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招き猫の日

くる(9)ふ(2)く(9)という語呂合わせ。日本招猫倶楽部が9月29日に記念日を制定。

猫をしたがえた神というのもいる。主夜神堂 春和神がそれである。
婆珊婆演底主夜神がもとの名前らしい。
主夜は守夜と転じて、夜を守る神として崇められ、
盗難や火災などを防いでくれるという。
招き猫は、この主夜神堂の昔の絵が右手をあげている姿に似せて、猫をつくったらしい。

遊廓の遊女は 別名寝子(ねこ)というので、この夜の神様ともあいまって
猫の置物をつくって飾った。客を招くというのはここからかもしれぬ。

実のところ、招き猫の手の右左の区別は、
主夜神堂を奉じる壇王側でクレームがあり、類似品を売るのは困るといったので寺社系は右 民間は左をあげるようになったのが、もともとだとのことである。ゆえに、右手は金を招き、左手は人を招くというのはインチキだ。

世田谷に豪徳寺があるが、弘徳院といった。
井伊直孝が鷹狩りのときに雷雨となって道に迷った。 
このとき猫の導きがあって、弘徳院に難を逃れたことにあやかって、ここを菩提寺とした。

人々の願いの神に届かせることを実感することは、
難しく不安である。
動物のアレゴリーは、そんな折に触れ、身近なところに象徴(しるし)を見るのである。いずれにせよ動物を使っての自己の表現である
もうひとりの自己が投影されているのかもしれぬ。人間は畢竟 人間だけで生きられない。
動物のアレゴリーは人の生活を面白くする。科学的に正しいとか、正しくないとか、そういったことは抜きで、いつも見ている世界とは違った方法で成り立っている世界を感じるのである。
オーロラを見て人々が感動する。それを太陽から来る電磁波のいたづらだととらえると少し興ざめし、天使が舞い降りるときの印とみる。
しかし、一旦興ざめだと脇に置いた科学も動物のアレゴリーと大統一理論のように融合するのである。
そうでないと、空の青も、光の屈折によって説明をうけるとき、違った感触になってしまう。

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今日は、エンリコ・フェルミの誕生日である。数多くの業績があるが、
アメリカ移住後、マンハッタン計画の中心的役割を担った。残念ながら、癌で、若くしてこの世を去ってしまった。
フェルミの功績については、また来年、記述することとしよう。
彼は概算の達人で、その方法はフェルミ推定という。
例題、類題が有名な会社の入社試験にだされるので有名だが、”シカゴにピアノの調律師が何名いるか。”というものがある。
また、フェルミのパラドックスというものがあり、宇宙年齢の長さと、恒星の数からして、当然、宇宙人は存在しているとしている。

フェルミなら、豪徳寺にある招き猫の数もたちどころにわかるものかもしれない。

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<来年の宿題>
・エンリコ・フェルミの業績
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