火曜日のともだち

大掃除をしていたら、薄汚れたポムポムプリンのぬいぐるみが出てきた。
ぬいぐるみというか、手のひらに収まるくらいのサイズのマスコットだ。頭にゴムの紐がついていて、鞄に付けたりできるタイプのぬいぐるみ。
このポムポムプリンとは、高校三年生のときの一年間、一緒に学校に通っていた。私のリュックにぶらさがって、毎日一緒に自転車に乗って、毎日一緒に電車に乗って、毎日一緒に教室に行っていた。
一年間そうやって過ごしたら、薄汚れてしまうのも当たり前だ。洗ったけれど、それでももうどうしようもないくらい薄汚れている。でもなんとなく、捨てられないでいる。一年間一緒に過ごした、お気に入りのポムポムプリンだから。

このポムポムプリンを見ると、思い出す人がいる。
同級生だった女の子だ。すらりと背が高くて、メガネをかけていて、いつも大きなリュックを背負っていた。
その子は、火曜日の朝だけ、私と同じ電車に乗っていた。でも、一緒に電車に乗ってお喋りしたりしていたわけではない。電車を降りたあと、駅の改札のあたりで自然と落ち合って、一緒に学校に行っていた。

その子とは、もともと友達だったわけではない。顔見知りでさえなかった。学科が違ったので、同じクラスになったこともなければ、隣のクラスになったことさえなかったのだ。私はその子のことを知らなかったし、その子も私のことを知らなかったと思う。
その子のことを知ったきっかけは、火曜朝に行われていた数学の講習だった。私の通っていた学校では、三年生になると講習と呼ばれる特別授業のようなものが自由に取れるようになる。講習はたいてい放課後にあるのだけれど、数学だけなぜか朝に行われていた。私とその子は二人とも、その講習を取っていた。

朝早い時間の駅は、人が少ない。毎週火曜日に駅でその子を見かけて、そのあと講習でまたその子を見かけて……というのを繰り返していると、さすがに印象に残る。たぶん、むこうも同じだったのだろう。

夏が来る少し前だったと思う。その子に、「一緒に学校行かない?」と声を掛けられた。その日から、火曜日の朝はその子と一緒に学校に行って、数学の講習を受けるようになった。

最初に声を掛けてくれたとき、その子は私に、「ポムポムプリンつけてる子だなって思ってたんだよ」と言った。なんだかうれしかった。ポムポムプリンつけててよかったな、と思った。

駅から学校までは、歩いて10分くらいだった。一緒に何を話していたかは、正直あんまり覚えていない。夏は暑いねって言って、冬は寒いねって言って。あと、数学が難しくてわけがわからないだとか、食堂がボロすぎて風が吹いたら揺れるだとか、購買のからあげはいつ揚げたてなのかだとか、そういう他愛のないことばかり話していた気がする。

朝の講習というものは、結構つらい。「講習」である時点でまずつらいし、「朝」であることでさらに三倍くらいつらい。七時半に学校に着こうと思ったら、五時半には起きなければならなかったから、冬場は特に早起きがつらかった。

朝の講習がつらかったのは、もちろん私だけではない。講習は一応、自由参加の体で行われていたのもあって、どんどん人が減っていった。春は一クラス分くらいの人数が参加していたのに、夏休み前には半分くらいになって。二学期が始まると少し増えたけれど、寒くなるにつれてまたどんどん減っていって、冬休みの前には参加人数が一桁になっていた。ひどい日は五人しかいなくて、「私たち、生き残りじゃん!」って顔を見合わせて笑ってしまった。

あの子がどうだったかはわからないけれど、私が毎回数学の講習に通えていたのは、あの子がいたからだと思う。数学は苦手だったし、先生が結構厳しい人だったのもあって、講習自体はそれなりに憂鬱だった。

でも、駅に行ったら絶対にあの子がいたから。「あの子が行くなら行かなきゃ」と思っていたし、何より私は、あの子と一緒にお喋りしながら学校に行くのが好きだったのだ。火曜日の朝十分だけ、他愛のないお喋りをしながら歩くのが好きだった。だから、あの子に会うために頑張って早起きをしていたし、頑張って講習に参加していた。

たいした理由はなかったのだけれど、私たちはお互いに、自分自身のことをあまり話さなかった。私はあの子の志望校も行きたい学部も知らなかったし、あの子の部活も知らなかったし、あの子が誰と仲が良いのかも知らなかった。知らなかったし、聞かなかった。

一番大きな「知らない」は、あの子の名前だった。今も知らないままだ。あの子も私の名前を知らないと思う。最後までお互いに聞かなかった。どうしてなのかは、よくわからない。名前を聞きそびれたなあと思ったまま時が過ぎて、まあ聞かなくてもいっか、と思ってしまった。

だって別に、名前なんて知らなくたって、何の問題もなかったから。知らなくてもよかったのだ。志望校も、部活も、名前も、知らなくてよかった。火曜日の朝に駅で会えれば、私たちにとってはそれで十分だったのだ。

名前を教えなかったから、あの子にとって私はずっと「火曜日に一緒に学校に行くポムポムプリンの子」だったのかな、と思うと、なんだかおもしろい。あの子が今どうしているかなんてぜんぜんわからないけれど、元気にしていたらいいなあと思う。
薄汚れたポムポムプリンは、今年も捨てずに、大事に飾っておくことにする。

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