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山の日

 本来は8月11日。八の字が山のようで11が立ち並ぶ木のようだということで、この日に2014年の祝日法改正法によって制定された。
今年は一日ずれた。ずれた原因はハッピーマンデー法ではなく、オリンピック特措法だ。

 日本は山がちな土地をしている。小学生のときそう習った。海に囲まれた山が多い島国。なにかの限界設定がされたような心地がした。山には住むところなどないと決めつけていたような感覚であるが、もちろん小学生の私の個人的な感覚である。しかし微かにそんな感覚も今なお持っている。裾野の集落を見逃しているのでは決してなく、”山への畏怖”という感覚である。
 山には山姥(やまんば)が居て、山賊が出現し、里の民が山に入ると遭遇するような感覚をずっと持ち合わせているのである。柳田国男が「山人」といったり、トーマス・マンの「魔の山」という題名に感銘を受けてこの感覚は持続した。たとえば上野の寛永寺は別名、東叡山、浅草の浅草寺は金龍山という。お寺を山に喩えて呼んだりするのもこの畏怖の感覚があるのであろう、という具合だ。
 世界(宇宙)は、須弥山という原型をもつ。仏像は須弥壇の上に安置されるのである。この須弥山はインドの発想だ。金・銀・瑠璃・玻璃という贅沢な材質でできていて、正立方体の形をしており、一辺が8万由旬もある。由旬とはサンスクリット語でयोजन(ヨージャナ)のことで、牛が一日に歩く距離(11〜14km)もある。掛けることの8万なので相当な距離だ。

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 山に対する関わり方としては2つある。山に入ること、そして、山を眺めるである。(松岡正剛「花鳥風月の科学」より)
 山に入る者は中国では仙人、日本では山伏という。山にはスピリットがあるというイデアがあり、里の民はそのエネルギー(気)を正月に蓄えようとするのである。だから依代として松や榊(サカキ)を置いたりするのである。
 山を眺めるというのは、中国の山水画に現れる。山を眺めるというのはすなわち山に宿るスピリット=景気を感じることである。だから景観といったり景色といったりする。
 北宋に范宽(はんかん)という有名な山水画家がいた。
そもそも北宋で風景画がさかんになった理由については、戦(いくさ)がなくなり、政情が安定し、商業が発展し、人々が平和に暮らしたからだと云われる。商業の発展はやがて生活を忙しくして、文化人たちが花鳥風月を求めたという。

结束了唐末五代以来的群雄割据,虽然北宋建国之初仍有小规模征战,但全国政局大致穏定,人们结束朝不保夕的流离生活,安居樂业;政权大一统,使过去藩镇割据时的层层关卡陆续被取消、打通,陆运、漕运有了長足改善;城市也因再无“坊市分离制”而欣欣向荣。在商业蓬勃发展下,科技、手工业、商业、农业、文学诗词与绘画艺术,皆展现前所未有的高峰,尤其宋画山水,至今仍被公认为是中国山水画的典范。宋代山水画之所以成为经典,并大为流行,与其社会背景有密切关系。衣食无虞后,人们对于较为次要的艺术、娱乐开始有大量需求,让艺术创作得到相当大的发展空间。
如同现代都市社会般,宋代城市人口稠密且喧嚣,狭小的生活空间降低了人们与自然接触的机会。因此激发不少生活在城市的文人对大自然的向往,这份情感唯有寄托在绘有山水、花鸟的画作上,以此消除经济生活带来的紧张与精神空虚,因而让山水画大为流行。

 范宽は荆浩と李成に師事した。自然の景観の素晴らしさ、美しさ、荘厳さは美術の契機となる。しかしこれだけでは芸術足り得ない。マルクス・ガブリエルがいみじくも言うように、芸術とは、実在と虚構の間にある。現実を絵画の中(あるいは音楽の中)で理想化するという意味の中でしか現象できないものである。この自然が伝えた何かと、芸術家自身の内なる感情が重なり、構造やデザインされて芸術に変容するのである。この考え方を”外师造化,中得心源”という。
 善良な范宽は、中南山と太化山に長年住み、自らの人生を振り返り、内省をよくした。彼の主要な絵画は、遠くの山々の多くがそそり立つように現れる。山と尾根は厚くて力強く、川と山は深く、水は音が強く、屹立する岩の隙間を水が縫う。水の流れる両側には大きな石が描かれ、樹齢の長い樹木が覆い、森の奥深さが遠くを見ているような感覚を与える。

范宽早年师从荆浩及李成,后来“外师造化,中得心源”而自成一家。
善与山传神的范宽长年隐居终南山及太华山,着重写生与用心领会,题材多取自家乡陕西关中一带雄阔壮美的山岳,采用全景式高远构图。其画作主山堂堂,显显如恒岱,远山多正面,折落有势;峰峦浑厚,势壮雄强;溪山深虚,水若有声,水际作突兀大石;真石老树挺生笔下,石澜烟林深,让观画者有远望不离座外之感

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筆の力が強く、しかもバランスが取れていて、家は質素に描き、余計が修飾もなく、山はごつごつと骨のような質感で迫る。墨の滲みを巧みに利用して山の頂は林が密集した様子を細かく描写する。王徐は師匠の李成の作品と比較して、遠近法の使い方が対照的であると指摘している。
また、彼は雪の景色 を描く達人と評されていて、雪と雲の広がる風景を素晴らしく描いた。山の骨ように描き、さらに山の魂を描いたと評された。

范宽笔力老健,枪笔俱匀,人屋皆质,不取繁饰,写山真骨;善用雨点皴和积墨法,山顶好作密林以致如行夜山般的沉郁效果,衬托出山势的险峻硬朗。米芾认为范宽用墨太多是一大特色,却也落得土石不分。相较于李成画作“如对面千里,秀气可掬”,王诜形容李成与范宽的画风正好一文一武,互为对比。

范宽也是一位画雪景圣手,故生平画作泰半为独门的雪景山水,阔景甚伟,好画冒雪出云之势,尤有气骨,见之使人凛凛,被誉为“画山画骨更画魂

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 山の荒々しさ、険しさは様々な着想を人類に与えた。おそらく須弥山のような宇宙の模型が世界の中心(アクシス・ムンディ)というイデアを導いた。中国においては崑崙という山に伏義と女媧(アダムとイヴ)を誕生させ、桃源郷(エデンの園)を作り出すのである。アンドレ・ジイドの「法王庁の抜け穴」を読むと、ヴァチカンがこの桃源郷を求め、チベットにシャンバラを探す様子が描かれる。
 さらに死生観が山のイメージに加わると、桃源郷は死後の世界の天国となり、山のどこかに死後の世界とアクセスできる場所を置いたりするのである。人間の山に対する畏怖の原風景はそんなようなものであろうと思うのである。里の民が何年も培ってきた山への畏怖は、現代人の心象風景にどのような影響を及ぼすのであろうか。いろんな芸術に触れて見ていきたいと思う。

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<来年の宿題>
・アンドレ・ジイド「法王庁の抜け穴」再読
・山水画の系譜☆
 (☆は再来年かも)
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