書くときもあれば、丸みを帯びた文字も書いた。特に社会の先生の癖のある丸い文字と、「おいおいそこから書くのかよ、、」と思わず言いたくなるような、他の人は絶対にしない指導要領無視の書き順は今でも自分の字に影響されている。

 そんな、小学校の頃から「字を書く悦び」を感じていた私は今でもほぼ無意識に、授業中に自分のノートは勿論、配られたプリントやテスト用紙に余計な字を書いてしまう。何度も言うがほぼ無意識に、だ。何か書いていないと落ち着かないのである。その時思い浮かんだ曲の歌詞だったり、自分のサインや有名人のサイン。なんでも書いちゃう。そしてなぜか、書いた後それを「消すの面倒臭いな」と消しゴムで消しながら後悔するのだ。だったら書かなきゃいいのに。前に一回だけ、現代文のテストでとても時間が余ったのでいつものように適当に文字を書いていたら、いつの間にかテスト用紙が自分の書いた文字だらけになり、後日それを消さずに友達にそのびっしり文字で埋まった問題用紙を誤って友達に貸してしまい、恥ずかしさで死にたくなったこともあった。あの時一体自分はどんなことを書いていたのか、どうしても思い出せない。

 この変な趣味のせいで損もしたことはあったけど、沢山字を書いたおかげで友人や先生から「字上手だね」と言われることは多くなり、なんだかんだ良かったなと思うし、これからも文字を書く機会はなくならないので、どんどん書いていきたい。あの塾の社会の先生の優しい性格が、体を表すという自分の字に、少しでも入ってれば良いなと思う。

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