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香港 その1


特別企画として、香港旅行記をお届けする。
2018年の10月の記事である。

◯序


栄えている場所に神様がいるのであれば、
香港にも神様がいる。

香港は150年の歴史がある。
思ったより短いと感じるのは
東京は江戸から数えて400年、
北京が大都から数えると730年超
パリやローマに比べると確かに短いが
それは 神様によって数え方が違うからだ。
つまりは香港だって同じくらい長い歴史があるはずだ。
文字化していないだけだ。

神様というと科学絶対者が眉唾くらいに思うのであれば
物語と言い換えてもいい。

しかし飲食店など商店には必ずと言っていいほど
神棚みたいなものが据え付けてあり、
蝋燭に火がともっている。

人間は幻想という物語を携えないと
うまくものがとらえられない癖をもっているのである。

香港はいろんな物語によって語られている。
150年というのはイギリスの統治時代から数えた年数にすぎない。
統治されるその前も、もちろん香港の物語があるのである。

私は美食の街 香港という物語に支えられて
香港に降り立った。

店舗の数は 1万5千店舗
東京の8万店舗に比べると少ないように感じる。

でも、街の印象では、
香港の方がずっと飲食店が多いように見えた。
それは私の物語によるのだ。
目が飲食店を多くみかけるように働くのである。

その目で見た現実は、
経済的な数値でとらえた現実とは違う。
投資家の物語とは違う物語なのである。

パリの一般の人が実は質素な食生活なように
香港だって、家庭の食事があり、それを補完する外食がある。

パリを引き合いに出さなくても
私の食生活でもよい。
私の日常はほとんど外食しないで済むようになっている

素食を心掛けているのであり、
万年ダイエット中なのである。

東京に住んでいるからといって
刺身や寿司を毎日食べているわけでもないし、
老舗の蕎麦を啜っているわけでもない。

ただ 香港に来たからには
単なる日常よりも刺激を求めた。
ただし、ガイドブックに載っているそれではなく
あくまでも地元の人が食べる料理にこだわった。

ちょうどフランスを旅したときに
”地球の歩き方”を捨てて、現地の人にガイドを求めたように、
香港の料理を食そうと思ったのである。

たしかに安全性にも利便性にも欠けるかもしれないが
ただ美味しいことにこだわったつもりではある。

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◯思い出の味

香港には実は3度目の旅行である。
初めての香港は、まだ返還前であった。
イギリス領であったということである。

返還されてしまうと中国になってしまう
という脅しがあって、
経済的に多少無理をしてしまった。

事実 海外企業は撤退し始め、
有名ホテルのコックも海外に去ったという情報もあった。

まだ大学生だった私は見識が狭かったのだ。
せっかちになってしまったのは、
先達の”旅行通”の言葉を鵜呑みにしたのである。

どんなことでも慌ててするのはいけない。
そのときは 一流ホテルに宿をとり、
食事も1人あたり数万円というものであった。

ちょっと天狗になっていた時期だったのかもしれない。
当時は豪華な旅行にひき比べ、
広東語はおろか中国語も挨拶程度であったし、
英会話だって今よりもできないであろうそんな低学力であった。

快適さと豪華さのみを味わうという
飽食三昧な ある意味低レベルの旅行であったのかもしれない。
たしかに美味しいものに出会えた。
その物語では、英国でなくなってしまい、外資が引き上げられるのは
脅威であったのである。

豪華な食事にあきて、屋台に冒険したことがあった。
私の思い出には
実は、その屋台で食べた 雲呑麺しか残っていない。

しかし、先達の”旅行通”は経済的な発展だけを求め
精神的なそれは求めていなかったというと
それは少し言い過ぎではないにせよ 酷だろう。

当時の海外旅行のイメージは
バブルの物語に彩られていたのである。
足元が覚束ない見識でも仕方がないのである。

大事なのは いかなる時代でも
それこそ 富めるときも貧しきときも
同じ見識が持てるかどうかである。

見識みたいなツールを大上段にかざす必要はないのかもしれない。
私の味覚の好みが、たまたま
豪華な食事を記憶できなかっただけなのかもしれない。

あるいは当時、
香港で食べたそれは高級中華料理であり、
いわゆる”香港の”料理ではないということかもしれない。
それは、日本の高級中華料理で供するものと大差はなかったと
いうつもりはないが、
たしかに観光客用にあつらえたものだったのである。

