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香港 その2

◯熱気


断捨離とは真逆の世界に分け入ってみよう。

旺角にある女人街
ここはPMQとは逆の方向性のショップが並んでいる
粗末なドンキホーテみたいな出店が延々と続く

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友人曰く、本物は滅多にない。
すぐに壊れてしまう つまりはゴミを売ってるが
ゴミのような安い値段でもある。

最初にいった香港の旅行では
ここで友人の土産を買ったことを告白する。(おいおい!)

旺角は原宿のような雰囲気。
若い女性がたくさん集まっていた。

スマホの万歩計をみるともう2万を超えている。
ずいぶん歩いたものだが、興奮しているのかそんなに疲れていない

でも、いささか腹は減った
中環にもどって飯でも食おう

そうだ、ガチョウでも食うかということになった。

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なにはともあれ、内蔵をくらおう
いわゆる肝である。香港風フォアグラ?
ねっとりと甘いが、酸味のある醤をつけて食べる。
絶品である。

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グースである。
よく店先で吊るしてあるのを見かける。
これも絶品。

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スープ。鶏なのか鵞なのか忘れてしまったが
胃が休まるような優しい味だ。緩急がいつでも効いてる。

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胃が洗われるような苦みがある。
香港の家庭では薬膳スープを良く飲むという
これが長寿の秘訣の一つだと思う。
香港では、やたらと陰陽を気にする。食べ合わせを均衡がとれた中庸=平の状態に保とうと常に苦心するのだそう。

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豚の煮物
皮はカリっと仕上がっている。
とてもジューシーで肉の旨味が広がる。
香港の友人は東京に来たとき
これを求めてさまよったそうだ。
けれど日本の中華料理店でこれを出す店が見つけられなかった。
私も初めて食べたが すこぶる旨い。

なるほど求めるわけだと思ったが、香港で食べるべき一品のような気もする。

自分は地産地消が一番理屈にあっていると思う
ロジティックスの発展はあんまりいいことではないように思う
昨今の世界経済の中では仕方がないことである。

差があるところに運ぶ
だから儲かるというより
人間がそこに足を運ぶというのもありであろう。

そんな愚説を唱えようが唱えまいが
いまでも適っている部分がある
例えば、東京では食えない魚を静岡県出身の私はしっている。
新潟の農家が自家用に育てているお米も知っている。
それは流通しない。

ロジティックスのエントロピーで
どこでも手に入るものがあるとどこにも行かなくなるのでは
という杞憂なのだが そうはならない兆しマクスウェルの悪魔は
たくさん残っているのである。

香港のこの料理も日本では決して味わえない
そして、それでいいのである。
それがいいのである。

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夜になった。旺角から中環にもどりスターフェリーに乗る。

夜景をみた。

どんな政治になっても変わらない香港をみたようで
少しほっとした。

輝かしい未来とはいわない
いまのままが香港はいい。
だが、それも杞憂なのである。

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◯香港の経済

香港は中国に返還されてどうなったのか

いろんな経済誌を読むと課題があるという。
(そりゃあるだろう)
中国が香港をかつてほど必要としなくなった
という言葉があったり、香港は国際ハブとしての役割を終えていると表現され、シンガポールとの比較で劣位にたっているという。

中国本土の経済的発展がすばらしいことの裏返しでもあり、
国際都市である上海の台頭が香港の得意分野を持ち去ったのが
その原因の一つである。

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政治的には、中国本土がどう思っていようと
香港人は中国に対する愛国心は少ない。

愛国心がないのは日本も同じではないかと思う。
そして、経済大国として役目も終わっているのではないかと思う
もちろん各論でいけば反論があって当然だろう。

日本にも国粋主義者はいる。
そしてどこの国にもいるものである。

大勢ではたとえば政府が”美しい日本”と標榜しても
どこか白けたムードがあるのが現実なのではないだろうか。
国の代表に対して尊敬も感じない。
そして、尊敬を感じないのは国家として健全だということでもあると思う。

日本も香港も経済的に課題をかかえている。
少子化が叫ばれている以上、労働力は日本人だけでは牽引力不足である。
香港にしても、金持ちは多いものの、貧富の差も存在する。

