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東海道本線開通の日

1889年(明治22年)のこの日、新橋から神戸までの東海道本線が全線開通したのを記念する日である。
「東京駅と大阪駅になくて名古屋駅でおきる現象はなに?」という質問されたときの答えは、そう、旅客用ホームに貨物列車が通るのである。いくつかの書籍にも散見されるので、ご存知の方も多いかもしれない。
 私は東海道本線ときくと、まっさきにまずはこれが浮かぶ。もちろん名古屋駅でも貨物線と旅客用線路を完全に分離させようという計画はあった。
東海道本線と中央線をバイパスするという貨物線計画もあり、どんどん建設も進んでいたのである。しかし、鉄道による貨物輸送は年々減少し建設放棄されてしまったのである。あるいは、第三セクターに譲った。
中でも建設が進んでいたのは、南方貨物線である。

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東海道本線の笠寺駅から分かれて名古屋貨物ターミナル駅へ直行させるはずであったが、建設中止となった。1970年代の国鉄改革の煽りである。そしてついに工事凍結から30年経過した路線の取り壊しが決定されてしまったのである。

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 話は変って、今日はライプニッツの誕生日である。
知の巨人といえば、それまでが彼の考えていたことはちょっと変っていた。
今日のコンピュータの元になることである。それは主に2つある。まずは2進法は彼の発想だ。もう一つは、いわゆるアルス・コンビナトリアである。
 ライムンドゥス・ルルスという13世紀の、これまた知の巨人がいた。400もの著作があるのだが、「学問の樹」はロジャー・ベイコンにも影響を与えている。さらに彼は「論理の機械」というものを作った。イメージとしては風水師が持っている方位盤であろうか・・・神学理論、論理的な主語・術語は完璧とされる算盤上に構成される。例えば、円盤、四角形、三角形といったORD(軌道)に沿って並べられ、ダイアルを回し、レバーを引き、クランクを操作し、ホイールを回すと命題とテーゼはガイドの上に移動するのである。その際に、ポジティブ(真)あるいはネガティブ(偽)のうちのふさわしい場所に移動する。ルルスによれば、機械自身単体で公準の真偽を解き明かすことができるという。

Lulle pensa et construisit une « machine logique ». Les théories, sujets et prédicats théologiques étaient organisés en figures géométriques considérées comme parfaites, par exemple, des cercles, des carrés et des triangles. En actionnant des cadrans, des leviers, des manivelles et en faisant tourner une roue, les propositions et les thèses se déplaçaient sur des guides pour se positionner en fonction de la nature positive (vraie) ou négative (fausse) qui leur correspondait. D'après Lulle, la machine pouvait démontrer par elle-même la vérité ou la fausseté d'un postulat.


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 いかにも魔術といった方法で、18世紀になると忌避される対象であったが、デカルトは”一切の問に答える普遍学”というアイデアに着想を得た。そして、今日が誕生日であるライプニッツはこの術を記号化しようとしたのである。
 万物は記号に置き換えられる。たとえば、色は光の三原色だ。R・G・B
を16進数でならべればどんな色でも数値化できるのである。
ルルスの算術円盤を使って、観念の結合というライプニッツの学位論文には今日のコンピュータにさえ使われる情報工学の兆しが見られるのである。
ルルスは文字のすべての組み合わせを試すようなことをしなかったが、数学の巨匠(彼は微積分の発明者だ。ニュートンに先を越されたものの、今日微積で使っている記号dはライプニッツのものである)である彼は、すべての文字の組み合わせを計算しこれに構成させた。アリストテレスの定性的な組み合わせから定量的な組み合わせ論による進化を3つの段階で表すとすれば、まずはアラブ人による文字ゲームの発明、つぎにルルスの円盤、最後がこのライプニッツによる完全な数学化なのだ。

Or, si nous prenons le fait même de la combinatoire moderne, nous constatons que ce procédé, qui est à la base des techniques d’informatique, trouve, de l’avis de tous les historiens des sciences, sa source dans une oeuvre de jeunesse de Leibniz, la Disserta- tio de arte combinatoria, de 1666. Plus tard le penseur allemand a fait lui-même l’historique de sa recherche, reprenant à son compte l’idée lullienne d’ars inveniendi. Il se réfère finalement à l’Ars magna de Lulle qu’il connaît indirecte- ment, à travers le languedocien Lavinheta (XVIe siècle). S’il montre mathématiquement que ses prédécesseurs, travaillant empiriquement, n’ont pas su constituer toutes les formes possibles de combinaison de symboles littéraux, son travail n’est pas de remise en cause mais seulement d’achèvement. Il paraît ainsi convenable de définir une évolution allant de la combinatoire qualitative d’Aristote à la combinatoire quanti- tative moderne à travers trois seuils : la fusion, par les Arabes, de la première avec la sîmiyâ’ (jeux de lettres) sémitique ; la rationalisation, par Lulle, des procédés ésotériques arabes ; la mathématisation complète par Leibniz.
●la Disserta- tio 学位論文
●sîmiyâ 

ライプニッツやデカルトの時代を経て、百科全書派といわれる哲学人たちディドロやルソーがでてくる。森羅万象を1冊の本に閉じ込めたいという願望なのだ。この発想は既出の”一切の問に答える普遍学”という概念に基づくものだ。ライプニッツはさらに飛んでいた。一切のものどころか、この世に存在しないものまでを結合して生み出す機械を想定したのだ。(”空飛ぶカエルとか”)これについては、百科全書派とライプニッツについてはまた来年も語るとしよう。
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 鉄道+物流というアルスコンビアナトリアは、当時はイケてる概念だったのかもしれない。しかし、トラック+物流の自由度には敵わなかったし、たくさん運ぶなら、船舶+物流の方が勝る。加えて、国鉄→JRへの転換もマイナスに働いた。
 南方貨物線が廃線となった結果、東京方面から名古屋貨物ターミナル駅に入るには、いったん名古屋駅を通過し、東海道本線稲沢駅で方向転換するという、かなり面倒くさいことになっている。そしてこれが、貨物列車が旅客用のホームを通る理由の正体なのである。
 新幹線に乗るならA列側がいい、笠原寺駅から分岐した(未成線)南方貨物線が新幹線と立体交差し、堀川を渡るまでの40秒間 これを眺めることができるからだ。完全に取り壊しになるまで、あと僅かであるはずなので、急ぐ方がよいとは思う。

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<来年の宿題>
・ライプニッツの研究
・東海道本線について
・情報工学の歴史とライプニッツ
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●見出し画像は E217系の湘南色車両(画像はお借りした)のラストラン。
 2015年3月以降、E231系に取って代わることになる。


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