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積分の日

ライプニッツが積分記号を初めて使ったのは1675年10月29日だという。
誰かが数学は暗記だといった。長い間、そんなことはないと思っていたが、いまはなるほどと思う。結局、偉人たちの解法をどれだけ暗記しているかが問題解決の勝負になる。しかし、たしかに暗記なんだけれど、考えないと覚えられない。論理的な計算能力が強力な援護射撃をしてくれるので、記憶力だけではやはりないとは思う。
ライプニッツは、数学、哲学、法律、歴史、水圧圧縮機の設計、銀採掘、地理、政治理論、外交、風車建設、園芸、図書整理、潜水艦、ポンプ、時計、系図学など多くの関心に自らの触手を伸ばした。多才とかいうことでは、説明できない。
 今日コンピューターがあるのはこうした巨人の肩の上にのっているのである。というとやや嫌味か・・・ニュートンと微積分の発明?発見について争ったのは有名だが、そのニュートンが書簡で記した言葉が”巨人の肩の上”であるからだ。
 微積分の問題を解く時に、ライプニッツの記号のほうが便利なことが多いし理解しやすい。おそらく普遍計画として記号を考え抜いた功績があるからであると思っている。
 あるとき、ライプニッツは、ヨハン・フリードリヒ公爵から説明を求められた。

 閣下、少し前、さる著名な人物が、あらゆる概念と事物がきれいに整理されたある言語、すなわち普遍文字を考案しました。その言語の助けをかりれば、異なる民族どうしが考えを伝え合うことができ、各民族が他民族の書いたものを自らの言語で読むことができます。
 ところが、発見術と判断術の両方を含む言語ないし、普遍文字を唱えたものはおりません。

ライプニッツは上のように説明し、さらに続けた。

幾何学や解析と同じように、形而上学や道徳で推論を行うことができます。
論争がおこっても、2人の会計士のあいだで必要となる以上の議論が2人の哲学者のあいだに必要になるわけではありません。互いにこういえばいいのです。「計算しよう」と。

ライプニッツについては、別の記事で触れた。
ここで別な言葉でいうなら、ライプニッツは、”人間の思考を列挙した偉大にして完全なる一覧表”(今日のコンピューターの言葉でいえばテーブル)を作ろうとしたのである。さらには記号化し計算しようとしたのである。これがアルゴリズムのはじまりである。
ライプニッツは、その理論を確立のまえに、持病の通風と大腸炎に苦しみながら逝ってしまった。
 ライプニッツの死後200年も経ってペアノが自然数を公理化することに成功する。1+1はなんで2かが定義できたのだ。そして、この公理系を手にした今、ふたたびライプニッツのテーブルを計算してみよう。
 そうすれば、決まった規則にしたがい、単純概念を指す通常の記号によって、あらゆる複合概念を表現する普遍表記法を手続き化する力を得るのだ。
一方、ライプニッツは、認識を2つに分けた。
Cogito clara
Cogito obscura
すなわち明瞭なものと判然としないものである。たとえば美について、
”正しく認識はできるが、理由は示せないもの”としたのである。プラトンは理由を示せないものは知が足りないと切り捨てたのだが、楽天家のライプニッツは、こうした感覚の快を知性の快に還元できると捉えた。
それは名前をつけてしまえば(記号化すれば)いいという手法だった。
つまりそれは、知性的分析が働く以前の表象=微小表象と名付けられたた。記号化しちゃえば、各モナドは宇宙と呼応しているのであるから、マッピング可能。マッピングしちゃえば演算が可能である。だからブルーノやフレーゲは公理系の中で演算記号をつぎつぎに思考する。このあたりはヒルベルトのときに話そう、ここではゲーデルだけご登場願おう。ゲーデルは、述語論理の公理系では、論理的に妥当な言明はすべて、また論理的に妥当な言明だけが証明可能である、といった。ということは、公理と推論規則(フレーゲが定立した記号)を適切に選ぶことによって、論理と推論という概念についての直観を完全な形で表せることになる。
 でも、ちょいと、そいつは難しいな。論理的に妥当とは、理由が示せるということではないのか。であれば、理由が示せないCogito obscuraは、この公理系から外れるのであれば、プラトンに逆戻りしてしまうのではないか?・・・
 さらにゲーデルは、算術は不完全であると言い放った。算術の無矛盾性は算術そのものと同様に単純な推論によっては証明できないことを証明した。無矛盾性はそれ自体の無矛盾性に問題があるような体系によってしか得られれない。ヒルベルトのプログラムは破綻してしまったが、これは限界設定なのだ。
 限界設定があると実は正確にものごとを表すのに、とてもよく効果を発揮し役立つのである。(詳しくは、ウィトゲンシュタインのときに述べよう。)実は算術は自己言及に弱い。この限界設定を契機に、メタ領域に拡張するという概念が産まれてくるのである。実はマッピング作業の視点は常にメタ領域だ。メタ領域を持ったからこそ、理由のわからないものも演算できるのである。
 アルゴリズムを見つけるのは知性だが、アルゴリズムを用いるのに知性はいらない。実行は機械のほうがむしろ上手にできるのである。アルゴリズムそのものは発見であるが、いままで人にしかできなかったものを機械でもできるようにすることは発明だ。
 けれどもチューリングが唱えたメタを表現=つまりアルゴリズムを実行するアルゴリズムという概念を”インスタンス化”つまりは実体化させるには、ノイマン型のコンピューターが必要であった。そしてそれを人類は手に入れた。
 巨人の肩=アルゴリズムの上で何を演算させるのか。。。
ここで再び、Cogito obscuraを考えてみると、こいつは演算できないものではないのか。。。と思うし、それを演算したところで、なにが出てくるのか理解をまだ超えているのである。→ 考え続けていこうと思う。

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数学が暗記だというのを言い直せば、アルゴリズムをどのくらい覚えているかが問題解決で効力を発揮するというのと同義だ。アルゴリズムは知性がいらない。方法がわかってしまえば、あとは繰り返しなのである。どのように組み合わせるか考えれば良い。それがプログラミングである。意味を考える必要がなくなる、演算すればいい。でもそれが、人間の深淵にどれだけ迫れるのかということであるが、それは考える必要がないことを考えているのかもしれない。

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<来年の宿題>
・ライプニッツの偉業
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TEXの積分記号

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