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沖縄そばの日

1978年10月17日、公正取引協議会にて、”沖縄そば”という名称が、特殊名称として登録認可されたことにちなんで、沖縄生麺協同組合が記念日に制定。

沖縄そばは中華麺の麺に和風出汁。一般に麺が太めだが、八重山そばなどは細麺だという。ソーキに本ソーキがあるが、それは、観光客が骨付きを嫌がることから、骨なしのソーキを観光用に出したとのこと。本来はソーキは骨付きである。パーコー麺なのだ。台湾には牛肉麺があり沖縄には沖縄そばがあり、本土には排骨麺がある。

さて、ここで過去ログを引用しよう。
2017年6月の記事である。

哀愁的新宿を書こうと筆をとっている。

するとなぜだか 旅行に出かけたくなった。
新宿から遠く離れたところ

そうだ この季節の沖縄に行ってみよう
真夏にガンガン焼こうというわけではないが
沖縄はもう泳げる季節である

とはいえ、海で泳ぐことはしないだろうと思う。
これは個人的な事情で、体質が日光に弱いのである。
日に焼けようとすると、火ぶくれになってみにくくなる
昔からそういう体質なのだ。

だから、夏のレジャーは日が落ちた後に
バーベキューが関の山であるが、
蚊に好かれやすいらしい。
しかも刺された箇所がぷくぅっと膨らむ
蚊の毒素に過剰に反応する体質らしい。

だからこれも却下

じゃあ、沖縄に行ってどうするんだ

そんな疑問にここでお応えしようと思う。

さて 羽田からさっそく那覇に飛び立つとしよう
羽田から那覇へはおよそ2時間の空旅
チェックインぎりぎりの便でよいだろう

機内では食前酒がわりにワインなどを呑もう。
もう10年以上も前だが、
前回沖縄にいった初日はステーキを食べた
石垣牛などでなく 歯ごたえのあるアメリカンなものを。

今回もそうしようと思ったが
米軍が駐屯している沖縄ではステーキがうまい
と沖縄通からきいた。
けれども それは、前の話で、昨今では変わっている
いまだに那覇だけで100店舗を数える。
地元の人にはステーキ88という店が人気なようだ
今は石垣牛が人気で、いわゆるアメリカンなステーキは
鳴りをひそめているらしい。
それでもアメリカンなステーキを探そう
という手もあるが、違う手でいこう
変化に合わせて石垣牛を求めるというより

沖縄でもっと昔からある山羊を食そう。

おっと宿をとっていなかった。
「ホテルパームロイヤル NAHA」にしよう
今回は国際通りを練り歩くので
その近くの宿をチョイス
那覇空港から国際通りまでは
ゆいレールで行くことにする。
モノレールに乗ったことがない
牧志で降りて、先にチェックインをすませよう。
荷物を置いたら、
さっそく2つ隣の通りの
”竜宮通り”へ

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 ここで、「哀愁的新宿」の記事というのは、別なブログサービスで私が執筆していた(未完)記事である。続きをnoteで書こうと思っている。
遠く離れた場所にいきたいのは逃避だが、逃避を忌み嫌う心があるにはあった。昨日の記事でも書いたが、最近ではそれでいい、逃げていいと思っている。万人に好かれるなんて、ありえない、好かれようとしても疲れるだけだ。それに逃げることがない状態、つまり物事がすべて完了しているなら、死ねばいいし、どうせ何かに追われ続けるのが人生なのだ。気持ちよく逃げよう。さて、逃避行の続きを・・・

どうだい、この雰囲気!
この通りにある
「山羊料理 さかえ」
まずは、山羊刺し
山羊は臭いというが
高円寺(抱瓶だったか?)
で食べたときには臭みがなかった。

冷凍や輸入ものが臭いんですよ という
山羊が臭いというのは
生肉ではない。
山羊汁のことだ。

豚骨スープだって臭いを活かしたものと
そうでないのがある。

ここの山羊汁は白濁している。
あえて臭いのをいただこう。

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山羊料理さかえ 指折りの人気店である。名物女将と本当に旨い山羊料理が楽しめるお店だ。ぜひとも鮮度のいい山羊刺しとこの山羊汁を食そう。
抱瓶」とは、東京の高円寺にある沖縄料理の有名店だ。

そして、泡盛をいこう。

この店には、山羊のほかの沖縄名物もある。
沖縄名物といえば、
ゴーヤチャンプル、ジーマーミ豆腐、ラフティなど、数多くある。
島ラッキョウは本当は4月ごろまでなので留意が必要だ
せっかくその土地にきたら 旬なものを食べたい。
さて、2件めは国際通りをぶぅらぶら、
ノープラン。

ただ、最後は

「BARごとう」

で〆よう。

Bar ごとう」は落ち着いて飲むのにいいお店。

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翌日の行動をここで
参考にバーテンダーさんにきいてもいいかもしれない。

次の日は、
フルーツをたんまり食べる。
フルーツ市場にいこう。
マンゴーは7月~が旬なので
パッションフルーツで
二日酔いに喝を入れよう(笑)
そして、スナックパイン
こちらは一年中食べられる。
希望ヶ丘公園で スナックパインを食べたら
壺屋陶芸センターへ ぶらり

