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遠距離恋愛の日

FM長野の大岩堅一アナウンサーが12月21日に提唱した記念日だ。
いろんなことが掛け合わさって、この日を記念日に指定した。
両側の1を人に見立てて、離れ離れになっている様子を、そして、間の22は
ツーツーという電話の音を表すとした。

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 エミール・ギメという東洋美術に焦がれ、収集家となり、美術館まで開いた人物がいる。その東洋美術館(le musée Guimet)はパリに現存し、アフガニスタンから日本に至るまでの5000年に渡る歴史の中から収集した美術品を展示して情熱を伝えている。2013年に日本を題材とした展示のオープニングは北大路魯山人に捧げられた。次の記事はその解説に多くの文字を割いている。
魯山人は、美食つまり、食べることの美学の発明家である。食卓をめぐる美を人生の中で体現することである。陶芸家、漆芸家、書道家、画家でもある彼は同時にエッセイストでもあった。”自然を素材として、人間の最も原始的な欲(食欲)を満たしながら調理する。人間はこのノウハウを崇高に芸術のレベルまで高めるのである。”と書いている。

Rosanjin, l’inventeur de la gastronomie au Japon, le « bi-shoku » ou l’esthétique du manger, redonne vie au concept du « beau autour de la table ». A la fois céramiste, artiste laqueur, calligraphe et peintre, il fut aussi essayiste et déclare à ce titre dans La voie du goût de Rosanjin : « La cuisine, tout en prenant comme matière la nature et en satisfaisant le désir le plus primitif des êtres humains, sublime ce savoir-faire au niveau de l’art. ».

現代のフランスの美食の分野であまたの研究があるが、魯山人の極めた料理芸術は断固としてまだ新しい。その総合芸術であるという食の精神は「美食倶楽部」で体現されている。

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多くの芸術家同様に、彼の生き様は神話となった。近代日本料理の創造神として崇拝されたり、また逆に、性格異常者として語られたりもする。確かに調理場と対立する緊張関係があったり、彼自身が造った場所から駆逐されることもあった(星岡茶寮追放事件)。神話と伝説が多く残されていて、それらはときに矛盾したイメージを提供する。

Comme quelques grands artistes, il était devenu une figure mythique de son vivant. Certains allaient jusqu’à le vénérer comme le « divin créateur » de la cuisine japonaise moderne ; d’autres en revanche l’ont décrit comme un caractériel. Certes, il eut des relations conflictuelles avec l’associé de ses restaurants, et il finit même par être chassé des lieux qu’il avait créés. Mythes et légendes ne manquent pas autour de cet artiste, et plusieurs biographies, présentées chacune comme authentique, en proposent des images parfois contradictoires.
●vénérer ... 崇拝する
●caractériel ... 性格異常者

そして、それらの伝説と彼の人柄についての多様なコメントは、彼自身の役割の重要性を逆に証明している。彼の姿は、彼固有の美学的立ち位置の距離を推し量るための特異な手がかりとなるのである。

Ces légendes et les commentaires divers et variés autour de sa personne témoignent en eux-mêmes de l’importance du rôle qui fut le sien : sa figure est une sorte de repère singulier, à partir duquel chacun évalue la distance objective de sa propre position esthétique.
●repère ... 手がかり

美食というとお高くとまっているような偏見をついもってしまいがちだが、意外にも魯山人の生家は貧しかった。たしかに士族の家柄ではあったものの、生活は極めて困窮し、魯山人が生まれたときにはすでに、実父は自殺していて、母は魯山人を農家に預けて失踪した。実は母の不貞の子だったのである。しかし、芸術に関する感覚は研ぎ澄まされているものがあった。
そして、食に関してもやはり尋常ではない。魯山人は10歳の頃を振り返る。

 ”猪の美味しさを初めてはっきり味わい知ったのは、私が10ぐらいのときであった。”で始まる”猪の味”という名エッセイがある。牛肉が3銭の時代に5銭払って少しの猪肉を買うのである。養父母も相当な美食の舌を持っていたということである。魯山人自身も”私は美味いものとなると徹底的に食わねば気のすまぬ性分で”と書いている。

 こんなことを思い出したのも、昨年の今頃、とある温泉宿のオーナーと話す機会があったからだ。そのオーナーは元自衛官で、退官後、大手メーカーが所有する山野を管理する仕事をもらった。世界中を回っていろんなものを食べてきたというが、山野で害獣である猪を狩って食べたときの感動は忘れられないという。私自身は地元で”猪豚鍋”を名物で出している店にいったことがあるが、そんなに感動がなかった。拍子抜けした理由として考えられるのは、猪豚は野生の猪と豚をかけ合わせて捏造(つく)ったもので、猪とは似ているが実際には違うものであるのだろう。それと猪肉も少ししか入っていない。魯山人も前掲のエッセイの中で、”野菜が肉より多いようでは、だしはまず利かない、また味が利くほど煮れば、[...]出しがらになって、[...]猪肉の面目はなくなる”としている。さらに、そうした鍋を出す輩のことを、”真面目にものを処理しようとしない人間の通有性のあわられのひとつ”だと断じる。私はきっとこうした輩にひっかかったのであろう。

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ギメが東洋の美術に焦がれるというのも、遠距離恋愛みたいなものであろうか、めったに会えないものだからこそ、憧れが増すということはないのだろうか。私にとって猪肉はまさに遠距離恋愛みたいなものである。

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<来年の宿題>
・魯山人のエッセイ(再読)
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●見出しの画像
魯山人作 雲錦鉢 (画像はお借りしました)

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