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5月23日

春の雨中を歩き、見慣れない地下の重苦しい扉を開き
闇夜に仄暗い明かりがぼうっと灯るカウンターで
タバコをくゆらす。いつの間にか奥のソファーに座る4人の女性。
おそらく紳士のお付き合いを彩る商売をしてるとわかる。

初めて足を踏み入れる気恥ずかしさを気取られないように、
さらにはソファーの方に目線がいかないよう、文庫本を開いて頁(ページ)をめくるなどしていたが、4人のうちの一人がこちらを見ていたのにぶつかった。思いがけない強い視線に本を思わず閉じてしまった。

本を読むのをやめたのが合図みたいに、店内には音楽が流れ始めた。
あわてて、マスターの方に目をやるが、平然とシェイカーを振っている。

流れた曲は サッチモ A Kiss to Build a Dream On だ。
なにかの暗黙のルールで店の客を鴨にしていい時間帯があるのか。。。
といぶかしんだが、4人は静かに談笑しているばかりでなんのモーションもない。結局 その店を去るまで、なにごとも面倒は起こらなかった。
4人はただ客として飲んでいるだけで、客引きなどしていなかったのかもしれないし、それともこちらの懐にするどい探りを入れ終わったあとで、鴨にならないと判断のしたのかはわからない。

断腸亭日乗の大正10年の5月23日にはこうある。

創作の興至るを俟たむが為、徒に平素憂悶の日を送るは、さながらお茶挽藝者の来らざる客を待つが如し。

サッチモの故郷であるニューオリンズは、クレオール文化の栄えたところでもある。さまざまな文化がいいとこどりをして生まれた文化だという。
この地がJazz発祥の地であるという人もいるが、そうでないという人もいる。歴史の古いことはなにか割り切れない複雑さがあるが、
Miles Davis は、たった4つの単語でJazzの歴史は語れるという。
You can tell the history of jazz in four words: Louis Armstrong. Charlie Parker." - Miles Davis

云わずとしれたLouis Armsrong の愛称がサッチモだ。
そのサッチモにいわせれば、”もしジョー・オリヴァーがいなかったら、今日のジャズはなかっただろうと思っている。”

きっとJazzの歴史を調べてもキリがないんだと思う。お歴々にそんなことをいうと”Jazzがわかっとらん”と叱られる。でもいいんだ。
きっとお歴々とは理解の仕方が違うんだ。Jazzとの距離のとり方も生き方も。。。。
 Jazzが好きだというと、必ず小むずい議論をふっかけられたり、中にはオーディオセット、どころかオーディオルーム あるいはオーディオハウスにご招待を受けてしまうこともある。クワバラクワバラである。
 そして、そこにも、とんでも科学は存在しているから始末に置けない、
というかある意味楽しくもある。
 たとえば金メッキのプラグが流行ったこともある。それではきくがオーディオ機器の内部のハンダは金じゃなくていいのかという議論もあった。いずれにせよJazzとは関係ないと自分は思う。

 この曲(A Kiss to Build a Dream On)は1935年のナンバー。The Stripという映画でもカバーされたという。当時の雰囲気というが、自分個人としては曲の色は、日本の戦後まもなくの色になっている。当時の日本の花街にはJazzやChansonが流れていたと勝手に想像しているのである。いろんな背景があり、物語があるものだ。CDと違い、レコードは針との摩擦によりノイズが入る。このノイズがまた味があるという。たしかにそこに何かしらの背景なり風のようなものを感じることができる。
 しかし、私はThe Stripという映画もさることながら、戦後の日本を知らない。この曲のリズム、雰囲気は知ることができて、そこから想像するだけなのである。そしてそれで十分だとさえ思う。

 この曲が終わると、私は1階にあるロシア料理屋に逃げるように入った。
マホガニーの装飾に洒落たステンドグラスに彩られた店内、分厚い板のテーブルには青色のクロスがかかっていて銀色のフォークやスプーンが乗っている。ロシアらしい音楽がさらに店内の色を濃くさせている。

 Miles Davisは、”ふり返るな。謝るな。説明するな。同じことを繰り返すな。”という名言を残している。ふり返るのは歴史家のしごとだし、謝るのはサラリーマンの、説明するのは政治家のしごとだ。同じことを繰り返すのは馬鹿のやるしごとだ。これ以外のことをするのが芸術家のしごとなのだろう。
 いい意味でJazzは一度きりなのだ。Milesがそういってんだから、曲の意味とかどうでもいいのではないだろう。するとお歴々から、その曲は何年の録音をきいているんだい?と、またノイズみたいな質問がくるんだろう。そしたらこう答えよう。「地下のバーの入って一杯ひっかけ、ロシア料理をたべたときに私が耳に覚えた そのときだ つまり今日だよ」と。

 サッチモやディビスがどんな思いで曲を創ったのかも、どんなことで悩んでいたのかもわからない、もしかすると”創作の興至る”ときに思いにまかせたのかもしれない、そして、そうした創作意欲がわくまで待つ間の”徒に平素憂悶の日を送る”ときには なにをしていたのだろう。

そんなことを曲をききながら想像するだけで楽しいのである






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