そのあとは
ふらふらと、やちむん通りを冷やかそう。

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窯ではシーサーが作られる。
シーサーはいわゆる獅子のこと
南方からの伝来の文化の象徴だ。
ヒンドゥ教の影響が強い
シンガポールの神は白牛と獅子を飾る。
その一方の獅子が、魔除けの神となって
屋根に置かれたのかもしれぬ。
屋根に置くのは中国の風水の影響か。

やちむん通りは古陶の街並みを伝える
琉球王朝時代
に想いを馳せながら
喫茶店
南窯(ふぇーぬかま)で一休みしようか

なかなか ソーキそばが出てこないが、そう、実は沖縄で沖縄そばは私はいつも最後に食べるのだ。(理由はない)そういえば、名古屋にいったときも最後(しかも最後の最後、なんと新幹線のホームだ)に、きしめんを食べる。

さて、そろそろ東京に帰る時間だ
名残惜しんで
ソーキソバでも食べよう

ご存知だと思うが 念のため
沖縄ソバとソーキソバは違う。

トッピングが違うのだ

本ソーキがのっているのをソーキそばという
本ソーキとは骨付きの肉のことである

食べやすさは、沖縄そば
食べやすいから
そっちを食べるという了見は私は好きではない。

元来のつむじ曲がりを指摘されてはグウの音も出ない
食べにくいけど 一生懸命に食べる
これが正しい姿のように思う。

自分は、誰がなんといおうと
生きるために食べているのではない。
食べることは手段ではないのだ。

うぅ、どうも年を取ると一言多くなるらしい。

とにかく 食べよう
玉那覇ウシ商店
で食べたかったが、この店は日曜日お休み
「オキナワ ソバ エイブン」
にしよう。

玉那覇ウシ商店 も 有名なお店でオーソドックス。
オキナワ ソバ エイブン はカレー味が有名だが、もちろんオーソドックスなものも旨い。

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食べたら、牧志駅までタクシーで引き換えし
再び ゆいレールで那覇空港へ
期間が短すぎ
移動範囲狭すぎの
沖縄旅行は終了だ

東京に帰ったら、うりずんにでも寄ろうか

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今日は サン-シモンの誕生日である。
国家・政治と社会が中世までは一心同体であった。民衆の動きをみてとって、国家と社会の分離を見出し、社会生活を発見してくれたのがサン-シモンである。サン-シモン以前は、たとえば、リヴァイアサンは巨獣のごとき国家について論じ、ロックだって市民政府なるものを論じていた。サン-シモンがフランス革命の申し子と云われるのは、フランスの中に社会生活をみてとってとりあげ、分離に成功したからである。
サン-シモンは次のように断じる。
「フランス革命は激しかった割には、理性の進歩が要請する変革を基礎づけたりはしなかった。封建制度に基づいているその原理を変革しなかったのだ」
つまりは、国家とか王とかの権威をただ汚して、失墜させ、人民の拠り所への信頼を無化しただけである。では人民は何に依拠すればいいのか。それは、産業であると、サン-シモンはいう。なぜ産業が出てくるのかといえば、社会生活は、物質的な欲望と精神性の欲望の2つしかなく、これは科学、美術、工芸の3つを発展させれば満足するから、と、やや穿った人民像を持っていたようだ。サン-シモンは、産業を理想化した。しかしながら、政治的混乱から市民の生活は混乱と貧困に陥る。サン-シモンは1825年に貧困こそが最大の関心事だと言い残して死んでしまう。
産業の合理化と組織化、そして貧しい人たちの運命が
サン-シモンの弟子たちに残された課題となる。

Les disciples de Saint-Simon, pour la plupart polytechniciens issu de la moyenne ou de la grande bourgeoisie, réclamaient qu’il soit donné «à chacun selon sa capacité», et proclamaient la nécessité d’«améliorer le sort matériel et moral des plus pauvres et des plus nombreux». Pourtant, à travers la révolution industrielle et la montée en puissance de la haute banque dont ils seront les acteurs décisifs, ces hommes qui avaient rêvé à l’âge d’or pour tous vont contribuer à établir l’âge d’argent pour quelques uns, selon le mot cruel du poète Heinrich Heine: ils vont instaurer le règne des très riches, grands banquiers et grands industriels, qui entraînera par contre-coup une aggravation sans précédent de la misère prolétarienne.

サン-シモンの弟子のバザールは、この2つの課題をフランス社会の段階で再構成したのである。バザールはこのようにいう、

人間による人間の搾取を許す限り産業に進歩はない。産業の進歩は人間の普遍的協同の発展に裏付けられた時はじめて可能となる。

 私はまさにそのとおりだと思う。
そしてオキナワがかつて、どこぞの糞国家(・・・失礼)、アメリカ合衆国などから蹂躙され、さらに、いまでもアメリカ国の基地がそこに置かれ、辺境の扱いがずいぶんとゾンザイであることは、我々の課題である。
 それでも、さまざまな文化の交差点で、力強く、そして朗らかに、独自の文化を育ててきた沖縄に畏敬を感じるのである。

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<来年の宿題>
・サン-シモンの弟子たちの思想
・沖縄そばについて
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●見出しの画像
玉那覇ウシ商店の外観(画像はお借りしました)


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