それは自国や地域だけでは解決できる問題ではない気がする。
少子化対策も焼け石に水だ。
それは国家の役割が終焉しているのではないかと思う。

中国が香港をどう取り扱うのか不透明だが
また愛国心の問題で嫌な問題をかかえることになる。

 このように、国家と個人との問題は複雑であるものの、これから先、国家の引力や魅力は弱くなる傾向にいくほうが健全だと思うが、国家という箱制度から見れば、というより既得権益を持っている人からみれば、そうもいってはいられない事情もあるのだろう。ただし、それ以上のものではない。

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GoogleやAmazonという国際的巨大企業は
国家に税金を払っていない、リバタリアン企業である。
彼らがサイバーインフラをデザインすれば
国家よりも効率的に個人や小規模企業はそのインフラを使えるのである。
そして、ブロックチェーンはそれの強烈な後押しとなるであろう。
通貨の発行権は今は国家に帰属するけれどもブロックチェーンをマイニングした
仮想通貨はその権利を国に頼らず我が物にできる。

こうなると、
何をするにもコストがかかる大企業はその役目を終えて、
個人や小規模企業が活躍する時代がこれから到来してくるだろうと思う。

そこで、香港の時代が再びやってくると私は確信している。
もともと経済観念が発達している人々が多い。
このことは中国人にも言えるし、広東人ともなればなおさらだ。
さらには、国際的に多くの経験があり、
広東語のほかに英語も普通語も話せるスキルの高さがある。
(シンガポールも同じ素地があると思うので ぜひとも行って確かめてみたい)

日本もこれから国際化は進むであろうが
英語に堪能な人が多い香港にアドヴァンテージがあることは間違いない。

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そんな香港のビジネスマンの出勤の様子を眺めながら
朝食をとろう。

◯2杯目の粥
 今日入ったお店はガイドブックには載っていない。
Openrice( 香港の食べログみたいなサイト)にも掲載されていなかった。
あえて、読者の方には申し訳ないが店の名前は伏せさせてもらう。
なぜなら、とても気に入ってしまったのだ。
粥がきた。
ここは昨日の朝食べた生記粥店と違い一種類しかなく
ピータン粥だ。
これがまた、すこぶる旨い。

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朝から食欲が出てきた!
さらに、鶏の足を豆鼓と炒め蒸した点心。
里いもに似た野菜も蒸されていて、これがホクホクといい脇役を演じながら
主役の鶏肉を引き立てていて、その主役もどっしりとした味・・・
もう、とにかく旨い。

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海老焼売が湯気で見えにくいが
上に乗っているのは海老の卵である。これと麺と和えた一品も他所の店にあるくらいでキャビアみたいなコクがある。ぷりぷりの上にコクが加わって鬼に金棒である。これもペロリと平らげた。

朝から飛ばしすぎで
どんどん頼んでしまったが、とても安い。

おそらく観光客は本来アウェイだ。
常連さんの広東語が飛び交う雰囲気に
観光客の捨て身で挑んで対抗したのである。

メニューをひたすら見ながら、いくらなんでもと、
もう少し食べたいところを切り上げたが
なんども振り返って店の看板をながめながら店を後にした。

おっと、店の名前はあえて言わない。
もう地元の人で潤っているように思うし、
これ以上混んだらお店にも迷惑だ、などとブログらしからぬ
言い訳をする。こういういきつけの店を増やしていきたい。

◯これからの商売
日本の高度経済成長は下請けが支えてきた。
下請けとは面倒を厭わず請負う技術力の高い人や企業をいう
云い方が悪いが、器用貧乏を搾取して元請けが潤ってきたということである。

労働価値説がそのまま活きた時代であったが
時は流れても 元請けは面倒なことは下請に丸投げする
アウトソーシングと言い換えても構造は変わらない。
少子化の結果 下請けの面倒を継ぐ人も少なくなってしまった。

技術力の高い手作りなものは不当に安い。
ところが芸術と名がつけば不当に高くなるが
これはものすごく例外的なことである。

渾身丁寧にした ものづくりの精神は
献身とか 謙遜とかいう名の自己犠牲に虐げられてきたかもしれない
けれども、謙遜という精神こそ これからのキーワードである。
各国がこれを持ち合わせているわけではなく
大企業である元請け搾取を除けば 間違えなく 金になる。

たとえば、キャンピングカーや移動クッキングカーを手掛けるベンチャー企業がすでにあったりする。日本人のハンドメイドは世界で評価されるだろう
高品質を手掛けるメーカーはコスト重視のため精神的につらく、
これから、自由闊達な仕事がガチガチ管理に勝利するのは時間の問題だ。

