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またみてみる

野中です。

前回、なぜ過去の写真をまた編集するのかについて書いて終わりましたが、今回はその理由を書いてみたいと思います。

随時書いた内容は編集するのでご了承下さい。

そもそもですが写真は高校生くらいからなんとなく一眼レフを持ち歩き始まりました。

美術をやっていたのですが、性格的にちまちま筆をのせて書いていく絵の書き方よりも、ボタン一つで好きな光景を切り取って残せる写真を選んだのは必然だったのかもしれません。

そこから素人感覚で写真の世界に入ったのですが、私が感じたのは写真には明確な正解というものが無いものという事。

会社員時代、大手ストックフォト関連の作業をしていた時に、そこで求められる写真とはその業界が定めたルールにいかに当てはまっているか、そこが重要視されるものでした。

ですが、たとえばですが報道やアート(今だとインスタグラム等)のような世界ではそのような基準の写真はほとんど見たことがなく、構図もなにもかもめちゃくちゃだけど「良い」とされるものが定まってる世界。

同じ写真なのに、まったく違うものに感じました。

私は仕事として写真の世界を通じて生活をしてきてますが

窮屈なものだなと最近は感じています。

ISOはいくつ以下、ピントがあってるあってない、レタッチ云々、、、

もちろん、仕事としての写真は大事です。無論、書いておきます。

でも、はたして本当にそれが「良い」のか?

良い写真てなんなんだ,,,


なんでも決めつけるのは良く無いと私は感じています。

ノイズがあるとダメなのか?白とびしているからダメなのか?

〇〇のレンズじゃダメなのか?


様々な柵を通じていくと、ふと昔撮った写真を見ます。

すると、再発見が生まれるのです。

例えばこの1枚

_MG_1881 コピー

2015年くらいです。

スナップでなにげなく撮ったこの1枚を当時

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当時このように加工していました。

規則的でシャープな絵に加工することでアート的に。

彩度も落とし。

これはこれででしたが、今回これをまた再編集しました。

それが下の1枚

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窓の青を強調し、それ以外の色を抜いて黒と青のコントラストを意識しました。

人によってはこんなの写真じゃない、と思う人も多いと思います。

前のほうが良いじゃん、とか。

だいたいなんなのこれ?みたいな。

でも、これが私にとっての写真の世界なのです。

コントラスト高すぎて画質が崩壊しても、いいじゃないか。

昔の写真を再編集するのは、現在の自分の思考感覚をカタチに残しておくための記録作業。

なんだと思います。多分。

そして、それは様々な価値感が氾濫している現代、自分が自分だと認識するための作業なのかなとも思います。