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お見合いの日

 戦後初となる集団お見合い会が開催された11月6日はお見合い記念日だというのは昨日の記事でも書いたとおりだ。

 11月6日はシャルル・ガルニエの誕生日でもある。
読者の皆様においては、建築家というと、誰を思い浮かべるであろうか。
もちろん、有名な建築家は数多いる。私の上司(私は最初に就職した会社は建設会社だった)はガウディに酔っていたし、安藤忠雄は天才だと譲らない人もいれば、いや、本当の天才はフランク・ロイド・ライトだと言う人もいる。または、コルビュジェを忘れてはならないと説く人もいた。
 設計部の人たちは、そんな話を肴に酒を飲んでいたのである。彼らはねじ曲がった学生気分だった私の働き方、考え方の構造を、製図を引くように矯正してくれた人々だった。実にアットホームでいい会社だったが、一身上の都合で、会社を去ったのだ。いつまでも忙しそうにしていた私に、もう
辞めるんだから、次のことを考えろと、笑いながら追い出してくれたのも彼らだった。文学部出の私に論理的な働き方を教えてくれたのも彼らだったし、あるときは表計算ソフトの扱い方まで指導してくれたのである。いまでこそ、ロジカルシンキングを教える立場になったが、全部彼らの受け売りだし、設計するときの姿勢や、学生時代から染み付いた彼らとの差がどのくらい埋まっているのか、はなはだ疑問である。一言でいえばきちっとしているのである。彼らの机の上も整然としていたし、システマティックだった。私がIT業界に行くことを相談したときも、私の能力でなく、私の習慣を懸念してくれた。その懸念はあたっていたと思う。概念を掴むのと、実際にその概念を構築して結果を出すのはまったく別のことであるからだ。
 有名な建築家が建てた有名な建築物の写真でできたカレンダーがあった。私が一番魅力を感じたのは、ガルニエのオペラ座であった。

 フランス語の次の記事はSavez-vous ce qui lie Charles Garnier à Vittel?(シャルル・ガルニエがヴィッテル(ミネラルウォーターで有名)で眠るのをしってますか?)というタイトルだ。
 シャルル・ガルニエは彼の名を冠したオペラ座や、モンテカルロのカジノの建築家として有名であるが、一方で彼は温泉治療の愛好家であり、1880年代に彼は何度もヴィッテルに足を運んだ。

On lui doit l’opéra qui porte son nom à Paris ou encore le casino de Monte-Carlo. Charles Garnier, grand architecte, était aussi un amateur de cures thermales. Dans les années 1880, il se rend plusieurs fois à Vittel et laisse une trace de son passage.
●thermales ... 温泉

彼は駅の拡張工事に参加した。1884年にはカジノの落成式があった年だが、温泉パークに温泉場や、レストラン、チャペルをも建てていたのだ。数年後
Ninoのヴィラが落成し、1893年にはサン・ピエールのヴィラができた。

Il participe aux travaux d’agrandissement de la station. L’année 1884 voit l’inauguration d’un casino, de nouveaux thermes, d’un restaurant et d’une chapelle dans le parc thermal. Quelques années après, la villa Nino est inaugurée. En 1893, c’est la villa Saint-Pierre qui sort de terre.

今日では、2つのヴィラと温泉パークの端に水を引き込むヴィジーの建物だけが残り、残りはさらなる拡張工事のために破壊されてしまった。

Aujourd’hui, seules les deux villas et le bâtiment de la Vigie de l’eau tiennent encore debout au parc thermal. Le reste a été détruit en vue de nouveaux agrandissements.

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拡張工事とはどのような事情か、別の記事をみると、
”グランホテルのダイニングは小さすぎたため、1912年に再建築されました。何食わぬ顔で壊し、拡張工事を行ったのです”
1912は同様にチャペルも同じ運命をたどりました。小さすぎたためだ。
より多くの温泉に訪れる人々を収容できるものに建て替えられたのだ。
”多くが失っていくことはとても悲しいことです。すべてはスペース不足の問題があったのです。ヴィッテルの拡張は1939年までそんな感じで続いていたのです” 博物館長はそのように説明した。
幸いにもNinoとサン・ピエールのヴィラは時の試練を乗り越え、いまでもみることができる。それらの建物はガルニエの多彩な魅力を物語っているのである。

« La salle à manger du Grand hôtel a été détruite et reconstruite en 1912 parce qu’elle était trop petite. On ne s’embarrassait pas de problème, on démolissait et on agrandissait. »
En 1912 également, la chapelle a connu le même sort. Trop petite, elle est remplacée par une construction pouvant accueillir plus de curistes.
« C’est assez triste de voir que beaucoup de choses ont disparu. Tout était une question de manque de place. La progression de Vittel était comme ça jusqu’en 1939 », explique la présidente de musée.
Heureusement, les villas Nino et Saint-Pierre ont survécu à l’épreuve du temps et sont toujours visibles dans le parc thermal.
Elles témoignent encore du style si éclectique de Charles Garnier qui participa à sa réputation.

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 フランス語の文章を読み込んでいくとき、私の卒論担当教授の読解力にはいつも凄いなあと思わせる精緻さが感じられた。前後の単語の由来から、細かい文法まで、文章を伽藍に見立てて、単語を建築家の作った意匠のように一つ一つとりあげ説明し、つながりを見事に示してくれていた。
 積み木を組み立てることもせずに壊して、就職の道を選び、そこも逃げ出して、今度はITだという私は、いまお見合いしても、何かを見落としてしまうことだろう(そもそもそんな自分をはっきり お相手は見抜いて、お断りされるであろうが・・・)
 だが、今なら、しっかりと大学時代の教授や設計部の人たちのことを思い出すことができる。ガルニエの残した2つのヴィラのように、もっとしっかり勉強しなければならないと、いまでも諭してくれるのである。

参考Note: ハンバーグの日

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<来年の宿題>
・曲亭馬琴
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●見出しの画像
猫と見合う子供(画像はお借りしました)


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