一方、
重慶大厦という、ある意味有名なビルがある。
とても歴史的なビルでインドの文化が根付いている。
そこのカレーはインド人が作る。
手に入る材料の都合もあり多少味が違うかもしれない
あるいはやはり作り手の母の味の記憶や物語に違いがあるから
重慶大厦でカレーを食べるのは
たしかに唯一なものを食べているのかもしれぬ。

カレーマニアの物語ではこのカレーは重要なのかもしれない。
自分の物語では香港でカレーを食べる筋書きはなかったのである。



◯自分の食べたい料理

観光用にあつらえたものは満足せず
カレーマニアでもない自分の描いた物語は
いったいどんな物語なのであろうか。

それは失地回復であった。
つまりは、30年前の豪華旅行を上塗りしたかったのである。

「食得係福」の本当の深化を求めたのである。
それは自分の人生の物語も陰影や奥行を与えてくれる。

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空港でそんなことを考えた。

すでにガイドブックは捨てた
情報の”断捨離”も結構 悩みを減らしてくれている。

それなりの味の見識も当時(30年前)とは比べ物にならないほど
になっているかもしれぬ

物理学が1920年代に
量子論や大統一理論を追いかけ突き抜けたおかげで、
宇宙の認識やっと釈迦の瞑想に追いついたように
何が自分にとって大事なことかわかるつもりになっているのである

つまり、30年前の自分の欲望は
他者を介在した欲望(ラカン)であった。

みんなが欲しいものを私も欲しいと思うではなく
みんなが欲しがるからゆえに私も欲しいものであった

フカヒレ料理が食べたいその理由は、
みんなが欲するところの高級料理であるからである。

みんなが食べたくなければ
私もフカヒレを選んだかどうかは かなり怪しい。

今の私は、
各国の人が褒める料理でなく、
香港の人の普段の料理が食べたいのである。
それこそが、食都を味わうことであると思うのである。

飛行機の中で、広東語会話集をながめながら
そんなことを考えていた。
(しかし、香港で広東語を使う場面はついぞなかった)

飛行場に着いて、
スーツケースをとったときにすでに夜九時を回った。
どうやって、目的のホテルにたどり着けるか調査不足であった。
それというのも初回はリムジンバスがホテルまで送ってくれたからである。

ホテルの名前を告げても、そのホテルに送迎のサービスはなかった
ホテルは香港島であったし
少々 日本での草草で疲れていたので
とりあえず汽車に乗った。
この急行に乗れば中環(セントラル)までは たった3駅、
20分くらいで中心部に着く。
東京駅まで一時間以上もかかる日本の空港は海外の人に
失礼ではないか などと思ってしまった。

その不便を超える魅力が日本にあるのかな などと考えた。

現在は英語もろくに通じない日本は将来変わっていくであろう。
大学入試でもスピーキングが必修になるようだ。

英会話もできるようになりたいなとも思っている。

このあたりも日本向けのサービスを海外で求めた頃の意識とは
だいぶ変わっている。日本人向けのサービス、たとえば日本語のできる店員を確保するなど、その需要は、日本人のいわゆる購買力に比例するのであってこれから先はわからない。

いまは日本が中国語や英語のサービスが必要な時代と変わっているのである。(教育の対応は遅すぎると思う)

課題を確認したのだが、
これも実は国家とはなんぞやという疑問にいきつく。

これから先は国家という境界は破壊されていくだろう
国家があるから戦争が存在する
戦争をなくしたいなら国家をなくせばいい。
(実は本気でそう思う。)

歴史なんか そのとき そのときの政府が捏造したもので、
日本万歳と叫んで死んでいくのはその洗脳の成果に過ぎない。

伝統も同じく時代が変わって廃れたのなら廃れればよいのである。

それでも残っているもの・・・・
アヘンに苦しめられ、イギリスに割譲され、
中国に返還されてなお、香港に残っているもの。
それを求める旅なのである。

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昨日は移動で疲れたのか
少々早く寝た、そのおかげで早朝に目覚めた。

ホテルには朝食のサービスはついていないので
近くまで散歩しがてら、粥でもすすろうと思った。

ちなみにホテルはビクトリアパークに近く
駅でいうと天后駅が最寄だ。

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八百屋の前を通った。
中国では野菜が実に豊富である。
種類も日本のスーパーの2倍くらい種類がある。
そして、美味である。
参考Note: 野菜の日

