天むすの日

語呂合わせにて、天むすの製造・販売を行っている有限会社天むす・すえひろが10月6日に記念日を制定。

天むすといえば名古屋名物なわけだが、10月6日のこの日は、日本ではじめての地下鉄環状線である市営地下鉄4号線(現 名城線)が開通した日でもある。東京の地下鉄12号線(現 大江戸線)の方が開通が早いが、都庁前駅でスイッチバックしているため、純粋な環状線にはならないとのことだ。

ここで過去記事を引用してみよう。
2017年6月11日の記事である。

そうだ、名古屋に行ってみよう
と思ったのは、
東名高速道路の記事を書いて、
高速道路を使ったことがないことに気付いた。

つまり、書くことが書くことを呼んだわけで
イデアからは距離が遠くイドラなことであり、
プラトンならば、毛嫌いすることであろう。
その記事では、
深夜バスに乗れば高速道路を使えると思った。
自分は車派ではないから、しばらく高速道路を使わなかった
と書いた。

これもおかしな言い方だ
今、免許を欲しがる若者は減っているが
私たちの年代の
”積極的な男子”は、さっそうと車を乗りこなした。
モテる条件のひとつに入っていたというが
自分はいわゆる”オクテ男子”で、そんなことさえも知らなかった。

勉強とスポーツができれば モテる
と思っていた。
飛びぬけてというわけでもないが
両方ともそれなりには、できた方だ。

でも、それはモテる十分条件ではなかった。
モテるというのはセンスであり、考えたり、
つくろったりすることでなく
自然とそうしてしまう類のことである。
それに、昔は勉強やスポーツができたと語るのは、
モテたいときには 最もしてはいけない話題だという。
それは、すごくわかる。

そのときは、
高体連(インターハイ)の大会を大事にしていたのかもしれぬ。
けれども、それは、それ。
地区大会で優秀な成績をおさめた、
けれども、それは、それ。
<いまここ>とは、何も関係ない。
何年も前の入賞者には興味がないのは至極当然だし、
”センスがない”と自分から語るようなものである。

車に興味がないと主張することは
センスがない自分へのブルースなのである。

さて、新宿の立ち飲みやで、一杯やって、
それから、バスタへ向かおう。

このバスタだが
西口のヨドバシカメラや都庁の周りに点在していた
長距離バスの発着所を一か所に集めた。

ヨドバシカメラは電化量販店
協会系とカメラ系がある。
いまはどちらでもない郊外型のヤマダが売り上げ一位。
続いてカメラ系のビックカメラ、続いてヨドバシである。

先日、待ち合わせの時間で待たされたため
ヨドバシカメラの中をくるくる歩いたが
ほしいものが一つもなかった。
これは由々しきことだ。
物欲を我慢するのならまだいい。
物欲がないのはマズいのではないか。

かつては、ヨドバシなんかいけば
そこらじゅう欲しいものだらけだったのに・・・・

立ち飲み屋の
他のお客さんをぼんやり眺め、
それから歩き出す。

夜行バスに乗る
そうすれば、早朝に名古屋に着く。
そんな計画だ。

渋谷では、ブックファーストが閉店になったとのこと。

読書離れが進んだのと、
ネット販売が中心の今の消費傾向で
大型書店の利用客が減ったのか・・・

月に一度は
大型書店に立ち寄る
自分にとっては街の中の居場所であった。

情報をネットからとる必要などない
というのが自分の持論。

大型書店はネットサーフィンの役割を
果たす重要な街の機能である。

頭の中を整理するのに
とても良いのである。

ネット広告のお節介に触れないで済み、
それでいて、トレンドをとらえることもできる

池袋ではジュンク堂、西武LIBROが姿を消し
渋谷では大盛堂が小さい店舗に移行した
そして、ブックファーストまでもが消えた。

家電は新宿や秋葉原だけでなく他の駅にもあるが、
大型書店は、
いまや新宿か神保町しかしないように感じる

夜行バスなど長距離にバスや電車に乗るときには
本を持ち込むことにしている。
それも、いつも読むものとは違うジャンルの読み物に
手を伸ばしてみよう

前回の旅では、格闘技の雑誌、
前々回では、貯金の仕方の本を手に取った。

今回はどんな出会いがあるか
楽しみである。

ミルキーウェイエクスプレスCJ107便

新宿24:45発バスに乗り込むと6:20に
名古屋南ささじまライブに着く

ゆっくりと散歩して
バスの疲れをとろう。

さらに中村区役所駅で 
名古屋市営地下鉄 桜通線に乗り込み、
高岳駅まで

中村区役所駅は桜通線の始発駅。

桜通線の6050系車両は
東京の営団地下鉄8000形更新車と似ている車両で
かご形三相誘導電動の主電動機、
制御装置には、VVVFインバータ制御
駆動方式はWN駆動方式、台車はボルスタレスであり
乗り心地は変わらないであろう。

高岳駅を降りたら
白壁カフェ 花ごよみ
へ寄って モーニングを食べよう。

珈琲がつくのではない。
モーニングがつく。

それを体験してみたい。

腹ごしらえを終えたら

ヤマザキマザック美術館
に足を運んでみる

いまは、”もっと知りたい名画の世界 よそおいの200年”
という展示をやっているそうである。

この手のキャッチにケチをつけても
じゃあ、見るなよ、で一蹴されてしまうのだが、

いったい 「もっと知りたい」のは誰だろう・・・
そして「名画の世界」・・・・
そもそも、名画とは 誰か(おそらくは お歴々)が
たくさんの絵画から名画という、そういうレッテルを貼ったというものだろう
だったら、回答(らしきもの、名画・非名画という判断基準)は、
誰か(お歴々?)が持っていて、その一部を開陳するに過ぎない。

知りたいといっても、一部に限定されたものでしかない
それでいて、心ゆくまでご鑑賞・・・とくる

<もっと知りたい> 主体を焦れさすのが
美術界のやることなのか

今日はここまで・・・・ね!

