両親にしてもらってたことは、本当はとてつもなく幸せなことだった

今日はnoteを続けて記念すべき30日目!!続けられたのは皆さんのおかげ!ありがとうございます☆

転職における年収問題について考えてました。年収が下がった時に「自分はどこまで我慢できるのか」について。それは自分のお金の使い道と徹底的に向き合うことでもある。(※お金の話なので嫌な印象受ける方がいるかも、、ごめんなさい)

そこで、両親からしてもらっていたことで絶対に忘れちゃいけないけど…当たり前すぎてずっと気づかなかったことに気づきました。そして、それがとてつもなく幸せなことだった。(忘れたくないのであえて書き残します)

「お金を理由に選択肢を狭めないでいてくれた」こと。「お金がないから無理だよ」「お金がないからこっちにしよう」などと言わず、私が希望することを選択できるようにしてくれてたこと。

お金のある家庭に産まれたとか、お金があるから幸せとかそういう話では全くなくて、両親の絶え間ない苦労や努力によって「お金による不自由さ(選択が制限されること)」から守られていたんだなぁーと。

それに今まで気づかずに「してもらったのが当たり前」って思っていた。それ以上に自分へ接する時間も要求するかのように「もっと母親に甘えさせて欲しかった」なんて思っていた自分の傲慢さ・身勝手さを本気で恥じる。

決して裕福だった訳でもないのに、私と弟の希望のほぼ全てを叶えるのには相当厳しかったと思う。
自分たちの希望や時間を我慢していたんだと思う。それが、我慢という言葉にならないのだとしたら相当の「愛」ですよね。彼らにだって自分の人生を自由に生きる権利があるのに…。
そんなことにも気づかず、「私は大切にされてたのか?」って思ってた自分はなんて親不孝ものだと。

ついつい距離が近いと「当たり前」「もっと◯◯して欲しい」なんて思いがちです。それよりも、与えてもらっていることをきちんと見て心から感謝しようと思った。

忘れがちだから、定期的に見よう!

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