「受け流す」ということが体感できた日

ぴよ🐥です!今日もありがとうございます(^_^)

今日は「受け流す」「気持ちを切り替える」を体感したお話。体感って感じることだけど、それを何とか言語化したいと思います。今日も短めで。

昨日から感じてた違和感の感情に今日も朝から支配されてた。不信感から段々怒りになり、その人が大嫌いになり、二度と会いたくなくなった。面接官に対してこんな感情になるの久しぶり(笑) マグマのように怒りがふつふつと込み上げてきたので、何にそんなに怒りを覚えるのか書き出してみた。そしたら、やっぱり怒りではなく悲しみだった。(怒りは一次感情と言われていて、その下には悲しみや不安が隠れていると言われているからこそ、ちゃんと見てあげたい)

具体的には、会うのもオフィスに行くのも2回目なのに「オフィスまでの道、迷いませんでした?」って初対面的なことを言われたり。「結構やり取りしてたんですね」ってやり取りしてたことが、あたかもなかったかのように言われたり。
そんなやり取りから、「自分の存在を否定されてるような悲しみ」「自分との時間をなかったことにされてるような悲しみ」を抱いた。

自分が抱いた悲しみを書き出したあとに、「悲しくなるのは当然」「悲しい感情があるのは当たり前」と例のおまじないを口に出してみたのである。その瞬間、自分の中で昨日から塞き止められていた感情が流れていった気がした。受け流すとはこういう感じなのでは?と初めて体感した。その感情を自分の中に取り込んでいるような感覚。
過去の記事でも書いたけど、「当然」「当たり前」「普通」って言葉は、そのことから焦点をずらすと書いてたけど、それも同じ。気持ちを切り替えるってことも同じ。

でも、反対に「当然」「当たり前」「普通」という言葉は事柄をぼやけさせる役割もあるからこそ、使い分けが大切だと思った。

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