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シャンソンの日

老舗シャンソン喫茶の銀巴里が閉店した。1990年12月29日のことであり記念日になった。

好みに合い、気にいって通っていたものが、消滅してしまう。。。
そんな経験をお持ちの方もいるだろう。コロナ禍ではそうした状況も増えてくるかもしれない。私にとっては神保町の”いもや”だ。この店の天丼しか食わないと言っていたので消失感がかなりあった。
参考ノート: くつろぎの日

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シャンソンというと、わたしは疎く、エディット・ピアフしか知らない。
フランスのポップスもほとんど聴かないのであるから、浅学もいいところだ。そのエディット・ピアフにしても、数曲聴いたかどうか。。。今日は勉強してみようと思う。

エディット・ピアフの感情あふれる歌声は、彼女の人生の悲しさから来ているという人もいる。母の職場は売春宿で、それはピアフの住処でもあった。やがて、フランス軍に従軍していた父が帰ってきて、大道芸をはじめる。ピアフは父と行動をともにするが、大喧嘩をし父と離れ、ストリートシンガーになる。このとき、わずか15歳。17歳で子供を授かるもその娘は2歳にして髄膜炎で逝ってしまった。

En 1917, Edith Piaf a deux ans. Elle est enlevée à sa mère et à la rue parisienne et passe au confort d'une maison en Normandie, la maison close de sa grand-mère. La fille d'un contorsionniste parti à la guerre et d'une chanteuse défaillante trouve auprès des habitantes des lieux l'affection et les soins qui lui manquèrent dans la capitale.

悲しみを乗り越え歌い続け、やがてナイトクラブのオーナーに見出される。レコードデビューのきっかけをつくったこのオーナーだが、殺害されてしまう。多くの作曲家たちと歌手活動や作詞活動にいそしみ、第二次大戦中はレジスタンス運動にも貢献するなど精力的に活動した。戦後、世界的な人気を誇るようになった。また、たくさんの若手歌手を見出し、世に送り出した。やがて、プロボクサーのマルセル・セルダンと大恋愛をする。しかし、セルダンを乗せた飛行機が墜落事故を起こし、彼は逝ってしまう。このころから酒とドラッグに溺れるようになり、自暴自棄の生活を送り、リヴィエラで癌により死去。享年47歳。

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エディット・ピアフは、自分専属のカメラマン(Hugues Vassal)にしか自分の最期の日々を撮らせないことと決めていたという。
わたしは、こういったこだわりを持つことが少ない。好き嫌いや選り好みは可能性を下げるとさえ思っていた。しかし、何かを決めるときに好き嫌いで決めたほうが実は後悔しないこともあるだろう。理屈できめてしまうと思慮深さが問われる。思慮深さは実は底なしであるので、いくらしてもしたりない。

今年も押し詰まってきた。年末年始は自分を振り返り、抱負を立てる時期である。その活動は実はわたしは他の場所(Ameba)でやっている。しかしその場所は思考する場所ではなく、思考過程はもっぱら別のブログ(Seesaa)が受け持っていて、そこが書く場所であった。
友人からNoteを紹介してもらったのが今年の3月。Seesaaをこちらに引っ越しさせようと思いたったのが、5月のことである。参考note: 味の評価について

毎年似たような試みをしているが、不調なので、今年はシンプルに好き嫌いを導入してフレームにしようと思った。
”ゆたかな人生がはじまる”「シンプルリスト」という本に従うと、まずは嫌いなものリストを作るといいとあった。
そのときに2度としたくないことを挙げてみるといい、という導入がついている。絶対にしたくないがやむを得ないこと、簡単にやめられることに分類してみるといい、とも書いてあった。

ちょっとやってみよう。

<2度とやりたくないこと>
  ・失くし物
  ・忘れ物
  ・まずい店に入ること
  ・通勤電車(何度もやってるが・・・) ☆
  ・時間を気にする生活      ☆
  ・あわててご飯を詰め込むこと  

  (☆は 簡単にはやめられないこと)

失くしものや、忘れ物は、断捨離をしてからというもの、ほとんど無くなった。荷物が多いと注意を向けるべきものが多くなる。そうなるといけない。注意散漫といえばそのとおりだが、性癖を改善するのと、物への執着を無くすのとどっちが自分にとって近道か考えた結果だ。ただこれは年代にもよるだろう。年齢を経て物欲が減ったから断捨離のが近道だったにすぎない。
これがたまたま根本原因を除去することに役立った。

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エディット・ピアフの人生はたしかに波乱万丈(rocambolesque)で家庭に恵まれなかったから才能を発揮したということだが、そういうアーティストは多いことはたしかである。
がしかし、エディット・ピアフを敬愛する人は多く、彼女の人生を生きよと云われてなぞれる人は少ないだろう。
苦しんだから花開いたということに集約はできないのではないかと思う。
 私自身、それなりにもがいてきた。会社の最寄駅のホームでうずくまって動けなくなり、そのまま体調不良で休むと連絡して帰る日が1週間以上続いたこともある。少し改善したが、タクシーがないと出社できない時期もそれ以上続き、家賃より高いタクシー代を払っていた黒歴史を持っている。社会的な適合性はまるでなかったわけだ。まさに注意欠陥が人格まで否定されてしまうような会社という社会の恣意性に引き裂かれた。
 さきほど、好き嫌いでものを決めることについて、云々と書いた。いつのころからか開き直った。恣意性を強いる社会に、ユニサーバリズムで対抗しようとしても、どうせ理解はできないだろうという諦観だ。だったら、こっちも好き嫌いという恣意性をもって何が悪い・・・というか、所詮それしか社会においてはできないのだ。それから、だんだんと適合できるようになった気がする。
エディット・ピアフはピアフのドラマがある。そして私にも私のドラマがある。才能には憧れるが、無い袖は振れない。こうした考えをどんどん進めていくとシンプルにいきつくのであろう。

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今年はNoteをはじめたおかげで、本当にいろんな出会いをもらえた。

星野 廉さんに指摘されるまで、自分のいろんな部分に気づけなかった部分もある。星野さんには、バックボーンにフランス現代思想の香りが立ち上る。さらには、おそらく時代的に現代思想の研究者たちの本をかなり読み込まれていらっしゃる。そういった、いわば同志にこのnoteで出会えたことは、とても大きいのである。もっと踏み込んで言うと、言葉の表層にこだわり、そして留まる。羅列だけでなにかを表す。そんなことを心がけているnoteになっている。詳しくは別な記事でご紹介申し上げよう。
私には、その表層へのとどまりが、意識の”宙返り”のように思えるのである。宙返りするには、圧力や抵抗が必要である。その抵抗の中に私はなにかを見出そうとしている。星野さんはこう云われるのを嫌がるかもしれないが、その羅列の中に深遠なる裂け目を感じるのである。

星野さんをはじめ、noteにはいろいろな出会いをいただいた。
この出会いに乗じて、もっと自分を掘り下げる作業を続けてみよう。
年末年始はちょっと何の日はお休みにして、今年の反省、来年の抱負をひねり出す思考過程といっても好き嫌いを装置として使うのであるが、ここにメモすることにする。

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●見出しの画像
銀巴里で歌う美輪明宏(画像はお借りしました)



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