個人や小規模企業を下支えするのは個人どおし 企業どおしの仲間意識だったりするが日本はこれで優位に立てる可能性があるし、その後押しをする仕事を私はしていきたいと思っている。もっといえば、日本がダメでも世界でこれをやっていきたいと思ってるくらいだ。

香港の食事は間違えなく世界有数
これも ものづくりなら相当なポテンシャルである。

さて、御託を並べてないで、思い出の味を食べに行こう。

雲呑麺だ。
こっちは ガイドブックにのっていた。
江仔記

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麺はこんな感じ
とても長くて啜りきれない。スープもやや塩気がきついが、
単純な中にも独特の風味がある。こういう何気ないものまで香港は旨いのだとつくづく感心する。

日本で油そばが流行っているが香港で食べた汁なしソバが発想の原点らしい。わたしもそういうものをひとつくらい見つけたい。

世の中には完璧なんかないし目標を立ててまい進したとしても
僕の成長なんて世の中は待ってくれない。その代わり体当たりで
どんどん試した結果、成功したものが残る。

そして成功すると、それは簡単なように思われるのである。
油そば も そんなひとつ。

汁なしのソバなんか ラーメンにかなわないと誰もがいっただろう。
そんなの冒険だとか、商売として成り立たないとか
そんなふうにいう人もいたかもしれない。

けれども、流行ってしまうと
今度は自分でも作れるように思え、多くのラーメン店で亜種メニューができた。
ところが、売ろうと苦心を重ねた元祖の味にかなわなかったりする。
そして、元祖も人々の味覚の変化についていかなければならないのである。

海老ラーメンは、もしかしたら
香港がルーツなのかもしれない。

香港の八百屋さんや市場でよくみかける野菜
空芯菜とアスパラの合いの子みたいな野菜が
食べたくて、この店でも頼んでみた。

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ほうれん草ほど えぐみがなく、
アスパラのように少し甘みがある。

実に面白い野菜である。

この野菜を輸入するみたいなこともできるかもしれないが
個人的には、先述のように地産地消が望ましい。
それより、日本で栽培しているくせに流通してしていない
野菜を探したほうが手っ取り早い。そもそも野菜の種類が日本が少ないのは
日本に育つ野菜の種類が少ないわけでなく、スーパーに並ぶ野菜が少ないだけである。
売れない野菜をつくるのは農協の管理下ではできないかもしれないし
また、しなくていい苦労はする必要はないのだ。

だからといって、食は効率を求めるとたいてい味が落ちる。
チェーン店のセントラルキッチンという考え方にも限界がある。
おばあちゃんの糠漬けよろしく、材料は一緒でも作り手によって味がどうしても変わるからである。

変えていいもの 変えてはいけないものの見極めが大事である。
ただ、試してみる環境は大事ではないだろうか。
世田谷の百麺というラーメン屋さんは百種類のラーメンを作り
その中で納得するものを出した。

そして店を出した後は味を変えていかないと廃れてしまう。
どうせ試し続けなければならないのだ。

実は、日本の伝統の味でさえ、そうなのである。
そもそもそういう料理は季節によって味を微妙に変える。
ゆで時間だったり、塩加減だったり、不断に微調整しているのだ。

一度出したら、評価が決まってしまい失敗するなら怖くて店が出せない。
初期コストが膨大すぎるのだ。何度もチャレンジできるほうがよい。
さらにいうと、極論、顧客の顔がみえないよりも仲間内でよいと思う。
ビジネスだからと不特定多数を相手にするサービスを作るんだという片意地を張ってやるより、店と客はコミュニティの中で生きればよい時代に変わっていくのではないかみたいなことが頭に浮かんだ。

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◯例のお店


昨日訪れた、美味しい店に今日も行く。
店員さんのおすすめで魚肉ごはんを食べてみた。
日本でいうと おかかごはん 的な。。。。
これがすこぶる旨い。
魂が求めていた味みたいだ。
魚(アジとかそういう種類の魚だろう・・・不明)
を油で炒めたものを生姜とともにご飯にのっける。

そうやって出されて食べようとすると、広東語でなにやらきかれた。
わからないと答えたら、醤をかけて去って行った。

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よく混ぜろ、こんどは普通語。はい、まぜまぜする。
一口 おそるおそる口に運ぶ・・・・
ん! 
あとは一気に掻き込んで平らげてしまった。

