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金型の日

1957年11月25日に日本金型工業会が設立されたことにちなんで、同会が記念日に制定
 恥ずかしながら、私には黒歴史がたくさんあり、副業でだいぶお金を失ったり、副業に専念しすぎて、本業のしごとに穴を開けたりした経験がある。そんなおりに、懲りず副業を求めて何かやらなければと大田区の工業地帯に足を運んだ思い出がある。中国の知り合いがいたので、それをツテにして商品を売ってあげましょうといって歩いた。
 ー何ロット買うんだい?
 ーえ?そういうことも知らないの?
 ーそもそもおたく何者?
 正直腹が立てながら、何件か回るうちに、あぁ、そういうことなら商工会に行けと云われた。何件か歩いて、はじめての収穫だ。商工会にいくと技能工の後継者は今枯渇していて、その技術を中国で教え始めている。おまえさんの考えなんてとっくに対策済みなのさ、、、と言わんばかりに中国に技術団を派遣している様子を説明してくれた。まぁたしかに私の出番はなかった。と同時に、QCがよくできなくてね。鉄粉が舞い散る場所に納品物を置いたりしやがる。スペースがあって、ただ置けばいいっちゅうもんじゃないんだ。高速で回転させる部品だからね。少しの鉄粉でもついてりゃスパークしちまう。検品まではなかなかの品質だっただけに惜しいよ。そういうところが日本人と違うんだ。みたいな話もきけたりした。結局、専門家がいないとやはり商売にならない。ツテがいるというコネクティビティだけでは、品質を支える流通を確保できないと悟った。
 売り方にしたって、ある程度リスクを、つまり、注文が入ってから金銭のやり取りでは駄目で工場に先にお金を支払わないと取引が成立しない。そんなことも知らなかった。あともう少しで億単位の商談もあったのだから、惜しいところまでいったにせよ、自分はやはり甘ちゃんで、ついには、あきらめてしまった。

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三島由紀夫の言葉に次のようなものがある。

私は、文士というものは肉体のもうひとつ奥底にあるもので書くんだが、肉体というものはそれを媒体にして出てくる大事な媒体だというふうに考えるんです

 三島は戦時中の徴兵検査で体力のない屈辱を味わった。その裏返しがボディビルなのだ。とにかく形の美学にこだわりをもっていた。そこにはコンプレックスもあったわけだ。思想を文章に変える金型のように肉体を考えていたのかもしれない。

  いわゆる三島事件から、今年は50年になる。世間話程度と考えていた陸軍総監は三島と楯の会のメンバーによって猿轡を噛ませられる。自衛隊との小競り合いのあと、バルコニーに立った三島について、フランス語の記事ではつぎのように伝えている。
 30分を予定していた演説は、狂ってる、バカ!日本は平和だ!という野次によって7分に短縮された。
 ”どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ”
 自衛隊を天皇にお返しするためだ。総監に罪はない。などと言いながら切腹の準備をはじめた。それは細心の注意を払って準備されたものであった。
三島は刀を自らの腹に突き刺し、おそらく愛人であったろう森田が三島の苦しみを終わらせるために長い刀で行う自殺を先導する儀式である”介錯”をするまで、胃を裂きはじめた。

Mishima les harangua sur la nécessité de réformer la loi fondamentale et vitupéra contre cette « Constitution pacifique » qui ne reconnaissait même pas leur existence. Il avait prévu de parler une demi-heure, mais le barrage d’invectives (« Fou ! » « Imbécile ! » « Le Japon est en paix ! ») auquel il se trouva immédiatement confronté le contraignit à renoncer au bout de sept minutes. Il se retira alors dans la pièce du général et donna le coup d’envoi au suicide rituel (seppuku) qu’il avait méticuleusement préparé. Il s’enfonça une dague au plus profond de l’abdomen et, souffrant le martyre, entreprit de s’ouvrir le ventre, jusqu’à ce que Morita Masakatsu, qui était son assistant et sans doute aussi son amant, tente de procéder au kaishaku, autrement dit à la décapitation rituelle du suicidé à l’aide d’un grand sabre pour mettre fin à son agonie.