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自家用車で野菜を運んでいる。

大きな物流に生鮮品を委託するのは
なんというか使命が違う気がする。

大きなスーパーとか市場への卸すとか
野菜工場みたいなものは考えようである。

農業の”工業化”は大事かもしれないが
栄養素レベルで考えた方がよいかもしれない。
いい料理店は産地の農家から直接仕入れている。
一般にもこの野菜は食べられるべきであるが
それもかなわないのだろうか・・・・

とにかく 粥を食べよう

生記粥店に入る。
別にガイドブックを見たわけではない。
歩いて適当に入ったお店である。

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すぐに出てきた。
鶏と鮑が入っている
ちょっともちあげてみよう
よいしょ!

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結構量があるので、大食漢やフードファイターでないなら
シェアした方がよいだろう。(実は満腹になってしまった。)

想像よりも味が濃厚である。
いわゆるお出汁がしっかりと効いている味だ。

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ちなみに店内はこんな感じ。満席である。

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香港にみなぎるパワーの秘訣を垣間見た気がする。

そう、街の様子からしてパワーを感じるのである。

ニョキニョキと突き出た高層ビル
土地が狭いから密集したという説明なのだが
密集する理由を説明していない。

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香港の人口は700万人。
人口密度はマカオ、シンガポールについで
世界第三位である。

そして平均寿命はとても長く世界一になったこともある健康な地域だ。
数値からいってもパワーを感じるが
食べ物に原因があると私は思うし
なにより、人々にストレスを感じない。

電車にのっても、スッと立っている人を多く見かける。
歩くのもとても速く、ぶつかるとこっちが怪我をしてしまいそうだ。
個人差はもちろんあるが、
活力が漲っている印象をうける。

日本の電車の中の風景とは全然違うイメージなのである。

飲食店も、注文がなかなか決まらないと
怒ったような顔になる
これが慣れてくると当然だと感じる
無理してニコニコしないのである。

客もお店も対等なのだ。
話しかけると笑顔で対応してくれる
こっちのが美味いよ なんていうアドバイスもある。

考えてみれば、こっちのが美味いなんて
実は大きなお世話だったりするし、
そもそも メニューに甲乙をつけることは
日本のレストランだったら、お店側としてNGであろう。

あけっぴろげで、気さくなのだ。

日本のサービスはこうあるべきみたいなのが
窮屈すぎるように思う。

そうはいっても、本音と建て前があるんだというが
そんなもの不要ではないか・・・・
潤滑油になっていない。
かえって面倒が多い潤滑油はやっぱり不要だと思う。

お客は神様なのだ
そうなのだったら、
神様に対する接し方を間違えている気がする。

まぁ国の文化によっていろいろあるということである。

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◯ 交通手段または通貨について


香港での交通手段について、
台湾のタクシー代は安いので、
台北ではほとんど交通手段はタクシーにしてしまったが、
それだと地理的な居場所がつかめない。
自分が台北のどの辺にいるのかわからないのである。

今回はそんなことがないようにしようと
トラムを使った。

トラムは香港島の東西を結ぶ路面電車である。
これで移動することで
能動性がつき、自分の居場所を体感できるのである。

どこまで乗っても 50円くらいなのもうれしい
時間に余裕があるので、
(GoogleMapのおかげでもあるのだが)
移動手段はこれで十分である。

八大達カードは買わないといけない。
メトロもトラムもスターフェリーもこれで乗れるし、
飲食店でも使える店もある。
私は空港で買った。(というか教わった(笑))
コンビニでチャージできるので実に便利である。

キャッシュレスがかなり進んでいる。
財布はホテルに預けっぱなしでだいたい大丈夫だ。
(WeChatと銀聯カードまたはクレカがあれば大体どこでも使える)

お金について考えさせられる。
通貨はこれから使われなくなっていく一方であろうと思う。
いちいち銀行に行くのも面倒だし、
殊に海外ではレートの問題がいつも付きまとう。

ブロックチェーンの戦慄的な未来がある
仮想通貨なるものはこの技術の一端にすぎない。
これから、証明する機関は必要なくなってくる。
権威が奈辺にあるのか気にしなくてよくなる。
(おまけに誰でも銀行になれる感覚だってある。)
取引の公正化に公証役場などに行く必要がなくなるのだ。