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腸麺
動物の腸が材料ではなく
形が腸に似ているから その名がついた料理
伊勢うどんのように 長茹で、つるつる感が強い。

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排骨を豆鼓と一緒に調理した点心
おなじみだ。
これも とても美味しかった。

思ったよりもあっさりしている
そして 恐ろしく奥が深いコクがある。

またまた、朝から飛ばしすぎ・・・・
このあと3品くらい頼んだのだが どれも美味しかった。

2日めのジンクスみたいなのがある
一度食べて 感動して、2回目に行ってみると興ざめするみたいな・・・・
ここの店はそんなジンクスはなかった
どころか、軽々と予想を裏切るように 美味しかった。

あ、残念ながら 店の名前はお伝えできない(笑)
パワーチャージは十分だ。

今日は少し遠出してみよう

友人を頼りに、沙田っていうところまで行ってみる。

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こんな電車に乗った。

駅前のロータリーはこんな感じ

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久闊を除して
喫茶店に・・・・・駅ビルにある こちらのお店

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あ、駅ビルはこんな感じ

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そこで 珈琲とケーキをいただく
久しぶりに中華料理以外のものを口に入れた
値段をきいたら びっくりする。これで だいたい1500円くらい

なんというか、実はそんなに高くない。
日本だってそんな店はあるし、
それに、香港は概して物価は高いのだ。
(給料はだいたい日本と同じくらいである。)

香港にきてから、自分はとても安いお店をセレクトして
数日すごしてきた。
それで この値段のギャップに吃驚してしまったのだ。

近況報告や、これからの旅のアドバイスやらをきいて
長話をしたのだが、この店 平日の真昼間なのに
奥様がたの行列ができる。どこの国も同じ風景だなと思った。

喫茶店を少しリッチにしたので、
お昼はちょっとチープにいこう

だけれど、この辺では有名なお店だ
漢年茶餐廳

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お! すげーボリューム!
でも これで 700円くらい

この沙田には、高層住宅がたくさん見えた。
食費は日本と同じくらいかかるので暮らしぶりを想像できる。

ちょっと胃が張った。朝から大食漢だったので当然だ。
すると友人は漢方のお店に連れて行ってくれた。

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味はあまりしない。
薬草を煎じてゼリー状に固めたものだ。

と、きいたが、よくよくきいてみると
亀の甲らを干したものが原料だったという

驚いた顔をみせると友人はカラカラと笑った。
じゃあついでにヘビも食べるかといわれたので
今日はちょっと辞退した。(今思えば食べればよかった(笑))

亀苓膏というらしい。これを出す店が香港にはあちこちにある。
まさに医食同源なのである。

◯香港礼賛と私の日常

香港で暮らせたらさぞかし楽しかろうと想像してみた。

自分は今は食べ歩きの趣味はやめて実に質素に暮らしている。
香港ではお米は徹底してタイ米なのでとても安価で済む。

旅行者の目としては美味しそうなお店が
たくさん目に留まる
夕食には事欠かなそうで、毎日に彩があると思った。

言葉の壁さえ超えられれば
私ももちろん そんな生活が可能であろうと思う

それと同時に、日本のおいしい空気と水を思い出した。

香港の人が欲しがっているものである。
それが身近にある幸せに思いを馳せた。

そうだ、気分の問題なのである。

香港の人がすべて外食なわけではないことは
すでに書いた。そうなると自分もきっと質素に暮らすはずである。

それなら日本でも旅行気分で過ごせばいいではないかと
要は”気のもちよう”なのだ。

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◯予告


例のお店で朝食をとる。
まだ3日坊主の長さを出ていないのに
すっかり習慣のように、この店を訪れる。
お粥といくつかの点心をもらった。

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カボチャの千切りを小麦粉でつないで
焼いたものである。

これがほんのり甘く、お粥とあう。
軽い塩気に軽い甘さ
どちらも軽いので 胃袋に染みわたる
パクパクと無限に食べられる感覚だ

こんな感じで、すっかり香港生活を手に入れたような気分になる。

観光客は自分以外おらず、
周りは 昨日もみた顔ばかりだ。

新聞を手にしながら お茶をすすり
(この店に入って席に着くや否やまずきかれるのが
 プーアールか鉄観音のどちら? ということである)
談笑している老夫婦らしき人もいる。