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残念ながら、森田は不慣れであったために、何度も肩を切り裂いた。別の士官候補生の剣の達人が立ち上がって介錯を実行、さらに森田が切腹し首を差し出した。警察が押し寄せたときには、三島と森田の首が床に転がっていた。

Malheureusement, Morita était si peu habile au maniement du sabre que la lame manqua à plusieurs reprises le cou de l’écrivain et lui lacéra les épaules. Un autre élève officier, pratiquant chevronné du kendo, se leva alors et accomplit en expert le kaishaku. Après quoi Morita lui-même se livra au suicide rituel et fut à son tour décapité. Peu après, quand la police entra dans la pièce, les têtes de Mishima et de Morita reposaient côte à côte sur le tapis.

記事はこのあと、オスカー・ワイルドのサロメの三島に与えた影響を語る。
みずからも演劇の脚本家や演出家であり、ときには演者でもあった。
自らの身体をもって具現するといった意志。矛盾を許さない美学。
聖セバスチャンの殉教から切腹による侍の死まで、三島の人となりで視覚的な刺激を具現化したかったのは、彼の生涯を通じて存在する三島の顕著な特徴である。子供の頃の三島の想像力を捉えていた。しかし、おそらくオスカー・ワイルドのサロメを描いたジャンバティストの切断された頭ほど彼にとって大切なイメージはなかったのだ。

Les yeux étaient terriblement sérieux, mais la bouche retentissait d’un rire tonitruant. C’est un trait saillant de Mishima, présent tout au long de sa vie, qu’il souhaitait incarner dans sa personne et dans ses actes les stimuli visuels – depuis le martyre de Saint Sébastien jusqu’à la mort des samouraïs par seppuku – qui avaient captivé son imagination lorsqu’il était enfant. Mais peut-être qu’aucune image ne lui était plus chère que la tête coupée de Jean-Baptiste qui illustrait le Salomé d’Oscar Wilde.

三島の切断された頭がカーペットの上に横たわっているというイメージは、憲法改正の呼びかけや武士として死にたいという彼の願望の恐ろしい結論を示していると確かに見ることができるが、それは彼の生涯の究極の目標の達成、彼自身の変容の瞬間、自身の恋人の剣の端に打たれた瞬間、彼は本当にジャンパディストになったのである。

On peut certes considérer que l’image de la tête tranchée de Mishima gisant sur le tapis illustre la conclusion consternante de son appel à la réforme de la Constitution ou de son désir de mourir en samouraï, mais on peut aussi penser qu’elle représente la réalisation de l’objectif ultime de toute sa vie, le moment de sa propre transformation, celui où, frappé par le tranchant de l’épée de son amant, il est vraiment devenu Jean-Baptiste.

たしかに面白くもない話である。しかしこれは、三島が最後にみせた冗談であり、彼自身の人となりの重要性を最後みせたコメディなのである。

Ce n’est pas drôle, diront la plupart des gens ; c’est profondément dérangeant. Mais ce geste, profondément influencé par son amour pour Oscar Wilde, fut l’ultime plaisanterie de Mishima sur la vie et le pouvoir de l’imagination, une représentation, sur le mode de la comédie, de l’importance que Mishima Yukio attachait à sa propre personne.

と記事は締めくくる。

三島の担当編集者である小島千加子は、この11月25日に三島宅へ急ぐが、すでに外出したあとだった。まさか市ヶ谷駐屯地にいっているなんて知る由もない。しかし豊饒の海の完結原稿をお手伝いによって渡されるのである。最終回であることを彼女は初めて知らされるのだ。

また、死の2年前の埴谷雄高との対談において、三島は、表現者は死を暗示するだけでなく、実際に死んでみせなければならないと固執していた。

川端康成は、三島の死後、三島について

その人の死におどろき哀しむよりもその人の生に愕き哀しむべきであったと、懺洗の思ひが頻りである。

と記している。

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私のいまの心境としては、三島にはとてもついていけず、埴谷雄高や川端康成に同情してしまう。生も死も厳粛なものではなく美しいものでもないのだ。
ただ、三島は死ななければ、三島が何を言わんとしたのか、私に届いているか、たしかに怪しいのである。
少しでも多くの作家に眼を通しながらも、三島が言いたかったことに注意深く耳をすませないといけない。
三島は私のそうした耳の金型を作ってくれたのだと思っている。

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<来年の宿題>
・金閣寺の感想文
・豊饒の海 ☆
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金型 マザーマシンの一例



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