それとも <もっと知りたい>主体はMなのか

まぁそのへんを知りたいわけでもないので
キャッチは無視して、展覧そのものをみることにしよう。

これも絵画や、音楽、建築様式など文化全体への
レッテルであるが、

ルネサンス→バロック→ロココ→ 新古典主義
と美術史の流れがある。

ロココはヨーロッパはトルコの脅威が去って
外敵がいなくなり、壮麗で華やかな文化が起った
とある

観方によってはそうであるが
人は不安になると装飾過多になる傾向がある

ということは不安そのものに目を向けた方が面白い

ロココが表す不安とは何なのか
というより、華美な装飾を書きつけた画家の心情を
想像したいと思う。


美術鑑賞のあとは、

リニア博物館に行こうとも思ったが、
予定のこの日は土曜日。

子供(お子様)が多いと思うので外そうと思う。

以前に、鉄道博物館に行った時も
暗黙の了解でお子様優先・・・・

その空気を感じないほど、図太くない。

だいたい、子供優先は子供でなく親のエゴだ。
子供の思い通りにならないとわからせた方がいい。

というと、友人に
なんでお前は鉄道博物館でそういうこと
いうんだよ、と詰られた。

とことん、社会性がないな、自分は・・・・

おっと、話がそれた

美術鑑賞のあとは

高岳から
久屋大通で名城線に乗り換える
名城駅で降りる。

鉄道屋というカフェに行こう
巨大なジオラマが置いてあるという。

名古屋の巨大な地下街を歩こう

桜通線に引き返し、国際センター駅で下車
そこから名古屋駅をめざす。

名古屋駅にて、
名古屋名物でも食べよう。

味噌カツ、味噌煮込みうどん
ひつまぶし、どて煮、天むす

どれをとっても味がロココだ。

名古屋の名物はわかりやすく、聴いただけで
”美味なる”、でなく、”旨い!”といいたくなる。


静岡出身の自分にとって、
名古屋文化は、かかわりが深い。

自分のお里の「ご当地」だと思っていたものが
実は、名古屋の文化の影響に過ぎなかったなんてものが多い。

あんかけスパは実家の近くにも有名な店があって
高校生のとき食べていた。

自分のインターハイ(地区予選)
を支えてくれたお店だが
そんな話題を書くと モテないので、割愛する。(笑)

そのときは、名古屋名物を意識しなかった。

以前にも書いたが、
我が家のすき焼きの食べ方も名古屋様式であった。

おらが味と、思っていたが
その大きな枠組みを知らなかったのだ。

だから、
あんかけスパを食べることにする。

あんかけスパ マ・メゾン エスカ店


何を食べるかは、そのときに・・・

食べ終わったら、

名古屋駅ビルの中にある
ジュンク堂 ロフト名古屋店
をぶらついて、本を眺めよう

帰りは新幹線で帰る。

東名高速を堪能する旅のはずが、

電車だらけになってしまった。

いまはこのときの気持とか状況が少しずつ変わっている。
まずは、車を毛嫌いしている風をみせているのだが、地方に進出するには車はあったほうがいいだろう。そろそろセンスも身に着けないと楽しくないのだ。成績さえよければ的なルサンチマンは返上償却していこうと思う。
さらには、名古屋めしをロココとしているが、我ながら苦笑である。むしろバロックではないのかと思うのである。

さて、今日は、現存オペラの初演が行われた日でもある。
ペーリのダフネは1597年に作曲されていたが消失している。

L'Euridice de Peri est considéré comme le premier opéra véritable, même si Peri avait apparemment déjà composé un Dafne en 1597 (perdu), et participé à la composition des intermezzi de La Pellegrina en 1589, qui était une sorte de proto-opéra.

なので、1600年10月6日にペーリの”エウリディーチェ”がフィレンツェで上演されたことをもってオペラの誕生ということで意見が一致しているようだ。一般にオペラはイタリア・オペラとその他に分類されるが、難しい美学の問題がいろいろとある。フランス・オペラはイタリア基準に照らされ不当な評価をうけたり、ワーグナーのオペラを基準としてイタリア・オペラが不当な評価をされたりしてきた。
 イタリア・オペラは、涙を追求し、フランス・オペラは、たやすく感動させることより、洗練、才気を追求したところに違いがある。熱狂的なイタリア・オペラの聴衆について、ベルリオーズは「イタリア人のためにオペラを書くよりも、サン・ドニ通りで胡椒やシナモンを売る方がマシだ」と書いている。間違いなく、美学のためにでなく、楽しむためにオペラに通っている聴衆なのだ。一音でも間違えれば、文句をたれ、ヤジが飛び、そのあとで、アリアがよく歌われたなら、割れんばかりの拍手が鳴り響くのだ。
プッチーニもオペラに関して名言を多々残している。これほどまでに人々が熱狂したり、薀蓄をタレたりするのに、あまり知識がないのも悔しいものだ。来年までにオペラを勉強してみようと思う。

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きっと、美食家が味噌をソースにするなと眉間に皺寄せるのも、総合芸術の
オペラは腹をかかえて笑い、あるいはさめざめと泣いてから、
深く考えないで、楽しく食べようというものが本来で、美学が難しくすることもないであろう。しかし、人間だからゆえにやはり難しいことも考えてみたくなるものだよと思うのである。

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<来年の宿題>
・ モンテヴェルディのオペラ
・オペラの歴史
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