なにしろ平日の朝なのだ。
サラリーマンの姿はみえない。

ちょっと予告すると、私はきっと来年も香港旅行をするだろうと思う。

 またその機会に他の店も見てみたいと思う気持ちもないではないが、
今はこのお店にせっかく落ち着いたので、
おそらく来年も朝食くらいはこの店でとることにしたい。

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(こう書いたがコロナ禍のせいで実現できなかった)
時代とともに変化を迫られる。どうしても行きたがったが、飛行機が飛ばないのでは、打つ手がない。2021年こそは、と思っている。

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いきおいで、甜点(デザート)もいただいた。
ぜんざいを極薄にしたような上品な甘さだ。


◯言葉と心の壁について



中身があまりにも美味しかったので
頑張って 店員さんに、材料をきいてみた。

何回きいてもわからなかったが、
注文の紙の裏に ”渣渣”と書いてくれた。

さっそく今日はスーパーにいって、この材料を求めることにしよう。

スーパーの店員さんに、この紙をみせた。
さっそく我が家用に持ち帰るため購入した。

ザザと発音し、どうやら、渣渣糖水というのが料理名らしい。
店員さん、実に親切だった。

すっかり香港かぶれになってしまった私だが
やはり広東語が気になる。こういうのは、詰め込み教育を受け
努力こそが自らを切り開く道だと教え込まれた変な癖がとれないのだ。

実は、努力は傍から見てそう見えることに過ぎない。

のほほんとしていると、根性論を問われたり、額に汗しろと
云われてしまうのではないかと冷や冷やしてしまう。

私のすごく狭い見識だと語学に努力は無用である。
まずは話せている自分をイメージするのだ。
あとはそのイメージで街を歩く。
それが一番いい覚え方で、本人が努力というと絶対に続かない
(あくまで私は ということであるが・・・・)

このイメージで誰しも2年くらい現地ですごせば、ある程度は話せるようになると思う。つまりは習うよりも慣れろということに尽きる。
商売もそれと一緒で、まずは稼げている自分をイメージする
あとはひたす実際にやってみるしかない。

とくにサラリーマンは、経営者になるために
いろいろ学ぼうとする。
(私もスナック経営する前にいろいろ勉強したのだが)
しかし、それは、ほとんど役に立たない。

たとえばマーケットの鉄則4Pを覚える(Price Product Place Promotion)でも、4拍子すべて最適化してから起業なんて 不可能だし・・・
ほとんどの起業は経験不足から始まる。だから、なんども 挑戦する 恥を掻く、謝る、感謝するの繰り返ししかない。
うまくやる方法なんて 後からならいくらでも言えるのである。
だから、成功者の本も参考程度でよいと思うし、自己啓発の本も同様だ。
話半分でよいのだ。だって、成功者はその本を成功してから書いたのだ。
成功する前に書いてそのとおりになるなんて不可能だと思うし
もしそうなら、スピリチュアルだ。
しかしこいつは昨今あなどれない。
物理学は科学を超えてスピリチュアルの方向に近づいていく
物理学者のような一番理知的な人が神を持ち出してくるのである。
それくらい宇宙は解明できてきたということなのかもしれないし、よくわからないことがわかったということかもしれない。

アメリカかぶれの本を読むとマインドフルネスは釈迦の瞑想に近いのだ。
エリートたちはそれを実践している。
まるで映画”マトリックス”さながらの雰囲気が世界を牽引しているのである。そういう彼らの新しい4Pは
(Peer Project passion play) (MITラボの標語)
いろんなことをいう。時代によってこういうものは変わるのだ。

だが、変わらないものがあるはずである。

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宇宙のモデルは人には理解が難しい、次元を超えた世界であるからだという。
時間にしても、空間にしても
過去からやってきて未来へ続く時間もあれば、
実は未来からやってくる時間もあるみたいな・・・
哲学的な話になってくる。

物理学に話を寄せて、シュレーディンガーの猫のような思考実験も
死んでるのか生きているのかすら確率でしか表せない。それが、私たちの実際の世界のことなのである。私が猫は生きていると思えばすべての状態がそれに合わせて整って押し寄せる。ほかのどんな事象も猫を生きているものとして扱う。
この逆もまたしかりである。 