国や行政との取引を仲立ちする仕事は消えていくであろう。
実は私の予想では大企業も少なくても今までの役割を終えていくと思う。
個人が自分の地位や役割をしっかり担う時代に向かっていくと思う。

たしかに大企業に属していないと不安であろう。
しかし、それも慣れの問題だと思う。
自分のことは自分でやる経済がやっぱりいいし
ヘンなしがらみは無用になるのだ。

それでなおかつ不安であれば、”ヒエラルキーなきコミュニティ”を形成すればよし。
と個人的には思う。

どうでもよいことだが、
日本政府の働き方改革などは企業の足かせでしかないように見える。
ブロックチェーンが紡ぎだす新しい未来の方へ推進していく方がよい。
そもそも国が果たす役割はそろそろ終えてよいと思う。
政治家なんてロクでもないからである。

昼にしよう

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蓮香居にやってきた。
香港の友人のおすすめで、昔ながらの(ワゴン式の)飲茶が食べられる。

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皿やお箸は お湯で洗う。
これはどのテーブルでも(どのお店でも)やっていることである。
日本人観光客が多いところは不要かもしれないが
私が訪れた飲食店は食器が運ばれてくるなり、必ず行われる儀式である。

数十年前だが、北京にいったとき、飲食店に入る際にティッシュを持参した。皿が来るなり拭くのである。(今はどうかわからない)

さて、↑の写真の料理は牛ひき肉のミンチが乗ったご飯である。
すこぶる旨かった。

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いわゆる肉団子である。

見た目や料理の材料をきいて予想する味をはるかに超えて美味いのだ。

さきほど交通事情のときに台北を引き合いに出した。
台北でも香港と似たような料理はたくさんあるのだが、自分は納得できなかった。理由をいうと、だいたいすべての料理が、やや甘口なのである。
だんだん重くなってくる。

それに比べて香港はいろんな味が実にシャープかつ複雑である。
深みコクともに、私はアジアNo1だと思う。

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センマイを炒めたあと 蒸したもの
これもペロリと平らげた。

あと数品食べたのだが
美味しすぎて写真を撮るより味わう方を優先してしまった。

満腹になったところで
少しあたりをぶらつこう。

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布市場みたいなところだ
偶然入ってみた。

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ちょっときいてみると
ものすごい値段だった(買えない・・・・)
洋裁のできる方はぜひともおすすめである。



◯断捨離について

洋裁ができる という人について
私は尊敬したりする。

ものづくりが自分もできたいと思った時期もあるが
どうやら向いてないようだ。

自分の甥は洋裁の道を選んで
社会に出た。毎日ミシンと格闘している。

私の父が手先がものすごく器用なので
その血(というかY染色体)は私でなく甥の方に継がれたのではないか
などと、身贔屓でそう思う。

それで、自分でつくるよりも眺める方を選んだ。

骨董品商店が集まる地区を眺めてみた。
買う気がさらさらないので 冷やかし100%

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断捨離というが、
すべて片づけてしまったら、物が作れない・・・・

私は捨てるかもしれないが、誰かは作って増やす
うちの甥も洋服を増やす

この輪廻をどうすればよいだろうか

自分は眺めて満足かもしれないが、眺めるだけでは満足しない人がいる

だから断捨離もミニマリストも存在する

所詮は相対主義なのである。
ものを整理したいとかいっているそばから
ものを増やしたくなっている

頭の中を空にした途端に入ってくるものがある

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いまは、ひたすら瞑想をして
増やしたいという欲を抑え込んでいる。

なるべく情報は入ってこないように
今ここをみつめようとするが
修業中で、不十分、

刺激があるものに魅かれる。
もがいてみるがどうしようもない。

もがいた揚句が、
そうか! ものづくりをやめてもらえばいいんだ。
生活必需品のみにしてもらえばいいなどと空想してみる・・・

ところが必需に関して人々は意見が違う
結局 いまのままでよいところに落ち着く。

そうでなくては、道具売りは商売あがったりなのである。

自分は悟りました だからモノはいりませんと
云って歩いても 変人で困った人になりかねない。

情報を遮断したのは自分が変人になりたくないから・・・・
でなく、変人のままでいたいから。

とにかくはそういう時期なのだ。
ものを捨てたくなる時期だということである
世の中のエントロピーが向かうところに流れ着くとすれば
その先には物が流通しない時が来てしまう。
そうなれば自分も食えないのである。