この伝であんまり書くと、ヘンな方向?にいくので
香港のイマココに戻ろう。


◯時空をこえる香港

どちらも、仏教+道教の有名な寺院である

実は、日本のお店に神棚があったり、町内に狐が祀ってあるように
香港のお店の中には 関聖帝君がいる。

お会計するときに、大抵目にする。
赤ら顔に長い髭。なんだか怖い顔に見える。
でもこれも 実は宇宙の構造を眼前にもってこようとしたものだ。

釈迦の瞑想も哲学も、そして現代物理学も表現こそ違えど
イマココの宇宙空間を表現したものにほかならない。
それら表現の前では、人間のやることなんて なんにしたって 
どっちみち大したことではないのだ。

そんなことは知ったうえで ごっちゃまぜの蠢く混沌がニョキニョキと何かしらを生やして、香港の今の様子になったようにも感じる。
だから安心するがよい。なるようにしかならないのである。
目くじら立てることはないのである。
と、町が語りかけているような気がする

それは、実は東京だって、世界中どこだって同じことである。

でも、香港は今は対中国人本土の旅行客仕様なのである。
だから街には周大福など貴金属を売る店が一斉に立ち並んでいる。

中国のが下火になり次に東南アジアの富裕層が来れば
その仕様に様変わりするかもしれない。



◯豪華な晩餐


町をぶらついて どこかで豪華な食事でもと店を物色した。

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野菜を米粉で包んで蒸したものをつまみ食いなどしながら
あそこはどうだろう、ここはどうだろうと歩き回った。

考えてみれば 有名店にあんまり訪ねていないことに気付いた。
それもそうだ。ガイドブックなどロクにみていないのだから

それで、今日は尖沙咀まで出張ったのだが・・・・
なかなか決まらない。さて、どうするか・・・・

いろいろ迷っているうちに
銅鑼湾まで戻ってきてしまった。

ここは、やっぱり、例の店か・・・
いつも朝食を食べている あの店に夜尋ねていくことにした。

そうだ。これが一番 自分らしい。

店内はすごく混み合っている。
家族連れが多い。
飛び交う広東語・・・

やはり完全アウェイだ。

でも店員は自分のことを覚えていてくれて
親指を立てて歓迎の合図を示し
席を作ってくれた。

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ニラの芽と白魚とカシューナッツ炒め
これも 中国にはあるが、日本でなかなか食べられない。
茶色っぽいのは豚の背脂を揚げたもの
”へとがら”などといい日本でも昔は良く食べたが、最近はこれもみかけない。

店員におすすめをきくと
フカヒレと 鮑が今日は特別だという

OK、請け合おう!

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鶏の濃厚スープに浸りすぎて
主役が良く見えない。よし、とりわけよう。

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姿が露わになったフカヒレ。

ちなみに これすごく絶品だった。
おかわりしたいのをこらえて、アワビ(鮑魚)をもらう

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柔らかい身の全部が旨味の塊だ。身が震えるほど旨い。
(こっちは実はおかわりした)

他所のテーブルにも、魚をまるまる一尾蒸した料理やら
ムール貝の桶などが並ぶ・・・・
(さすがに写真は控えた。)

いったい家族連れは誕生日かなにかだろうか
そんな感じはしない。これが日常の食べる景色なら
相当 グルメな家族たちが この店に集ったものだ。

ま、それはともかく、この店にして、本当に良かった。
大正解である。味もそして何よりお値段も(笑)

旅の思い出や、考えたことはまだまだあるが
一端 日本で消化しようと思う。お蔵入りして、改めてと思ったが
思い切って、あらばしりのまま 開陳することとしよう。

旅の締めくくりは空港に行くことだ。そうだ、また来るとはいえ、八大達カード(Suicaのようなもの)に、まだ たっぷりチャージが残っている。
ホテルで相談すると、空港で(手数料はとられるが)現金を払い戻ししてくれるという。
買い物も ウィンドウ&冷やかしのみで景勝地にもロクにいかず、有名な神社にもお参りすることもなく7日間があっという間に過ぎてしまった。

空港に着いたが、日本でなく、かえって、香港が恋しくなる始末。
帰りたくない・・・・

最後のあがきで そうだ!
朝食を喰らおう! 
空港には有名店が2店舗ある。
麺も食べた。数日前に食べた江仔記よりも上品な味。

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それにしても どれだけ未練がましいのか。

食べ続けていれば 帰らなくていいのかと勘違いしたのか
いやはや満腹である。

飛行機に乗っても 興奮し続けていたのか
ワインを2杯もらって 無理やり眠りながら帰途についた。

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●見出しの画像
PMQ近くの木


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