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サルトルの嘔吐を少し思い出した。
木々の根がむき出しになっている・・・
この先がPMQ。
セントラル警察宿舎をリノベしたショッピングセンターで
雰囲気は表参道あたりの個性的なショップが集まった感覚である

一点ものをさがすならもってこいであるが
ここも 眺めてみよう
さっきが古いものならここは新しきものである。

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たとえばイヤリング
香港らしいのか 中国らしいのか

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今日は何をつけようかと悩む女性は
さぞかし楽しいだろうと思う。

そういう自分だって かつてはカフスを集めたりしていた。
鼈甲やら陶器やら・・・純銀やら真鍮やら
細部にこだわるのは楽しいが
つけない日があると儀式が終わっていないような
なんか不安な気持ちになる。

それは思い切り 断捨離対象である。

思い切って全部捨てた。
(時計は売った)
手放すと今度は、身体づくりに勤(いそ)しんだりする。
腹筋を割りたくなったり、スクワットをしたり・・・

畢竟変わっていないのか・・・・

外食もやめて、なるべく自分で料理をつくろうとする。
すると料理の道具が増えた。
蕎麦を打とうとするその前に、蕎麦の道具の薀蓄を語る
これは雑念なのかどうなのか。

根は変わっていないのだ。
どこか 覚悟みたいなものが決まっていない気がする。

PMQはデザイナーショップだけでなく
いわゆるSOHOも多く入居している。
新進気鋭の場所なのである。

自分で何かを作るより 作ったものを買う方に落ち着いてしまっている

新進気鋭・・・・
自分はものづくりを褒めて、それを買わせる側の人になれ
そう決めたのではなかったか。

この商品がほかの商品よりもいかにいいのか、
このお店が他のお店に比べどのような個性があるのか、
それがいかに人々にとっていいものなのか・・・・
それを語れる人になりたいと思ったのである。

圧が強くなければならないのに
どこかで醒めてどうするんだ・・・・・みたいな

どうせ悟ったふりをしても悟られる。
歩みを進めよう。

香港では刑務所もリノベしてした。
工事中だったが、今は入れる僥倖を得た。
(刑務所に”入れる”のもおかしいのだが・・・)

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広場に出る。イギリスが建てたものなので
西洋風の雰囲気である。

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投獄された場所
プロジェクターで何やら説明の音声を流している
政治犯も多くいた

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◯香港の民主

香港は、いろんな国の利権の対象であった
民主を叫んだ政治犯も多く投獄された。

過去のもののように旅行者の自分なぞは感じるのだが
雨傘運動からまだ5年経っていないのである。
(今が2020年、まさに香港は民主の危機を迎えている)

中国政府になると香港は沈みゆく
1997年当時そう各国は思った。

しかしながら 香港は現前で輝いて見える。
それは神様がいるからだろうか・・・・

香港行政長官選から民主派の候補者を出せなくした
全人代の決定に不服として100万もの民衆が立ちあがった。
政府の対話を求めたが、政府の返事は言葉でなく催涙弾であった。

それを防ごうと雨傘を持参してデモに参加した。
天安門以来のデモということで各国は見守ったが、予想通り蹴散らされた。

一国二制度の矛盾と評しているが
私はそのように思えない。
旅行で殺到する中国本土の人への嫌悪があるような気がする。

香港の人は中国本土の旅行者を実は嫌っている。
そして、将来は中国本土に取り込まれてしまうという恐怖感が香港独立という考えに繋がった。
イギリスの礼儀と中国の無骨さのはざまで香港としてのアイデンティティが生まれたのだ。
それは制度の問題ではなく文化の問題なのである。

自分も学生時代のパリで目にした
バブル時代のジャパニーズモンキー達の爆買い。
LVの紙袋を両手いっぱいにもつ東洋人は、日本人である私の目からも奇妙だった。

そして、たどたどしい北京語しかできない自分・・・・
何物でもない自分から
広東語を覚えたい熱烈な欲求が沸いてきた。

予想通りの枠内にいながら
文化は予想以上になれる契機となるはずだ。
いまの香港のたくましさのように。

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高い壁を越えていこうなんて青臭いことはいわない
予想通りに落ち着いてしまうなんてことはないようにはしたい。
私の予想はこの壁より高く飛べるのだ。

禱りでなく、強い意志と覚悟をもつことが大事であると思った。

続く

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